10連休!帰省?「遺言書は額縁に入れて居間に!?」親族会議のススメ!
みなさん、こんにちは~!国分坂です。
さてさて、いよいよ10連休がやってきますねえ。
連休のご予定は、如何でしょうか?
旅行ですか?美術館や博物館めぐり?それとも映画に読書三昧?
もしくは、帰省?
帰省するよ!というみなさんには、国分坂からあることをご提案したいのです。
もしくは、子供たちが帰省してくるよ!という皆さんにも、ご提案があります!
まずは、帰省するよ!という方。
帰省の道中、「親族会議の開催をどのように切り出すか」をお考え下さい!
次に、帰省してくる親族を迎えるよ!という方。
早速、遺言書を作成し、額縁に入れて、良く目立つ居間などに飾って下さい!
・・10連休を前にして、国分坂は少しおかしくなってしまったのかしらん?
いえ、ご心配ご無用。国分坂、いたって正常のつもりなのです。
以下、ちゃんとご説明いたしますので、どうかお付き合いを頂ければ嬉しいです!
「争族」にならないために、日頃のコミュニケーションが重要
私は司法書士のお仕事をしているのですが、「相続」に関する登記手続きが、業務内容のかなりの部分を占めています。
開業して16年目(あらためて振り返ると、けっこう経っていますね)、以前と比べて大きな変化があったもののひとつが、この「相続」に関する手続きです。
開業からしばらくの間は、非常にシンプルな相続手続ばかりだったように記憶しています。
それが、年を重ねるごとに、だんだんと複雑な案件が増え、やがて困難案件が激増したのです。
「多数当事者の相続案件」や、「相続人間で争いのある案件」などなど。
お子さんがいらっしゃらず配偶者と兄弟姉妹とが相続人となることで、相続に関わる当事者数が多い、というケースがよくあります。
相続人が20名以上いる、という案件もありました。
人数が多いために話し合いがなかなか進まず、かつ、そもそも会ったこともない事実上「他人」のような人間関係だったりで、協議がまったく前に進まない。協議が進まないまま時間が過ぎ、やがて相続人のひとりが亡くなってしまい、その甥姪たちが相続人となることで更に相続人の人数が増え・・・という現象は、実は珍しくありません。
実の兄弟姉妹であっても非常に険悪な関係にあり、協議が成立せずに訴訟にまで発展してしまう、というケースも増えているように思います。
これは、「生活スタイルの多様化」とでもいうのでしょうか、兄弟姉妹といっても住む場所が異なる、家族構成が異なる、仕事内容が異なる等々で、価値観がかみ合わない、ということが増えているのでしょうか?
そのためなのかどうか、普段から接点がまるでなく、コミュニケーションも圧倒的に不足している、ということが往々にしてあるようです。
これらが原因なのかどうか、巷でいわれる「相続」が「争族」になってしまう、という現象が、たしかに蔓延しているように思われます。
「相続」が「争族」になってしまうことで、得する人など、誰一人としておりません。
相続人の方々は、本当に、消耗すると思います。もう、かわいそうなくらいに。
我々司法書士だって、円満な解決による相続手続の方がスムーズに進みますし、正直助かるんです。そして終わった後に、笑顔で「ありがとう」と言ってもらえた方が、やっぱり嬉しいですしね。
弁護士さんだって、「争族」案件はかなりキツイようですよ。(「莫大な資産があればまだしも、通常のご家庭での相続争いは、精神的にハードなばかりで報酬的には結構きついんだよ~」と知り合いの弁護士さんから聞いたことがあります。)
だれも得しない「争族」を、なんとか回避したい!
私は心底思うんですね。
そしてその解決策は、「親族間のコミュニケーションの充実化」しかない、と思うわけなのです。
そこで私がご提案したいのは、「親族会議」の推進です!
親族が集まる機会があれば、是非、その都度ごとに、「親族会議」を開催して頂きたいのです!
親族会議
「親族会議」、名前はものものしいですが、最初は「ざっくばらんな親族同士の井戸端会議」、といったもので結構なのです。
とにかく重要なことは、親族同士で様々なことを語り合い、「コミュニケーションを密にすること」です。
そして、もしも可能であれば、将来のことなども話してみて下さい。
更に、コミュニケーションが円滑になってきたら、少し「話ずらい」ことなども、話していけるような関係つくりを目指してください。
「過去にあった嫌なこと」
「将来の心配事」
このようなことを、互いに言葉を選びながら、少しずつ、慎重に、話して頂ければと思います。
「過去にあった嫌なこと」。実はこれ、些細なことでも将来に禍根を残す可能性があるのです。
相続人同士のトラブルでも、ささやかな「過去にあった嫌なこと」が原因で話がこじれてしまい、訴訟にまで発展する、というケースは少なくないのです。
そこで、なるべく「過去にあった嫌なこと」を親族同士で話し合い、その時の気持ちや状況などを受け止め合いながら共有し、多少なりとも解消できるよう、努力し合って頂ければと思います。
完全に解消できなくとも、構わないのだと思います。
「過去にあった嫌なこと」を受け止めてもらえるだけで、その親族の心は、かなり改善されるのだと思います。
「嫌なことを話す」のは、結構勇気がいるものです。しかし、「嫌なことを話す」ということで、自分の心の殻を破ることになります。
一方で、その「嫌なことの話を受け止める」ことも、正直大変なことでしょう。しかし、その「嫌なことの話を受け止める」ということで、やはり心の殻を破ることになります。
互いに心の殻を破り合うことで、話す方も聴く方も、心が近づき合うわけです。
そのことが、将来の禍根を払しょくする助けになるはずです。
また、「将来の心配事」は、自分自身の心配事、家族の心配事、親についての心配事、いつかは空き家になってしまうかもしれない実家のこと等々、多岐にわたるでしょう。
それら様々な心配事を、少しずつ、互いに話し、互いに聴き合う、ということをして頂ければと思います。
なお、重要なことは、「急いで解決方法を探さない」ことです。
心配事は、当然ながら解決させたいものですよね。しかし、急いではなりません。親族間の心配事は、様々な人間関係が複雑に絡み合い熟成されている可能性が高いのです。
急いで解決方法を選び出し実行してしまうと、問題が解決しないどころか悪化することすらあるのです。
急いで解決方法を探すのではなく、少しずつ、じっくりと話し合い、聴き合い、互いの「心配事」を共有しあうことが、重要なのです。
そして、親族ひとりひとりの心配事を、「親族全体の心配事」にまで昇華することができれば、もう、問題は半分以上解決していることになります。
その心配事自体が解決できていなくても、家族全体でその問題に取り組もうという姿勢が生まれれば、おそれる必要はありません。
じっくりと時間をかけて、少しずつ問題に取り組んでいけばよいのです。
そして、そのようなご家族は、「争族」の言葉は無縁になっているはずです。
そんな「親族会議」を、是非、開催して頂ければと思う次第なのです。
できれば年に2~3回、親族みんなで顔を合わせたときに、「親族会議タイム」を1時間でも結構です、作って頂きたいところです。
さて、どのように切り出しましょうか?親族会議の開催を。
遺言書は額縁に入れて居間に飾る!?
より重要な「親族会議」について述べましたので、ややおまけ的に「遺言書」についてのお話もさせて頂きます。
「できれば遺言書は書いてくださいねえ」、というお話は以前させて頂きました。
今回は、「書いた遺言書をどうするか」、ということなのです。
極端な言い方をしてしまえば、「書いた遺言書は額縁に入れて、人目につく居間にでも飾っておきましょう!!」ということなのです。
極端すぎますかね?
なにを言いたいのか、といいますと、「書いた遺言書は内緒にせず、関係者に読んでもらい、内容を把握してもらった方が良いのでは?」ということなのです。
これ、もちろん、あくまでも国分坂の私見ですよ。
法律家の一般論としては、「なにをけしからん!そもそも遺言書は封をして保管しておくべきであろう!関係者に見せるなど、なにをか考えておるのだ!」ということで、私はつるし上げにあうかもしれません。どうしましょう。
でも、ですね。
遺言書があるために相続人間で紛争が起こってしまう、ということも往々にしてあるのです。
遺言書の内容に不満がある相続人が、遺言書の無効を訴えたり、遺留分(遺言書でも侵害できない法が定める最低限度の相続分)の請求を裁判所に訴えたり。
これは、「遺言者の真意」が相続人らに伝わっていないために生じるもの、だと私は思うのですよ。
つまり、遺言者の存命中に遺言書を関係者に読んでもらい、疑問点や不満等が出てきたら丁寧にそれらを説明する、という作業を遺言者と関係者との間でしたら如何だろう、と思うのです。
前述の「親族会議」と同様なのです。
遺言書は、つまり「自分が死んだ後の心配事について、自分なりの解決方法を記す書面」という一面があります。
ただ、遺言書が他の書面と異なるのは、「遺言者の一方的な意思表示によりその効力が生じてしまう」という点です。
双方の意志の合意により成立する契約などより、よほど強い効力を有するのですね。
しかも、その効力が発生するのは遺言者の死後です。一方的に効力を発し、しかも効力発生時には、遺言者はこの世にいないのです。
だからこそ、不平不満も生じやすい、というわけなんですね。
そこで、「親族会議」の一内容として、「私はこのような遺言書を書いてみたのだけど、みんな、どう思う?」と、開けっぴろげに開示してみて、皆さんの反応を確認してはどうか、というわけです。
そして、疑問や不満が出てきたら、その疑問について応え、不満に対してはどうしてこのような内容の遺言にしたのかという背景事情や想いを、丁寧に伝えてみてはどうでしょうか?
また、不満を発した親族に対しては、その親族からどうしてそのような不満が生じるのかを丁寧に聴きだし、その親族の事情や心配事などを聴いてみてはどうでしょうか?
なにより遺言書は、何度でも書き直すことができるのです。
関係者一堂に遺言書を読んでもらい、いろいろな意見を相互に交換し、心配事や想い、希望などを皆で共有し、そのうえで、改めて遺言書を書き直してもいいのです。
つまり私の考えでは、遺言書を「親族会議」促進のためのツールとして用いてもよいのでは?、ということなのですね。
かなり過激な演出ですが、額縁に入れた遺言書を飾っておき、帰省した親族たちを出迎える、なんて方法はどうであろう?というわけです。
「・・・ん、遺言書?・・・かあさん、これは、いったい・・」
「まあ、お座り。ほら、二郎も。三郎もちょっと座っておくれ。・・こほん。では、これより、親族会議を開催したいと思います!」
「・・なんだよお母さん!なにが始まるんだい!」
「三郎、いいからお座り!親族会議だよ!」
なんて感じで始まると、さほど構えずに「親族会議」を開催できるかなあ、などと思ったのですが、ちょっとやり過ぎですか?
ただ、いわんとするところは、自分の心配事や想いを遺言書という形に落とし込んだら、それを家族全体で共有し、「家族としての遺言書」にまで昇華できれば、遺言書をめぐる紛争はおそらくなくなるであろう、と思うのですね。
もちろん、すべてのケースでこれを適用できるわけではありません。
なかには、やはり秘密裏に遺言書をつくらざるをえないようなケースもあるでしょう。
いろいろなご事情がありますからね。
しかし、どうなのでしょうね、本来なら「家族全体で共有できれば問題化しない事柄」であったにも拘わらず、情報共有できなかったために、相互不信になったり、疑心暗鬼になったりし、結果、対立構造を生んでしまうというケースが、とても多いような気がするのです。
それを避けるためにも「親族会議」を開催して頂き、かつ遺言書もうまく活用して、家族全体で将来の心配事を乗り切って頂ければ、と思う次第なのです。
Q:遺言書は、封筒に入れて封印しなくていい?
A:はい。遺言書は、封筒に入れ封印しなくても、有効です。
Q:でも、遺言書書いたら、封筒に入れ封印するって、どこかに書いてあったような?
A:専門家がそのように指導することも多いです。なぜ封筒に入れて封印するかというと、偽造・変造防止のためなのです。勝手に見られると偽造されちゃうかもしれないので、封印しておいてね、ということです。
Q:封印された遺言書は、相続人が開封してはいけないの?
A:はい。ここでいう「遺言書」とは、自分で作成する「自筆証書遺言」のことをいってますが、「自筆証書遺言」は遺言者の死後、家庭裁判所で「検認」という手続きを行うことになります。封印された遺言書の場合、その開封は検認時に家庭裁判所で行うので、相続人は封印されたままの遺言書を、家庭裁判所に持っていくことになります。
Q:だったら、偽造・変造されないように、封印した方がいいのでは?
A:そのような考え方もあるでしょう。ただ国分坂は今回、「遺言書の内容を親族と共有し、事前に疑問や不満を解消する」、という方法を提案させて頂きました。この方法は「親族間の意思疎通を密にして、みんなで問題を乗り越えよう」という考え方です。よって、この方法によれば、親族による「偽造・変造」をおそれる必要はないであろう、ということでして。「偽造・変造しちゃいたい」という気持ちがなくなるくらい、しっかりとみんなで話し合おう、ということなのです。
ただし、ケースによっては「親族に秘密裏に作成せざるを得ない」というものもあるかもしれません。その場合には「封印する」ということも考えてよいし、更には「秘密証書遺言」というやり方も検討してよいでしょう。
(「秘密証書遺言」については、すみません、そのうち記事にしたいと思います。)
なお、「自筆証書遺言」の作成方法については、下記の記事を参照ください!
↓
というわけなのですが、みなさん如何でしょうか?
もしも帰省される際には、「親族会議」開催の宣言をしてみては?
また帰省を待たれるのであれば、遺言書を用いて「親族会議」の開催を促してみては?
少しでも「争族」が減ることを願い、かなり本気で前衛的?なご提案をさせて頂いた次第です。皆様のご感想を頂ければ幸いです!
以上、10連休?帰省?「遺言書は額縁に入れて居間に!?」親族会議のススメ!でした。
ここお読み頂きまして、誠にありがとうございました!