国分坂ブログ

「歩くこと」「考えること」が好きな、国分坂です!

コロナに負けるな!離れて遊ぼうっ!!「光線銃」でストレス発散!!

大変ご無沙汰をしております。国分坂でございます。

三カ月近く、ブログをほったらかしにしておりました。すみません。

コロナ騒ぎの前あたりから激務が続き、4月の頭には帯状疱疹を患ってしまいました・・痛い・・

近頃、新しい試みをいろいろと始めてしまって、それらが妙に忙しくて。

ブログをまるで更新できません。「はてなブログ」の使い方すら忘れてかけておりまして・・ピンチですっ!!

 

そんなわけで(どんなわけだ?)、リハビリを兼ねて記事をアップ致しますっ!

題して!「コロナに負けるなっ!離れて遊ぼうっ!」です。

 

いや。なるべく自宅に籠っているべきなんですよね。新型コロナウイルスで、大変な時期ですから。

でも、ストレス、溜まりますよねえ。子供たちなんて、もう、外に出たくてうずうずしちゃいますよね。可哀想です。

 どうしても「外で遊びたいっ!」というときには、次の3つのルールを徹底したらどうだろう?と思ったりしています。

 

その1 離れろっ!(2メーター以上は、離れて遊ぼうっ!)
その2 触るなっ!(なるべく物に触れない。手すりや遊具などは特に注意!)
その3 洗えっ!!(でも触っちゃうよね。だから、こまめに手を洗おうっ!)

 

・・しかし、これを「子供たち」に実践させるのは、至難の業ですよね?

世の親御さん方、いかがなものでしょう・・?

 

国分坂は、考えました。

(仕事で忙しいときは「仕事以外のことに頭を使う」のが、何よりのストレス発散になるように思うのです。)

 

どうしたら世の子供たちのストレスを解消させてあげられるだろう?

 どうしたら子供たちを離れて遊ばせることが出来るだろう?

 

ぴきーんっ・・・!

 

これだっ!!

 

【B.Bブラスター バトルセット】

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 説明しましょうっ!

これ、「光線銃」なのですっ!!

互いに撃ち合って勝負を決することができるおもちゃなのですっ!

 

あ、もちろん無害ですよ。

相手の銃の上に付いている突起部分を狙って撃つと、撃たれた方がブルブル震えるんですっ!10回撃たれると、ぴきーっ、ぐがっーっ!といった破壊音を発しながらガタガタブルブル震え出し、動かなくなります。最大距離は60メートル。

 

「離れて遊ぶ」に最適なおもちゃなんですっ!

 

子供用と侮るなかれ。

これ、大人が手にしてもかなり夢中になります(少なくとも国分坂は夢中)。

値段の割にはなかなか完成度が高いです。音とブルブル振動がとっても面白く、10回撃たれた際の「断末魔的ガタブル感」が最高に面白いのです(やられると結構悔しいのですよ)。

屋外はもちろん、室内でも遊べます。

「弾」ではなく「光線」なので、とっても安全。

しかも、撃ち合うことでストレス発散!

 

「BBブラスター」があまりにも面白いので、更なる上位機種に手を出してしまおう!などと画策している国分坂ではありますが。

 

 

「StayHome」はとっても大切。

でも、気分転換も時には大切。

そんな時には「離れて」「触らず」に気を付けながら、人の少ない森や河原などで「光線銃」の戦いをしてみては?

そしてお家に帰ったら、しっかりと「手を洗う」を実践しましょう!

(光線銃を家に入れる際には、手を洗ってから綺麗に拭きましょう!)

 

あ、2セット購入すると、4人同時に戦えますよ!(私は最初1セット購入し、4日後に1セット追加購入しちゃいましたっ)。

ストレスが溜まってしまう前に、「・・ところで、ちょっと勝負する?」とご家族をお誘いしてみては?

 

こんなご時世だからこそ、正しく恐れて、楽しく対策を練って乗り越えましょう!

 

というわけで、「コロナに負けるなっ!離れて遊ぼうっ!」でしたっ! 

みなさま、くれぐれもお体ご自愛くださいね!

コロナに、負けるなっ!!

 

国分坂 拝

 

すみません!まるで更新できてませんっ!でもコレは拡散希望!!【by武漢】

申し訳ございませんっ!国分坂です!

いろいろ、いろいろありまして、ここ3か月、まったくブログに手が付けられません。

記事は上げられず。

皆さんの記事を読むことも出来ず。

 

その理由につきましては、謝罪と共にまた釈明させて頂きたいと思いますが、今日はとにかく、下記動画を皆さんに見て頂きたく、そして少しでも拡散して頂きたく、取り急ぎアップさせて頂きました。

 

【コロナウイルスと武漢に関する動画】

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

私は、この二つの動画を先程見たばかりです。

仕事が一段落し、ちょっと休憩、と思いながら。

 

そして、愕然としました。

 

私には、この動画の真偽は分かりません。

でも、ここに出てくる青年に心を打たれました。

 

しかし、この動画を見ても私には武漢の人々を救出する手立ても分かりません。

だから、今すぐできることは、皆さんにこの情報の「拡散」をお願いすること。

 

もしかしたらこの青年の言っていることは真実かも知れない。

こんな恐ろしいことがたった今、すぐお隣の国で起こっているのかもしれない。

それを、少しでも多くの人に知ってもらいたい。

 

ツイッターでもブログでもいいのだと思います。

より多くの人に、この青年の言葉を届けたい。

そして、これを見た各人が、おのおの考えるべきなのでは、と。

 

すみません!

まるっきしさぼっていながら、突然の「拡散希望」だなんて!

おゆるしくださいっ!

 

でも、こんな恐ろしいことが現在進行しているのか?と思ったら、いてもたってもいられずに・・・

 

乱文過ぎて申し訳ございませんが、みなさま、是非動画を見て頂ければと思います!

 

すみませんっ!取り急ぎっ!!

 

国分坂 拝

 

自然災害で被災したら、まず『罹災証明書(りさいしょうめいしょ)』!!

大変にご無沙汰をしてしまいました。国分坂でございます。

すみません、いろいろとありまして、筆が滞りまくっております。

 

ところで、過日の「台風19号」、皆様、大丈夫だったでしょうか?

被害に遭われた皆さまにおかれましては、心よりお見舞い申し上げます。

 

実は私、東京司法書士会の災害相談員というものに登録していますが、先日から「台風被害に関する無料電話相談」というのを実施しています。

私も受け持っておりますが、なにかご相談事・お悩み事などありましたら、是非、東京司法書士会事務局まで、お電話してみて下さい。

 

【台風被害に関する無料電話相談会】

0120-279-191(午後13時~午後16時まで)

 

www.tokyokai.jp

 

それにしても、台風15号といい19号といい、とんでもない破壊力でした。

私は随分と前に、東京司法書士会の震災対策委員などをやっていたのですが、「甚大な自然災害=地震」という構図が、なんとなくあったんですね。

それが、台風19号を経験したことで、「甚大な自然災害=台風・地震」となったような気がします。

これ、凄いことですよ。

地震はたしかに恐ろしいものですが、そのスパンは数年から数十年ですよね。ところが台風は「毎年」です。

「毎年」、あんな台風がしょっちゅう日本列島を襲うとしたら・・・

どうなってしまうのでしょう?

(台風19号で江東区や江戸川区などのゼロメートル地帯が水没するかもしれないと、かなり本気でささやかれていましたが、今回はなんとかなりました。・・しかし、次回も大丈夫なのでしょうか?)

 

世界規模なのかどうかは分かりませんが、どうにも、近時のデーターでは測りきれないことが、現在、そしてこれから、進行していくことになりそうです。

 

つまり、自然災害が、今までより極身近なものになってしまった可能性があります。

 

そこで今回は、「被災したら取り敢えずこれだけは!」という「罹災証明書(りさいしょうめいしょ)」について、ごく簡単に触れてみたいと思います。

 

 

1.罹災証明書とは?

「罹災証明書(りさいしょうめいしょ)」って、聞いたことありますか?

これ、とっても重要なものなんです。

この記事で一つだけ覚えておいて欲しいことは、「もしも被災したら、罹災証明書(りさいしょうめいしょ) 」です。

呪文のように覚えて下さい。

 

「罹災証明書(りさいしょうめいしょ)」とは、市町村が作成する「災害による被害の程度を証明する書面」のことです。

お住いの市町村に「罹災証明書(りさいしょうめいしょ)」の発行を要求すると、市町村は遅滞なく被害状況を調査し、「罹災証明書」を交付しなければならない、とされているのです(災害対策基本法第90条の2)。

 

ではなぜこの「罹災証明書」が重要なのか?

簡単に言いますと、被災者支援は「罹災証明書」を受け取ることからスタートするからです。

 

自然災害により甚大な被害が発生すると、次のような法律や制度の適用があります。

・災害救助法

・被災者生活再建支援法

・自然災害による被災者の債務整理に関するガイドライン

 

これら法律等の説明は今回は省きますが、簡単に言いますと、これらの法律等で支援を受けるには、申請時に「罹災証明書(りさいしょうめいしょ)」が必要になる、ということなんです。

 

ひとつひとつの法律を見ながら、自分がその要件に該当するのか?といった検討も、おいおい必要になっていくかもしれませんが、被災後、身の安全を確保できる状態になったら、まずはお住いの市町村長役場へ行って「罹災証明書」を請求し、それと同時に救助・救援に関する情報を役場で仕入れてくる、といった行動が必要だと思います。

 

2.適用される法律は刻々と変わる

これはちょっと専門的な話になるかもしれませんが、たとえば「災害救助法」の適用などに関しては、発災直後ではなく、数日してから「発災時にさかのぼって適用」という発表が、政府からなされたりします。

地域によっても、すぐに適用される場所、数日してから適用が発表される場所などまちまちです。

ですので、支援のための法律の適用を調べる際には、かならずインターネット等で最新情報を確認してから、適用される法律を見ていく必要があります。

これに関しては、内閣府の「防災情報」などを活用してみてください。

 

www.bousai.go.jp

 

例)台風19号での「被災者生活再建支援法」の適用の有無

「防災情報のページ」TOP

  ↓

上の7つ並んだ枠の中の「被災者支援」をクリック

  ↓

下の方にスクロールしていくと「被災者生活再建支援法」があり、その上から7つ目にある「被災者生活再建支援法の適用状況について(公表資料)」をクリック

  ↓

「令和元年台風19号による災害」をクリック

  ↓

すると、いつ、どこで、「被災者生活再建支援法」の適用が公表されたかが、出てくるわけですね。

 

とっても見にくいサイトなんですが、私などはこれでちょくちょく確認しながら、法律の適用状況をみています。

 

3.最後に。自分の住まいは大丈夫?ハザードマップの確認

みなさん、ハザードマップ、確認したことありますよね?

えっ!したことない??うそでしょ~!?

是非、確認してください!

各市区町村で作成しておりますから、インターネットでも閲覧できますし、役所にいけば紙の地図のようなものをもらえるはずです。

ハザードマップには「洪水」「地震」「津波」等、いろいろな種類のものがあります。それぞれに目を通していただき、お住まいの地域の弱点などを、確認しておくべきでしょう。

 

なお、下記は国土交通省の「ハザードマップポータブル」です。

disaportal.gsi.go.jp

 

 

この前の台風19号でも、スマホに災害情報警告音がピーピーと鳴っていました。

「命を守るための行動をしてください!」と警告されるのですが、その「命を守るための行動」って・・なんなのでしょうか?

 

「命を守るための行動」。

これは、「自分自身で考え得る、最適な行動」のことです。

残念ながら、国も市町村も、個々人の「命を守るための最適な行動」を判断することはできません。それぞれ状況が違いますしね。

なので、災害が起きたら「このような災害ならば問題ないだろう」、「このような状況なら避難は不要だ」、「いま避難したらかえって危ない」、「いやすぐに避難すべきだ」などと、自分自身で判断できるようにしておくことが望ましいのです。

そのためには、ハザードマップなどでお住いの地域の状況を確認し、また、お住いの家や周辺の特徴などを、しっかりと把握しておく必要があります。

 

まあ、このような話は、もう随分と昔からなされてきたわけです。

でも、その対象は「いつ起こるか起こらないか解らない地震」がメインでした。

だから「分かってはいるけど、まあそのうちに」という感じでしたね。

 

・・ところがです。

今回の「台風19号」は、その概念を覆したのです。

恐れるべき対象に、「毎年発生し得る、しかも年に複数回発生し得る、台風」が加わったのです。

・・これはもう、待ったなし、なのですね。

今一度、ハザードマップを確認し、ご家族との連絡方法の確認、非常食などの確認、避難場所やその経路の確認などをしておくことをお薦めいたします。

 

ところで、映画『天気の子』ですか?

まだ見ていないのですが、なんだかちょっと、気になりますねえ。

tenkinoko.com

 

以上、自然災害で被災したらまず罹災証明書(りさいしょうめいしょ)でした!

ここまでお付き合いを頂きました皆様、ありがとうございます!

これからも、何卒宜しくお願い致します!

 

歌舞伎『風の谷のナウシカ』を観る前に!?生命は「道具」か?【ナウシカ学③】

みなさん、こんにちは~  国分坂です。

さてさて、過ごしやすい季節が到来しましたね。秋です。

秋といえば、そう思索。

思索といえば【ナウシカ学】です!

 

ところで『風の谷のナウシカ』が歌舞伎で公演されるそうですね。

 

見得を切るナウシカ?

 

「てやんでぃ!あ~っ! ダダン‼

 い~の~ち~は~!  ダダン‼

 闇のなかに~ぃ!   ダダン‼

 ま~た~た~く~ぅ  ダダン‼

 ひ~か~り~だああ~‼ ダダダン‼ダン‼」

 

ちょっと違いますかね?

・・是非とも歌舞伎版ナウシカ、観てみたいものです!

 

www.kabuki-bito.jp

 

というわけで、できれば歌舞伎『風の谷のナウシカ』を観賞する前に、今一度【ナウシカ学】でナウシカの世界を考察しておきませんか!?

 

では!では!

  久々の【ナウシカ学】の、は~じ~ま~り~  ジャジャン!

 

今回は【ナウシカ学③】、「シュワの墓所」編です!

いままで、【ナウシカ学①】では「巨神兵」を、【ナウシカ学②】では「腐海と王蟲」を考えてきましたが、今回の③では「シュワの墓所」に迫りたいと思います!

もしもお付き合いを頂けますと、もうもう、嬉しい限りです~!!

 

 

 

 

お約束

毎度ながらで恐縮なのですが、【ナウシカ学】を進めていく上での、私なりのルール(お約束)を、ちょっと記させて頂きます。

(毎度毎度ですみません。読み飛ばして頂いても結構です~)

 

1.テキストは徳間書店『風の谷のナウシカ』(全7巻)を使用する。

2.先行研究文献は、基本的には目を通さない。

  原則として上記1のみを使用し、独自の考え方を、まずは展開する。

3.皆様のご意見・ご感想を頂きながら、学問体系まで昇華させることを目指す。

 

 1と2についてですが、基本的には漫画版『風の谷のナウシカ』のみをテキストとして使用し、論考を進めていきたいと思っています。

誤謬を恐れることなく、自由な発想で考えていきます。

よって、もしかしたら作者(宮崎駿氏)の意図とは、まるで違う考え方が展開されてしまうかもしれませんが、それもまたよし、として進めたいと思います。

なお、『風の谷のナウシカ』に関しては、先行する論文などが様々にあるのかもしれませんが、現段階ではそれらに目を通すことなく、論考を進めていきます。

すでにある論文はとても重要な資料だと思いますが、それらを参照してしまうと、私の貧弱な頭脳ではその影響下から脱することができなくなる、と恐れるためです。

よって、基本的には『風の谷のナウシカ』という作品のみを相手として、まずは自分なりの考えを展開していきたいと考えております。

 

3についてですが、できれば展開させた論考を「学問」にまで昇華させていきたい、『風の谷のナウシカ』についての論考から、『風の谷のナウシカ』にまで高めていきたい、と願っております。

よって、私の拙い論考をきっかけとして、皆様より異論反論などを頂き、それを基に多様な論証を進めていけたら、最高の喜びです。

 ご意見・ご教授・ご指導を頂ければ、嬉しい限りです。

宜しくお願いいたします!

(なお、本記事では『風の谷のナウシカ』を論考するため、当然ながら「ネタバレ」満載です。『風の谷のナウシカ』を未読の方は、是非、作品をお読み頂いたうえで、こちらの記事を楽しんで頂ければ幸いです。)

 

 

 

「シュワの墓所」とは?

では、本題に入りますね。

今回のテーマ、「シュワの墓所」とは、一体何なのでしょうか?

 

「シュワの墓所」を私なりに要約してみますと、「旧人類が世界を再建するために造った叡智と技術の集積基地であり、世界再建計画実行のための司令塔」、といった感じでしょうか。

 

 「シュワ」とは、土鬼神聖皇帝が治める聖都の名前です。

その「シュワ」にあるのが「シュワの墓所」なんですね。

いやむしろ、元々「墓所」が先にあり、後から土鬼帝国の聖都が置かれたようです。(土鬼帝国のみならず、歴代の王国が「墓所」の下に都を定めてきたようですね。)

 

以下、作中で「シュワの墓所」に関して語られる部分を、順に見てみましょう。

 

「火の七日間の前後 

 世界の汚染がとり返しのつかぬ状態になったとき

 人間や他の生物をつくり変えた者達がいた」

 

「同じ方法で世界そのものを再生しようとした・・」

 

「有毒物質を結晶化して安定させる方法」

 

「千年前に突然攻撃的な生態系が出現した原因・・」

(7巻131頁)

 

ナウシカとセルムは、腐海や王蟲達が「世界を再生するための道具」として造り出されたもの、すなわち「人造生命体」であることに気付きます。

そして、その技や意図が「シュワの墓所」にある、と見抜くのです。

 

「この世界に仕組まれた秘密が

 シュワの墓所のなかにあると・・・」

(7巻133頁)

 

ナウシカは考察します。

 

「あの黒いもの(墓所)は おそらく再建の核として遺されたのでしょう

 それ自体が生命への最大の侮蔑と気づかずに」

 

「シュワの墓所には 旧い世界のいまわしい技が遺されています。

 王蟲を培養し ヒドラを飼い 巨神を育てた技が。

 その技があるかぎり 邪なものをよびよせ 虚無が死を吐き出します」

(7巻172~173頁)

 

どうやらナウシカは、非常に否定的な見解を「墓所」に対して有しているようですね。

そして「墓所」に到達したナウシカは、「墓所の主」に対し、自分の思いを言い放ちます。

 

「なぜ真実を語らない。

 汚染した大地と生物を 

 すべてとりかえる計画なのだと!」

 

「お前は亡ぼす予定の者達を 

 あくまであざむくつもりか!

 お前が知と技をいくらかかえていても 

 世界をとりかえる朝には

 結局ドレイの手がいるからか!」

 

「私達の身体が人工で作り変えられていても

 私達の生命は私達のものだ。

 生命は生命の力で生きている」

 

「生きることは変わることだ。

 王蟲も粘菌も 草木も人間も 変わっていくだろう。

 腐海も共に生きるだろう。

 だがお前は変われない 

 組み込まれた予定があるだけだ。

 死を否定しているから・・」

 

「絶望の時代に理想と使命感からお前がつくられたことは疑わない。

 その人達はなぜ気づかなかったのだろう。

 清浄と汚濁こそ生命だということを」

 

「苦しみや悲劇やおろかさは 

 清浄な世界でもなくなりはしない。

 それは人間の一部だから・・

 だからこそ 苦界にあっても

 喜びやかがやきも またあるのに」

 

「いのちは 闇の中のまたたく光だ!」

(7巻197~201頁)

 

これらの「ナウシカと墓所の主との対決」については、【ナウシカ学②-3】であれこれと考えてみましたので、詳細はそちらに譲ろうと思います。

 ↓↓↓ 

【過去記事】

www.kokubunzaka.com

 

さて、ナウシカと墓所の主との「対決及びその結末」を、ごくごく端的にまとめますと、「旧人類が考え出した未来」を否定したナウシカは、「その未来」を実現しようとする墓所を完膚なきまで破壊してしまった、ということになるでしょう。

なお、墓所の破壊には、巨神兵の力を利用しています。

 

ナウシカは、旧人類が考えた世界再生計画の「道具」となることを拒み、かつ、旧人類が考えた再生計画そのものを否定しました。

ナウシカは、旧人類が叡智を結集して造り上げた「理性的な未来像」を認めず、自らに宿る「(不可知な)生命力」や、生命を育む「この星の(見えざる)力」の可能性を信じ、それに人類の運命を委ねることとした、と読めそうです。

つまり、「生命が創り出す混沌的未来」にこそ希望を見出した、と読めそうです。

 

もしくは、旧人類があくまでも「人間」の存続を求め「人間」のための環境再生を考えたのに対し、ナウシカは「生命」としての可能性を求め「人間」という枠組みを越えた「生命の一員」としての生き方を考えた、といえるのかもしれません。

人間の理性、すなわち「脳内合理的世界」に限界を感じ、むしろ「生命が宿す力」にこそ現状を克服する可能性、つまり「変化し存続する(=進化する)可能性」を見出した、ということなのかもしれません。

 

墓所の主は言います。

「人類は わたしなしには亡びる。

 お前達は その朝をこえることはできない」

 

しかしナウシカは、墓所の主の力(つまり旧人類の叡智)によってでは、逆に「その朝を越えることはできない」と考えたのではないでしょうか?

ナウシカの見る限り、旧人類が考えたらしき再生計画は、実際にはまるで進んでいなかったからです。

 

「計画では今は再生への道程のはずでした

 けれど 現実には愚行はやまず 

 虚無と絶望は更に拡がっています」

(7巻132頁)

 

そんな不確かで杜撰な再生計画に、人類の未来を託すわけにはいかないのだと、ナウシカは考えたのでしょう。

 

更には、もしかしたらナウシカは、人間が人間として存続することを、諦めたのかもしれません。

人間は滅び他の生命体にバトンを渡すことになるのか、もしくは人間が他の生命体へと進化していくのか。

それらも含めて、未来を「自らに宿る生命力」「この星の見えざる力」に委ねよう、とナウシカは考えたのかもしれません。

 

「ひょっとすると・・

 人間を亡ぼしにいくのかもしれない・・・」

(7巻141頁)

 

そんな覚悟を、ナウシカは心に宿していたのです。

人類が存続していくことをどこかで諦めつつ、しかし旧人類の計画を諾々と受け入れることはせず、「何らかの形で人類が命を繋げていく未来」を、むしろ果敢に選択するために墓所を破壊した、といえるのかもしれません。

 

「世界は よみがえろうとしていました

 たとえ 私達の肉体が その清浄さに耐えられなくとも

 

 次の瞬間に 肺から血を噴き出しても鳥達が渡っていくように

 私達はくり返しいきるのだと・・・」

(7巻172頁)

 

ナウシカは人間という種に固執することよりも、生命の一員、生命の環に繋がるものとしての存在を、より重視したのだ、とも読めそうです。

 

でも、そう読むと「人類滅びちゃうのかあ。虚しいなあ」と思えてきますよね。

 

いや、しかし、しかしですね。

全ての人間は個体として必ず死ぬのですし、種としても、いつかは必ず滅びるものなのですね。

それが、生命の定め、なのですね。

 

だからこそ、「個体や種としての存在」に固執するのではなく、「生命の流れのなかにあるもの」と認識すべきだ、とナウシカは考えたのかもしれません。

(なんだか仏教的ですかねえ。)

 

すべては死に滅び流れていく

その流れの中でまた生まれ増え広がっていく

生命とはその流れであり繰り返しだ

 

それこそが、「いのちは 闇の中の またたく光だ」という言葉が意味するものなのではないか、と思いました。

 それが、「真理」なのかもしれませんね。

 

ただ、うーん、分かるような気もしますけど、やはり寂しいですねえ。うん、寂しいなあ。

流れて消えていくことを受け入れるのだ、といわれても・・哀しいですねえ。

 

そこで、外部でとても興味深い記事を見つけましたので、少し脱線しちゃいますけど、ご紹介しますね。

 ↓↓↓

【繁栄を止めるために遺伝子組み換えされた蚊、自然界に放たれ裏目の結果に】

www.newsweekjapan.jp

 

以下、内容を要約してみます。

「マラリア等を媒介する蚊を根絶するため、遺伝子組み換え技術により、繁殖能力を奪うオスの蚊を創り出すことに成功した。メスがこのオスと交尾し子を産むと、その子は、繁殖能力を持つ前にほとんど死んでしまう。実験では、生まれてきた子が成虫まで生存するのは3~4%だという。

ところが、実際にこのオスの蚊を自然界に放ったところ、一時的に蚊の個体数は減少したものの、18カ月後には個体数が回復してしまった。生存している成虫の蚊のなかには、遺伝子組み換えされたオスの蚊の遺伝子を受け継いでいるものもあるという。

さらには、遺伝子組み換えされたオスの蚊の遺伝子を引き継いだことで、より強固な個体が生まれた可能性すらある、と研究チームは指摘した。」

 

つまりですね、人間の叡智により「生殖能力を失わせる蚊」が造り出されたのですが、自然界の蚊は易々と、たった18カ月でその障害を乗り越えて、更に強固に「進化した」可能性すらある、という内容の記事です。

人間の「叡智」が、蚊の持つ「生命力」にあっけなく敗れた、ということですかね。

 

この記事を読むと、ナウシカの選択はあながち間違えではなく、しかも、人間は人間として進化し存続していけるのかも?と、希望を持てそうですね。

どうでしょう?

 

流れゆく寂しさの中にも、晴れやかで明るい光が見えましたような気がしませんか?

 

「いのちは 闇の中の またたく光だ!」

 

 

 

この物語の「最終にして最大の謎」

ところで『風の谷のナウシカ』全7巻をお読みになったとき、最後の最後で妙な記述があることを、みなさんお気づきになりましたでしょうか?

本当に最後の最後、「最終見開き2ページ」のなかに出てくるナウシカとセルムとの会話なので、ついつい読み飛ばしがちなのですが、じっくり読んで、よくよく考えてみると、なんとも「奇妙な」会話であることに気づきます。

 

「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」

とナウシカ。

これに対してセルムが答えます。

「それはわたしとあなただけの秘密です

 生きましょう

 すべてをこの星にたくして」

(7巻222~223頁)

 

まずナウシカのセリフから見てみましょう。

「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」

これ、もう随分前にナウシカとセルムが解き明かした謎でしたよね。

 

「腐海は 人の手が造り出したものというのですか!?」

「エエ・・ そう考えるとすべてが判って来ます」

 

「その王蟲を 愚かな人間が造ったなどと」

(7巻131~132頁)

 

腐海や王蟲は人間に造られたものであった、その秘密はシュワの墓所の中にある、とナウシカとセルムはすでに暴いていました。

なので王蟲の体液と墓の体液とが同じもの、すなわち人造血液であることは、二人にとっては当然に分かり切ったことなのです。

なのに、ナウシカは最後の最後の場面で、実に悩ましい顔で、「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」とつぶやきます。

それに対し、セルムは達観したような顔つきで「それはわたしとあなただけの秘密です。生きましょう。すべてをこの星にたくして」と応えるのです。

 

妙ですよね? 

一体どういうことでしょう? 

 

つまり、ナウシカが最後の最後で悩ましい顔をして「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」とつぶやくのは、「王蟲や墓が人造生命体である」ということとは「別の謎」が、そのセリフに込められているのだ、とみるべきなのではないでしょうか?

 

「王蟲や墓、森や人間すら、実は人造生命体であった」、ということは、既に解明されている謎です。

最終場面で、いまさらナウシカが苦悶する必要はないはずなのです。だって、ナウシカは実に思い切って、清々しいまでに墓所を破壊しているわけですしね。

もしも「人造生命体」であることに悩みや不安を感じていたのであれば、人造生命体の司令塔ともいえる墓所を、気持ち良いまでに破壊することはできなかったのではないでしょうか?

墓所には、人造生命体のための技や情報が蓄積されているのですから。

しかしナウシカは、躊躇なく墓所を破壊します。人造生命体であろうと生命であることに変わりない、自分達は自分達の力で生きるのだ、と決断するのですね。

 

つまりナウシカは「王蟲や森や人間たちが人造生命体であること」に関しては、とっくに乗り越えているはずなのです。

それを示す台詞が下記のものでしょう。

 

「たとえ どんなきっかけで生まれようと 生命は同じです」

(7巻133頁)

 

愚かな計画に拘泥するため破壊せざるを得なかった墓所と、尊崇すべき偉大なる生命体である王蟲とが、同じく旧人類由来の人工生命体であることは、ナウシカは先刻承知でした。

 

だから、「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」というセリフは、王蟲や墓が人造物であることを言っているのではない、と読むべきだと思うのです。

それ以外のことで、ナウシカは苦悶しているはずです。

これに対してセルムは「わたしとあなただけの秘密」にしておきましょう、と応えています。

一体、なんの「秘密」なんでしょうか?

 

私は、二つのことを考えました。

 

その1.「青き衣の使徒は墓所がつくった装置なのだ説」

青き衣の使徒とは、土鬼の地に古くから伝わる救世主のことです。

ナウシカは、たびたびその「青き衣の使徒」であるとみなされています。

 

「ケチャよ あの子(ナウシカ)が王蟲の中で 

 どのような姿をしているのか

 わしの盲(めしい)た眼のかわりに 見ておくれ」

「遠くてよく見えない・・・

 青い服を着ているわ

 たしかあの服 ばばさまの・・・

 でも・・色がちがう・・

 王蟲の血を浴びたように まっ青だわ

 触手が風になびく金色の草のよう・・

 あの子 まるで黄昏の草原を歩いているみたい・・」

「・・その者青き衣をまといて

 金色の野に降りたつべし・・」

(2巻79頁)

 

ナウシカが王蟲の群れの前に立ち、助けた幼虫を群れに戻すシーンですね。ナウシカの姿をケチャから聞いたマニ族の僧正は、青き衣をまとうナウシカに驚愕します。

 

このシーンから「青き衣」とは「王蟲の血に染まった衣」であることが解ります。

土鬼の地には、救世主神話ともいえる伝承があるようで、それが「その者青き衣をまといて 金色の野に降りたつべし」の語りなのですね。

「金色の野」とは「王蟲の触手」のようです。

 

さて、この「青き衣の使徒」と思われる者は、どうもナウシカが初めてではなく、過去に何度か登場したらしいのです。

 

「あいつだ 青い衣が現れたのだ」

「またか 帝位をついでからこの100年

 同じ話を何十回もきかされたぞ

 その度にお前は大騒ぎをして

 あわれな容疑者を引き裂くのだ」

(5巻17頁)

 

上記は皇弟ミラルパとその兄ナムリスの会話です。

つまり、過去に何度となく「王蟲の血に染まった衣」を纏った者が現れた、という事象が起こっているようなのです。

 

それを前提として、今一度、ナウシカがセルムに呟くセリフを見てみましょう。

「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」

 

墓所は、旧人類の計画に基づき、世界を再生させようとする存在です。

その墓所の血と王蟲の血とが同じであった、というのは、つまり、王蟲の血に染まった衣を纏う使徒は、実は墓所の計画を実行するためのツールのひとつであった、ということを意味するのではないでしょうか?

(王蟲も、再生計画の道具として造られたものでしたね。)

 

「世界をとりかえる朝には結局ドレイの手が」必要となる墓所としては、人々を導くためのツールとして、「使徒」を必要としたのでしょう。

そして、人々に「使徒伝承」を流布し、更にその伝承を植え付けるために、ときどき使徒を誕生させては、人々が使徒に従うよう仕向けてきたのでしょう。とても長い長い年月をかけて。

 

つまり、「青き衣をまとい金色の野に降りたつ使徒」は、人々の救世主なのではなく、墓所が自らの計画を実行するために王蟲を介して造り出した装置に過ぎなかったのです。

そのことをナウシカは見抜いてしまった、ということではないでしょうか?

それが、実に悩ましい顔で「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」とつぶやくナウシカの姿に込められた「謎」なのではないでしょうか?

 

7巻220頁で、王蟲の血よりも青い血を浴びたナウシカが、夕日を浴びて金色に輝く大地に降り立ち、土鬼の長老たちが涙する姿が描かれます。

人々は、ナウシカを救世主たる使徒ととらえ、彼女に導かれ進んでいくのです。

 

セルムはいいます。

「それは わたしとあなただけの秘密です」

 

つまりセルムの言葉は、「青き衣を纏った者は人々の救世主などでは決してなく、むしろ人々を墓所の奴隷に駆り立てる存在だったわけだが、そんなことを人々に伝えても仕方ないので、ここは秘密にしておきましょう」、という意味だと捉えることができるのでは?ということです。

 

・・ただ、この説だと、ちょっと弱いところがあるんですよ。

たしかに、歴代の「青き衣の使徒」たちは、墓所の装置として動いていたのかもしれません。

でもナウシカは、墓所の主と対決し、その思惑を見抜き、墓所を破壊したわけですから、「墓所の装置としての軛(くびき)」から放たれているわけですね。

ならば、悩ましい顔をして呟く必要はないのでは?とも思うのですよ。

墓所の思惑は阻止したのですからね。

 

ところで、青き衣の者を引き裂いてきた皇弟ミラルパや、その兄ナムリスも、「青き衣の者たちが墓所の装置に過ぎない」ということを、もしかしたら見抜いていたのかもしれません。

 

「俺はもう生きあきた

 何をやっても墓所の主のいうとうり(原文ママ)にしかならん」

(6巻165頁)

 

このナムリスの言葉から、墓所の計画から逃れよう、軛(くびき)を断とう、としてきたことが伺えます。

また、青き衣まとう者を警戒した皇弟ミラルパが、以前はナウシカのように慈悲深く思慮深い人間であったことを示す台詞もあります。

 

「へへ 弟のでっちあげた教義とそっくりだな

 思い出したぜ お前は 百年前のあいつに 似ているんだ

 若い頃 やつは本物の慈悲深い名君だったよ

 土民の平安を心底願っていた」

(6巻153頁)

 

聡明なミラルパやナムリスは、墓所の意図に気が付いていたのでしょう。

なので、なんとかして墓所が定めた道筋から抜け出そうと画策しました。

しかし、ミラルパやナムリスの画策は、失敗に終わってしまうのです。

ミラルパもナムリスも、墓所の計画から逃れようと奮闘するのですが、墓所を破壊することまでは出来なかったため、結局「墓所の装置」の一員として、終わってしまったのですね。

 

しかしナウシカは、墓所を破壊して、軛(くびき)を断ちます。

ゆえに、彼女は「墓所の装置としての使徒」ではなくなったわけです。

くり返しになりますが、墓所を破壊し軛を断ったのであれば、「悩ましい顔」をして呟く必要はないはずですよね。

皆に「伝えられてきた青き衣の使徒は、実のところ墓所の装置に過ぎませんでした。我々を奴隷にするための仕組みのひとつだったのです。しかし安心してください。もうその軛は断たれました。我々は我々の命をこれから生きていくのです。すべては終わりました。これからすべてを始めましょう!」と宣言すればいいのですから。

セルムが「それはわたしとあなただけの秘密です」などという必要はないはずなんです。秘密にしなくて良いのです。

にもかかわらず、どうして秘密にするのか?一体なにを秘密にするのか?

 

これに答えるために、ちょっと意地悪な考え方をしてみました。

青き衣の使徒は人々の救世主ではなかったわけですが、人々を導いていく為には、青き衣の使徒伝説は利用できます。

墓所のお陰で人々は青き衣の使徒を信じきっているのですから。

そこで、青き衣の使徒が墓所の装置であったということは二人だけの秘密にして、うまく使徒伝説を利用していきましょう、と考えたのではないか、と。

「人々は愚かだから、ナウシカ、あなたは救世主であり続けなさい。このことは、私とあなただけの秘密にしておきましょう」とセルムが提案し、ナウシカがそれを承諾した、という考え方です。

これだと、筋はとおりますね。

ナウシカの苦しげな表情も理解できます。

ナウシカのなかで「人々を騙し続けようか」という悩みが持ち上がったときに、セルムが涼しい顔をして「大事の前の小事です。騙しましょう。なによりも今は、生きていくことが重要ですから」と背中を押した、と読むとぴったりきませんか?

 

でも、ナウシカですからね。直情径行で曲がったことが大っ嫌い、やや潔癖なところがあるナウシカですからね。

やっぱり、「青き衣は救世主などではありませんでした。墓所が操る装置でした。でも大丈夫、墓所は破壊され我々は自由になりました。これからが全てのはじまります。皆で進み、生きていきましょう!」と声高らかに宣言しますよねえ、ナウシカですから。

「民衆は愚かで盲目的だからうまく騙して導くべし」などとセルムがいったら、張り倒すかもしれませんよ。

 

なので、この説ですと、ちょっと謎が残ってしまう感じは、あるんですねえ。

 

その2.「生命はすべて道具かもしれない説」

 そこで、さらに考えました。

 

「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」

 

「墓」は「人間が造った生命体」のことを示し、「王蟲」は「個にして全、全にして個という、ひとつの聖なる生命体」のことを示し、この二つを対立軸として置いている。

そして、この対極的な「墓」と「王蟲」という生命体も、結局のところは「同じもの」でしかなのだ、ということ表現している。

そんなふうに解釈してみました。

なお、ここでいう「体液」とは、「生命力」を示すのではないか、と。

 

つまり、「偉大なるひとつの生命体」も「人造生命体」も、同じ「生命力」を有する同様の存在なのである、ということをいっているのではないか、というわけです。

 

さらには、「旧人類の目的遂行のために造られた」墓所と同様に、そもそも生命体は「何らかの目的を遂行するために創られた存在」なのではないのか、ということです。

 

「王蟲も墓所も同じ」というのは「聖なるひとつの生命体も人造生命体も同じ」ということであり、「人造生命体が目的遂行のために造られたのと同様に、聖なる一つの生命体もなんらかの目的遂行のために創られたのではないか」、ということです。

 

つまり、生命はすべて「目的遂行のための道具」としてつくられたのでは、という意味が「王蟲の体液と墓のそれとが同じだった」というセリフの裏に隠されているのではないだろうか、という推論なんです。

 

生命はなぜ存在するのか?

生きることの意味はなにか?

我々は、どこからきて、どこへいくのか?

 

このような哲学的な問いも、もしも我々が「道具」であるとしたら、「明確な答え」が存在してしまうことになります。

 

生命はなぜ存在するのか?

→ある目的のためにつくられた。

生きることの意味とはなにか?

→目的を遂行することに意味がある。

我々は、どこからきて、どこにいくのか?

→必要とするものが道具としてつくり、不要となれば捨てる。

 

もっとも、「目的」を知っているのは道具の制作者や使用者であり、道具そのものには「目的」を知るすべはありません。

たとえばハサミに意識があったとして、毎日毎日そのハサミは紙を切り続けるのですが、どうして自分が紙を切るのか、なんのために紙を切っているのか、ハサミには永久に知ることができないでしょう。

その行動の意味や存在の価値を理解できないままに、ハサミは壊れるまで紙を切り続けるのです。

 

ひょっとすると、ナウシカは最後の最後に、気がついてしまったのかもしれません。

墓所を破壊することで「墓所の道具」であることからは解放されました。

しかし、そもそも生命そのものが、なんらかの道具として誕生したのだとしたら?

結局のところ、我々はその軛(くびき)を断ったことにはならないのでは?

結局のところ、我々は「道具」のままあり続けるのでは?

 

ナウシカのそのような疑問に対し、セルムは答えます。

 

「それはわたしとあなただけの秘密です

 生きましょう

 すべてをこの星にたくして」

 

生命は何らかの目的のために創られた道具なのだろうか?・・そんなことは解らない。仮に道具だとしても、その道具としての目的を知りうることは不可能だ。それこそ不可知への問いに他ならない。

ひょっとしたら、そうかもしれない、我々は道具なのかもしれない。

しかし、それを人々に伝えてどうなるのでしょうか?答えようのない問いを人々に与えたところで、一体どうなるというのでしょうか?

その疑問は、わたしとあなただけの秘密にしておきましょう。

道具としての目的をこの星が知っているというのであれば、それはこの星に託せばよいのです。

我々は我々として、道具であろうとなかろうと、生きていけばよいのです・・

セルムは悟りを開いたような顔をして、そのような想いのなかで述べたのではないでしょうか?

 

もっとも、この説は国分坂の妄想的な推論に過ぎません。

かなり飛躍してます。

この「生命はすべて道具なんじゃないか説」を直截的に示すセリフは、物語中のどこにもないのです。

ただ、この物語を読み込み、あれこれ悩んでいたら、ふと浮き上がってきた推論なのですね。

 

この物語は、生命の神秘を探求する物語、といえそうです。

哲学的な問いを発し続ける物語です。

そして、この物語の一番最後に出てくるメッセージが、「生きねば・・」です。

 

「生きるとはこういうことだ」とか、「このように生きるべきだ」とかいったメッセージではなく、「だたただ、とにかく生きていかないとね、生きようね」というメッセージが、最後に示されるのです。

これはつまり、「なぜ生きるのか?」とか「どのように生きるべきか?」という問いに対しては、固定化された普遍的な回答はあり得ない、ということを暗に示しているのではないでしょうか。

 

もし「なぜ生きるのか?」という問いや、「どのように生きるべきか?」という問いに対し、「明確な答え」が存在したならば、問いを発した者は、その答えを聞いた瞬間に、その答えを遂行するための道具となってしまうでしょう。

 

この物語の最後の最後で、ナウシカは生命が存在する意味に、なにかしら気づいてしまったのかもしれません。

しかしセルムがその疑念を祓い落とすのです。

 

生きることの意味や使命は、予め定まっているのかもしれない。

いや、定まってはいないのかもしれない。

しかし、そんなことを問いてみても、意味がありません。

定められた道筋があってもなくても、我々はただ我々として生きるのです。

定めがあるとしても、我々には触れることも知ることもできないのですから。

そのような定めへの疑問は、認識の外にでも置いておけばよいのです。

そう、たとえばこの星にでも、託しておけばよいでしょう。

そして、ただただ、生きましょう・・・

セルムは、あの達観したような顔で、そのように思ったのではないでしょうか?

 

うん、この説は、やっぱり飛躍してますねえ。

作者の宮崎駿氏に「そんなこと書いてない!」と怒られそうです。

ただ私的には、仮にこの物語では語られていなくても、この物語を読んで得た到達点として、なかなか面白い仮説だなあ、と感じました。

 

すべての生命体は道具である。しかし、作成者も意図も不明だ。

(「神様」なんてものを持ち出してもいいのでしょうが、それは単なるイメージ画像のようなものでしかないでしょう。我々が道具に過ぎないのであれば、作成者や使用者の存在や意図を知覚することは、到底できないでしょうから。)

我々の存在や行動には、一定の意味があったのである。

しかし、我々はそれを知覚できない。

であるならば、結局のところ、我々は存在の意味や行動の意味から自由である。

我々が知覚しえない意味は、我々を拘束し得ないからだ。

よって我々は、存在の意味や行動の意味を、自ら自由に定めることができる。

そのうえで、ひとつの生命体の一員として、我々は大いに生きていくべきだ。

 

そんなことを、この飛躍した仮説から、私は自ら読み取ったのですね。

 

ところで、私は【ナウシカ学②-3】で、「生命の本質は増殖し存続することのみで、増殖することや存続することに意味などないのだろう」、と考察しました。

この考察と上記の「生命は全て道具」説とは、実のところ矛盾しない、両立しうるものだと思うのですね。

なぜなら、結局のところ我々には、我々生命体が意味もなく増殖しているのか、それとも何らかの目的のために創られたのか、どうしたって知りようがないことなのです。

なので我々は、自ら自由に定めることが出来るし、定めるしかありません。

 

「意味などない。ただ増殖しただ存続するのみだ」

「ある目的のために創られた。その目的は解らないが、たしかに定められた意味はあるのだ」

 

どちらでも好きな方を選べばいいし、これ以外のものを考えてもいい。

「不可知なもの」へは、そのように対応するしかないし、また対応できるのです。

そう思うのですが、如何でしょう?

 

あ~すみません、とっても長く長く飛躍しちゃいましたね・・

  

おわりに

というわけで【ナウシカ学③】「シュワの墓所」編ですが、またもやダラダラと続けてしまいました・・ごめんなさい。

纏まらないかもしれませんが、強引にまとめてみますと、以下の通りかと思います。

 

《ナウシカと墓所の主》

・ナウシカが墓所を破壊したのは、旧人類の計画を阻止するためだった。

・ナウシカからすると、墓所の計画では人類は到底救われない。

・ナウシカは墓所を破壊することで軛を断ち、生命の可能性に賭ける道を選び取った。

・ナウシカが選んだ道は、人類の枠組みを越えた生命の一員としての、存続の道なのかもしれない。

 

《最後の最後のナウシカとセルムの会話》

・青き衣の使徒は救世主ではなく、墓所が作り出した人民誘導のための装置であることを示唆している。

ナウシカはそのことを知りつつも、人民にはそれを秘密にして、青き衣の使徒として人民を導こうとしている、という一つ目の説。

・実は生命はすべからく「道具」であるということを、ナウシカが察したことを暗示している。

しかしセルムは、その問いが無意味であると諭し、生命は生命として、ひとつの聖なる生命体の一員として、ただ生きていけばよいし生きるしかない、としている二つ目の説。

 

こんな感じでしょうか。

ああ、まとまらない。

またいつの日か、じっくりと見直したいと思いますので、今日はこの辺で。

もう、くたくたです~・・ひょ~

 

というわけで、以上、生命は道具か?ナウシカ学③シュワの墓所編でした!

(歌舞伎、観に行きたいですねえ~!)

ホント、長々と失礼いたしました!

お付き合いを頂きまして、誠にありがとうございました!!

 

 

この夏!激震の「極東」! 荒唐無稽な未来予想? それとも・・?

みなさん、こんにちは~!国分坂です。

いやはや、残暑が厳しいですねえ。なんでしょうか、この暑さは。

たまに吹く風には「秋の気配」を感知できそうなのに、「分厚い熱気」がその気配を瞬時に奪い去っていくのです。

まるで、ほのかな恋心を抱き合う二人の間に、ぐりぐり割って入る邪魔者のよう。

分厚い熱気さん、馬に蹴っ飛ばされて昇天してください!

 

・・すみません、あまりの暑さに、わけ分かんないことをべらべらと・・

 

さて、今年の夏もとっても暑かったわけですが、暑かったばかりじゃありません。色々なことがありましたね。

ふと思うのですが、10年くらい後に「もしかしたらあの頃が転換期だったのかな?」といわれるような出来事が、この夏にビシバシと起こったような感じがしたり。

 

今回は、そんなことをつらつら書いてみたいと思います。

そう、国分坂名物の「妄想記事」なのです!!

お気軽にご賞味ください~!

 

 

極東をめぐる出来事

この夏、「極東」においていくつかの出来事がありました。

 

日本と韓国との数々の衝突。

香港での大規模デモ。

台湾と中国との関係悪化。

 

もちろん、これらは夏以前から発生していた問題でした。それらの問題が、この夏に一気にヒートアップした、と見るべきなのかもしれません。

 

日本と韓国との衝突には、北朝鮮の問題が絡んでいます。

香港や台湾の問題は、アメリカと中国との対立が絡みます。

 

この記事では、個々の問題に関して、あれこれと意見を述べることは致しません。

様々に生じる事象を分析し、一定の未来予想をしてみましょう、というものです。

ひとつひとつ、分析をしていきたいと思います。

(あくまでも「国分坂の勝手な分析」ですのでね、悪しからず。)

 

韓国問題

日本と韓国との対立は、長きに渡って続いてきましたが、この夏、来るところまで来てしまった、という感がありますね。

しかし、国際社会、特にアメリカなどから見れば、日本と韓国の対立は「子供のケンカ」程度のものなのかもしれません。

だって、日本も韓国も、互いに言い合いやり合っているような主張や行動を、例えばロシアなどに行えるものでしょうか?

すぐにでも「本当の戦争」になってしまいそうで、もう怖くてとてもできませんよね?

つまり、なんだかんだいっても、やはり日本と韓国とは「ある程度の関係性」が、土台としてあるのだと思います。

なので、適切な表現ではないでしょうが、「互いに甘えたり見くびったりしている」様なところはあるのでしょう。

そういう意味では、日本と韓国との「対立」は、国際社会的にはどうでもいい、大して影響を与えない事象であった、といえそうです。(ゆえに「子供のケンカ」という表現になりました。)

 

しかし、そんな「子供のケンカ」のレベルを超えてしまった事象が、この夏の終わりに発生してしまったのです。

それが「GSOMIA破棄」です。

 

「GSOMIA(ジーソミア)」とは、軍事情報の漏洩防止協定、といったものなのですが、つまり、同盟国や友好国が「軍事情報をやり取りする際に必要となる協定」なんですね。

日本と韓国は、この協定を2016年から締結しています。どちらかが破棄を申し入れない限り、継続的に自動更新される、という協定なんです。

その協定を、韓国は日本に対し破棄するよう申し入れてきた、というわけです。

 

韓国が「GSOMIA破棄」を選択したことの良し悪しは、ここでは論じません。

ただ、この「GSOMIA破棄」が、どうやら「子供のケンカ」のレベルを超えてしまった、と思われることについて述べてみたいと思います。

「子供のケンカ」を超えるレベル、すなわち国際社会に影響を与えるレベルに至った、というわけです。

 

そもそも日韓の「GSOMIA」は、アメリカの肝いりで行われたものでした。

アメリカのアジア戦略として、日本と韓国とは非常に重要な「橋頭保(きょうとうほ:作戦遂行の足場)」といえます。

長年の仇敵ロシアと、近年対立が激化している中国に対し、睨みを利かせることができる重要な拠点なんですね。

中東への関与の必要性が減少したアメリカからすると、やっと本腰を入れて対中国作戦を実行できる段階に入った、というのが近年の状況です。

(アメリカの中東関与の必要性が減少した理由は、後に述べたいと思います。)

 

アメリカとしては、長らくの同盟関係にある日本と韓国、そしてオーストラリアを中心に、東南アジア諸国、そしてインドを組み込み、「中国一大包囲網」を構築しよう、と考えているのだと思います。

(第二次世界大戦前、日本に対して行った「ABCD包囲網」と同じようなことをするのでしょうか?)

 

このような絵を描いているアメリカを前にして、韓国は「GSOMIA破棄」を強行してしまったのです。

「中国包囲網」の中心となるべき日韓の軍事連携体制に、いわば「穴をあける行為」と見られかねないことを、韓国政府は行ってしまったのです。

トランプ大統領の発言を聞くまでもなく、アメリカ政府が危機感を募らせたであろうことは、容易に想像できそうです。

 

アメリカからすれば、日韓の対立など大したことではなく、更には北朝鮮問題すら、喧嘩慣れしているアメリカには「よくある問題」でしかないのでしょう。

しかし、「対中国戦」は次の時代の覇権を左右する重要問題として、全力を挙げて対処すべき問題、とアメリカは考えているのではないでしょうか。

よって「どのようなミスも許さない」という決意が、アメリカ政府にはあるように思えます。

そのような状況下での韓国による「日韓GSOMIA破棄」は、非常にまずかった、と分析せざるを得ません。

国際社会を揺るがす問題、すなわち、「対中国一大包囲網」を潰しかねない問題、とアメリカ政府が認識した可能性は充分あります。

 

では、もしアメリカ政府が韓国による「日韓GSOMIA破棄」を問題視した場合、アメリカ政府が採るであろう行動は、なんでしょう?

まずは韓国政府に対し、「GSOMIA破棄」の撤回を、強く要求するでしょう。

しかし、その要求を韓国政府が聞き入れない可能性が高いと判断した場合、アメリカ政府は次の行動に出るでしょう。

そう、政権交代ですね。

 

たとえば北朝鮮や中国のような「独裁的政権」においては、外圧による政権交代(レジームチェンジ)はなかなか難しいといえます。

しかし、選挙により政権が交代し得る民主主義国家に対しては、情報操作や外交的圧力により世論を誘導することで、比較的容易に政権交代を起こさせることが可能だと思われます。

 今後、アメリカ政府が韓国政府の政権交代を促す行動に出るという可能性は、決して低くはないように思われるのです。

 

そのように考えてみたうえで、現在話題に上がっている韓国の「チョ・グク法相問題」は、今後、韓国政府を転覆させかねない問題に発展する可能性が高いのでは?と思ったりしています。

 

正直、私はチョ・グク氏の任命はないだろう、と考えていました。

なぜなら、韓国政府もアメリカによる政権交代を狙っての介入行動を、当然ながら警戒するはずだし、民衆的に「分かりやすい」チョ・グク氏の問題は、政権交代の切っ掛けとなり易い問題のはずだ、と思ったからです。韓国政府及び大統領は、強行突破などせずに、この問題が忘却されるまで、ほとぼりが冷めるまで待つだろう、と私は考えたのです。

しかし、違いました。

大統領はチョ・グク氏を法相に任命したのです。

残念ながら、私は大統領および韓国政府の思惑を、未だに分析できずにおります。(つまり、私の分析能力・推察能力は、その程度のものでしかないのです。トホホ・・)

 

大統領は国民を信じて強行突破したのか、それとも、なんらかの事情により、急ぎチョ・グク氏を任命しなければならなかったのか、それは分かりません。

ただ、もしもアメリカ政府が韓国政府の政権交代を狙っているとしたら、「チョ・グク氏問題」は絶好のチャンスであろう、と思うのです。

アメリカ政府は韓国検察庁に最大限の協力をするでしょうし、韓国国民に対し様々な情報を流すことになるのではないでしょうか。

そう、「GSOMIA破棄」と「チョ・グク氏問題」は、韓国の未来を大きく変える問題に発展するかもしれない、と私は分析しました。

 

香港・台湾問題

香港・台湾問題とは、つまり「中国の民主化運動問題」ですね。

この問題の背景には、やはり米中対立が横たわっているのだと思います。

 

アメリカは従来、中国に対して市場開放を求めながらも、国家体制には口を挟んだりしませんでした。

共産党独裁や人権問題には目をつぶり、台湾の存在にも気付かない振りをして「一つの中国」として対処してきました。

これについては、アメリカにもいろいろな思惑があったのでしょうが、ひとつには、「経済的に豊かになれば、自然と民主化が進み、独裁的政権は倒れるであろう」と見ていたのではないでしょうか。

しかし、その予想ははずれました。

中華人民共和国は世界第二位の経済大国となりましたが、一党独裁は終わらず、むしろ共産党独裁の引き締めが強くなっていく傾向にあります。

 

振り返ると2009年、アメリカでは親中派のオバマ氏が、大統領となりました。

以降、親中政権により米中は緊密な関係を築きますが、中国での少数民族弾圧問題や南沙諸島問題などを契機として、2011年頃から、アメリカ政府は中国に対し「抑止」政策をとるよう転換していきます。

中国の行動を警戒し、これを「抑止」しようと、アメリカは動き出したのです。

そして2016年、トランプ政権が発足します。

トランプ大統領は、選挙中に米中貿易不均衡を問題視する発言をしていましたが、大統領就任後は、「一つの中国」政策を尊重するなどと表明し、米中関係を良好に保つ意思を見せました。

しかし、2018年6月、トランプ大統領は中国製品に関税を課すことを表明し、以後追加関税措置を次々と発動していきました。

いわゆる「米中貿易戦争」が、ここに始まったのです。

 

さて、「米中貿易戦争」は、表向きは「経済」戦争です。

しかし、その裏側には「イデオロギー」戦争が隠されているように思われます。

つまり、アメリカは、経済的に中国を屈服させることのみならず、共産主義を排除し、民主的国家の樹立までを目指しているのではないでしょうか?

なお、2019年4月29日、アメリカ国務省のキロン・スキナー政策企画本部長が、興味深い発言をしています。

 

「今後アメリカは、白人文明ではない中国文明との、偉大なる対立に備えていく」

 

つまり、アメリカによる中国との対立は、「文明と文明との衝突だ」、といった意味の言葉ですね。

共産主義や民主主義という枠組み以上に大きな「文明」というカテゴリーを持ち出し、これを征服してみせる、とアメリカ政府は宣言したのかもしれません。

 

さて、このようにみてみると、香港による民主化運動や、台湾の民主的国家としての独立運動といった事象は、アメリカにとって「渡りに舟」というべき、非常に都合の良い出来事のように思われます。

いや、むしろ「アメリカが主導した?」と思いたくなるくらい、ベストタイミングな事件なのです。

更に視野を広げて考えると、香港・台湾の180度反対側では、「ウイグル問題」という、非常に深刻な人権弾圧問題が発生していました。

 

「ウイグル問題」とは、中華人民共和国の北西部「新疆ウイグル自治区」における、中国政府によるウイグル族弾圧の問題です。

「新疆ウイグル自治区」には、かつて「東トルキスタン共和国」がありましたが、1949年、中華人民共和国に統合され、現在「自治区」となっている地域です。

 

このウイグル族弾圧問題は、10年以上前から起こっていたようです。

ウイグル族はトルコ系の人々でありイスラム教徒であることから、中国政府のウイグル族弾圧に対し、2009年、イスラム教テロ組織のアルカイダ幹部が「中国に対する聖戦を表明する」という事件も発生しています。

そのようなこともあってか、イスラム教テロ組織と対立していたアメリカ政府は、「ウイグル問題」には関与しようとしてきませんでした。

しかし、米中対立の激化や、アメリカの中東軽視の流れから、2018年7月頃より、アメリカ政府によるウイグル問題への介入が始まります。

アメリカ政府は中国政府によるウイグル族の弾圧を重大な人権問題とみなし、これに対する制裁発動も検討しはじめるのです。

 

そう、中国政府からすると、「ウイグル問題」は少数民族の離反・独立という、国家体制維持からすると非常に危険な問題を孕み、かつ、アメリカが「経済戦争」から一歩前進し「武力戦争」の準備段階に入ったとも分析し得る、とっても恐ろしい大問題となったわけです。

当然ながら、中国政府は、ウイグル自治区に対して、全精力を注ぎ監視体制を敷いてきたはずです。

しかし、事件はそこから180度反対側で起こりました。

ウイグル自治区の180度反対側、香港で大規模な民主化運動が勃発したのです。

まさに、中国政府の虚を突くように。

 

将棋や囲碁、戦略ゲームがお好きな方であればピンと来そうですよね。

相手が注視している場所の反対側を攻める。常套手段です。

そのように考えると、香港のデモが「自然発生的に起こった」というのは、ちょっと出来すぎのようにも思えます。

たしかに「逃亡犯条例改正案」は、香港市民に対し、非常に重要な問題を突きつけたわけですが、それにしても「デモのやり方」が見事なのです。

誰かが、非常に戦略に長けた軍師のような人物が、実に巧妙な絵を描いたのでは?と思いたくなるのです。

アメリカ国防省でしょうか?それともCIA?

どうなのでしょう?

 

もしも、アメリカがバックについているのだとしたら、香港のデモは簡単には収束しないでしょう。

むしろ、台湾と連動しながら、民主化運動を推進・拡大していくでしょう。

さらには、新疆ウイグル自治区との連携すらあるかもしれません。

そして、もしも新疆ウイグル自治区と連携するようなことが起これば、民主化運動の波は、チベット自治区、内蒙古自治区、寧夏回族自治区、広西チワン族自治区などの少数民族たちへ飛び火し、更には漢民族全体へと広がっていくかもしれません。

燎原の火のごとし。

ソビエト連邦崩壊を間近で見ている中国共産党としては、決して絵空事とは思わないでしょう。

 

閑話休題・アメリカの中東離れ

ちょっとだけ話がずれますが、「アメリカの中東への関与の必要性が減少した」ということを、記事中に何回か述べました。

これは、アメリカが「シェールガス」「シェールオイル」の開発に成功したことで、近い将来、アメリカが「エネルギー輸入国」から「エネルギー輸出国」に転換していくであろう、ということからきています。

アメリカが事あるごとに中東に介入してきたのは、石油資源の確保のためでした。

ところが、自国でエネルギーを賄えるようになり、かつ、輸出すらできるようになることが明らかになった今、アメリカの中東への興味は、急激に減少したわけです。

アメリカが「エネルギー保有国」になることは、とんでもなく重大なことです。

アメリカが「世界の警察」を自任していたのは、「世界のエネルギー利権を確保するため」、という一面もあったのだと思います。

そして「エネルギー保有国」となった今、アメリカが「世界の警察」である必要性はなくなったのです。

トランプさんの「アメリカンファースト」は、そこから来ている言葉であると分析できるのですね。

「エネルギー確保問題」が無くなった以上、「世界の警察」という「建前」を取っ払うことができた、とみることができる、というわけです。

ちょっと怖い話ですよね。

 

閑話休題。

話を戻しましょう。

 

勝つのはどっち?

さて、共産党首脳部からすると、民主化運動は「本当の悪夢」です。つまり、民主化が実現すれば、首脳陣は皆、処刑台の露と消える可能性が大、なのです。

なので、本当に「命がけ」で、共産党首脳部は民主化運動を阻止しようとするでしょう。

一方の民衆たちは、どうでしょうか?

民主化運動を強行すれば、「命がけ」となった共産党首脳部が指揮する軍隊に、虐殺される可能性すらあるのです。

つまり、民衆も、民主化運動を命がけで行わなければならないわけです。

そして、アメリカが経済戦争を仕掛けている現在、民主化を果たさなければ、経済的に国を潰されてしまう可能性も大なのです。

行くも地獄、行かぬも地獄。

中国国民としては、非常に厳しい状況となります。

 

民主化運動がどこまで進むかについては、ひとつには「アメリカの介入度合い」による、とも考えられるのではないでしょうか。

アメリカが「民主化運動を徹底的に推進させ、中国を民主的国家に変革させる」と決意すれば、「経済包囲網」による封鎖を徹底し、かつ、台湾や自治区を独立させ、それらの政府を使って共産党を壊滅させる、という武力闘争も辞さないかもしれません。

 

または、アメリカが「中国共産党が拡大路線を捨て、アメリカンスタンダードに服従するのであれば、ある程度のところで矛を収めよう」とした場合は、香港や台湾、自治区等は独立するかもしれませんが、中華人民共和国本体は、一応共産党支配体制のまま、存続することになるのかもしれません。

 

では逆に、中国共産党がアメリカ政府に打ち勝つ、というシナリオはあり得るのでしょうか?

アメリカによる中国包囲網を分断し、周辺国を取り込み、アメリカ経済に対抗可能なブロック経済体制を完成させる。(これが「一帯一路構想」なのかもしれません。)

そのうえで、離反・独立を目指す地域を、1つずつ潰していく。

中国共産党の強みは、なんといってもその「独裁体制」ですね。多少無理でも、やり抜くことができます。

これに対してアメリカ政府は、民主主義国家として、国民の支持を得られない政策を継続していくことは難しい、という弱点があります。大統領にも「任期」がありますし。

 

ただし、アメリカの強みは、なんといってもその経済力です。中国が世界第二位の経済大国といっても、アメリカとの差は歴然としています。

アメリカが「貿易戦争」で中国に攻勢をかけ、中国国民が肌感覚で経済危機を感じるところまで中国を締め上げることになれば、中国共産党は膝を屈することになるかもしれません。

ただ、「貿易戦争」は当然ながら、アメリカ国民にも不利益をもたらします。

アメリカ政府が中国共産党を屈服させるには、アメリカ政府がアメリカ国民に対して、「対中貿易戦争」の正義と、痛みを分かち合うことの必然性を説いて、納得させることができるか、にかかっているように思われます。

(そういう意味では「ウイグル族弾圧問題」は、アメリカ政府として非常に重視すべき問題といえそうです。アメリカ国民は「正義の旗印」を見ると燃えますからね。)

 

もしかしたら到来するかもしれない極東の未来

私の分析・予想はまず当たらないのですが(前出の韓国「チョ・グク氏任命問題」のように)、それでも憚りながら申し上げますと、今後到来する極東の未来は、例えば次のようなものが考えられるのではなかろうか、と。

 

《パターンA》

・香港民主化運動が更に拡大し、台湾との連携強化。大陸沿岸部にも運動飛び火。

・米中貿易戦争激化により、中国企業の株価暴落、中国から資産流出。

・ウイグル問題の国際的認知が進み、中国政府による弾圧が終息。

・韓国で親米政権樹立。

・台湾が「中華民国」として国連に承認され、加盟する。

・チベット亡命政府がアメリカ・イギリス・インドの支援を得てラサに戻る。

・「チベット」が独立国として国連に加盟する。

・ウイグル自治区が「東トルキスタン共和国」として国連に加盟する。

・中国東北部で朝鮮族による独立運動激化。

・ロシアによる中国東北部への介入がはじまる。

・中国東北部で、ロシアと北朝鮮の小規模な軍事衝突が勃発。

・中国の要請を受け、アメリカ主体の国連軍が中国東北部で治安維持活動を開始。

・中国東北部が朝鮮自治区となる。

・アメリカ支援の下、朝鮮自治区が独立し、北朝鮮とともに「朝鮮連邦共和国」として国連に加盟する。

・アメリカ支援の下、大韓民国が「朝鮮連邦共和国」に併合され、朝鮮半島及び朝鮮族の単一国家が樹立。

・中国共産党の首脳陣が、大挙してアメリカに亡命する。

・中華人民共和国において、憲法が改正、施行される。

 

《パターンB》

・トランプ大統領退任後、アメリカに親中政権が樹立。

・米中貿易戦争、終息。

・香港における特別行政区の廃止。

・新疆ウイグル自治区が新疆省となる。

・アメリカに台湾の中華民国亡命政府が樹立。

・台湾が台湾省となる。

・中華人民共和国において自治区制度が廃止され、すべて省に編入される。

・西沙諸島及びパラセル諸島が西沙省となる。

・南沙諸島及びスプラトリー諸島が南沙省となる。

・大韓民国が、北朝鮮人民共和国に併合される。

・日本が、AIIB(アジアインフラ投資銀行)に加盟。

・沖縄・八重山諸島が中国支援の下「琉球国」として独立し、国連に加盟する。

 

・・・自分で書いていて恐ろしくなりました。

パターンAもパターンBも、どちらも恐ろしいです。

・・しかし、パターンAにしろパターンBにしろ、このような未来を目指して活動している人々が、おそらくは実在するように思うのです。

「政治なんてよくわからない」「国際政治なんて興味ない」なんて言っているうちに、世の中は、少しずつ動いていくのかもしれませんね。どうしましょう。

 

終わりに。未来を予想してみる意義など

「政治なんて、誰がやっても同じでしょう~?」なんて思ったりすることもあるんですが、しかし、お隣の国などを見て、「政権により国の未来がダイナミックに変わり得るんだ」、ということを、今回つくづく実感させられました。

 

現代社会は、とんてもないスピードでダイナミックに動いている感じがしますよね。(インターネットによる情報の大量受信・大量発信が、社会の変革速度を加速させているという向きもあるのかもしれませんね。)

外の国のことは、情報をかき集めると、ある程度は客観的に見えてきますから。動きが分かりやすいです。

もちろん、動いているのは外の国ばかりではありませんよね。

気が付きにくいですが、もちろん、わが国も様々に動いているはずです。

 

それらの動きの良し悪しは、できれば「自ら」分析して判断したいものです。

そのためには、情報をかき集め、自分なりに分析し、将来予想をたてる、ということが有効であるように思います。

将来の予想を立ててみると、今現在の動きが、「自分にとって」良いものか悪いものか、判断し易くなりますからね。

それが、私の考える「未来を予想してみる意義」といえます。

 

さてさて、私が予想したパターンAもパターンBも、私からすれば、どちらもキナ臭くて恐ろしいモノのように思えます(自分で予想したのですが・・)。

 

もうちょっと、なんていいましょうかね、お互いに尊重し合って助け合って、いろいろ問題があってもなんとか帳尻を付けながら、ちょこちょこ軌道修正しながら、共になんとかして生きていく、といった未来を描くことはできないものか、と思ったり。

・・見通しが甘いですかねえ。すみません。

 

でも、人生は「一回こっきり」ですからね。

誰だって、どんな人間だって、「生きるっていうのは、いいもんだなあ」と心底思える世界がいいなあ、と。そんな世界を創っていけたらなあ、と。つくづく思うのですね。

早い者勝ちではなく、みんなで分け合えないかなあ、と。

私、よく思うのですが、「人の不幸は蜜の味」、なんて言葉は絶対に嘘だと思うのですよ。だって、もしも他の人の幸福を自分のことのように楽しめたら、人の数だけ自分が幸せになれるのわけですからね。そっちの方が良いに決まっている。単純な足し算だと思うのです。

 

人の物を奪い取って、奪い返されることに戦々恐々とするより、満腹になれなくても皆で分け合って、「もっと食べたいよねえ~」と笑い合う方が、圧倒的に幸せなような気がするのですが、どうなのでしょうね。

 

とはいっても、相手が奪おうとするならば、やはり防衛せざるを得ませんからね。

本当に、難しいものです。

弾圧をしたり、統制したり、強奪したり、独占したり。そういうことは、絶対に許すことはできません。

ただ、「そんなことをしてしまうのはどうしてだろう?」という視点は、持ち続けたいと思うのです。

「そのひとが、その行為をした原因・背景はなんじゃろな?」という視点です。

 

そのような視点が「罪を憎んで人を憎まず」に繋がるのかなあ、と思ったり。

非常に難しいことですが、「みんなで分け合える社会」にするためには、「罪を憎んで人を憎まず」が鍵となる観念であろうと、個人的にはときどき思ってます。

(いやいや、人を憎んでしまうこと、多々ありますよ。修行不足です。反省~。)

 

そして、例えばですが、私的には、あくまでも趣味的独善的な「罪を憎んで人を憎まず」という価値観を可能な限り広げていきたいと思ったりするのですが、そのためには「世の中の動きをみること」がとても重要だと思うのです。

一個人が世の中の動きをどうこうすることはできませんが、発言はできるのです。

世の中の事象を分析し、自分なりの将来予想を立て、「予想通りの世の中だと、自分の価値観が広げられない、潰れてしまう」、と感じたなら、届くかどうかは分かりませんが、世の中に対して「ぶう~ぶう~っ」と発言してみると良いのではないでしょうか?

一石を投じる、というヤツですね!

何かが変わるかもしれませんよ?

 

そんな発言をしてみる前段階として、「世の中の動きをみてみよう」、「荒唐無稽でもいいから未来を予想してみよう!」という試みを、今回はしてみた次第なのです。

如何なものでしょうかね?

 

いやはや、「夏を振り返ろう」と思いきや、ずいぶんだらだらと荒唐無稽なことを述べてしまいましたね。夏はひとを大胆にしてしまうのですねえ。困ったものです。

 

というわけで、すみません、ながながと述べてしまいました。

乱文にお付き合いを頂きまして、誠に恐縮に存じます。

ありがとうございました!

以上、「この夏!激震の極東!荒唐無稽な未来予想??」でした!

 

今週のお題「夏を振り返る」)

8月31日まで!「妖怪博士」が待っている?「没後100年展」と「哲学堂公園」へGO!

みなさん!こんにちは~!国分坂です~!

なんだか、急に秋の訪れを感じるこの頃ですが、みなさん如何お過ごしでしょうか?

 

ところでみなさん、「井上円了没後100年展」には、もう行かれましたよね?

 

 

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・・・え!・・え~っ!!

まだ行っていない!?

えっ!行くつもりもない!?

・・なんとっ!なんですと!!

 

そもそも、「井上円了ってだれ~?」というお声すら聞こえてきそうですね。

「井上陽水さん」のお父さんではありませんよ。

 

 

かの「妖怪博士」、井上円了(いのうえ えんりょう)博士でございます。

私が「世界で尊敬する人物ベスト50」の一人に入るご仁です。

 

ときに「妖怪バスター」とも謳われた人物です。

薄暗き明治の代に光明をあて、蒙昧な闇を払拭し、巷にはびこる妖怪・幽霊を駆逐していった人物です。

しかし、おそらくは誰よりも妖怪・幽霊を愛してやまず、真剣にこれらに向き合ったひとでもあるのです。

 

私の「怪異に対するスタンス」は、多分に井上円了博士から影響を受けていると思われます。先日の「神津島の山路の怪異とその解明」は、円了先生に小論文を提出したいくらいです。

 

(「神津島の山路の怪異って?」と思われた方は、下記過去記事をご参照ください!記事の中盤辺りに「不思議で奇妙な体験」のお話を載せています~ ↓↓↓ )

 

www.kokubunzaka.com

 

えっと、つまり何が言いたいかといいますと、井上円了氏は、妖怪や幽霊というものを本気で分析し、至極真面目に研究した、とっても素敵でチャーミングな博士なのだ、ということなのです。

今年はその妖怪博士の没後100年に当たる年で、それを記念し「中野区立歴史民俗資料館」にて企画展が開催されている、ということなのです。

 

その名も「井上円了没後100年展」

その開催期間が、なんと8月31日(土)まで!

入館料は、なんと無料!!!

(場所は東京都中野区江古田4-3-4、中野区立歴史民俗資料館。)

 

今日は、みなさんに「これは是非とも行かねば!!」と思って頂くために、ひとつ記事をこしらえて啓蒙(洗脳?)差し上げよう!という次第なのです!

(ワタクシも「妖怪学」を志す者として、井上円了博士の弟子筋の一員の末席の端っこの方を穢す身と、ひとり勝手に任じておりますゆえに~!)

 

 

妖怪学と井上円了博士

井上円了博士は、安政五年(1858年)に新潟県長岡市の真宗大谷派・慈光寺で生まれ、大正八年(1919年)6月6日に亡くなりました。

夏目漱石先生(1867年~1916年)と同時代のひとです。

もうひとりの高名な妖怪研究者である柳田國男博士(1875年~1962年)は、井上円了博士よりちょっと年下ですが、やはり同時代の人物です。

 

 井上円了博士と柳田國男博士は、ともに「怪異」を学問対象とした人物ですが、そのスタンスは異なります。

井上円了博士が科学をもって、蒙昧なる迷信を廃し、「妖怪バスタ―」として活躍したのに対し、柳田國男博士は人々の妖怪を視る心理を取り上げ、これらを「民俗学」として昇華させました。

(当然、柳田國男博士も私の「世界で尊敬する人物ベスト50」の一人に入るご仁であり、私の「怪異に対するスタンス」に、やなり多大なる影響を与える人物です。)

 

一般的に、柳田國男博士は人々の妖怪を求める心理を「民俗学」としてすくい上げたのに対し、井上円了博士は近代合理主義のもと、妖怪を排除し撲滅していった、といわれたりしています。

しかし私は、このような説明がなされるのに対し、半分は正しく半分は間違っている、と思っております。

たしかに井上円了博士は、科学的手法により妖怪を分析し、偽怪(ぎかい:偽物の怪異)を排斥していきました。

しかしこれは、井上円了博士が本当の怪異、すなわち真怪(しんかい)を心の底から求めていたからだ、と思うのです。

井上円了博士は、本当に本当に、妖怪や幽霊が好きだったのだと思うのです。

だからこそ、本当の妖怪、本当の幽霊を探し求めたのです。

「必ずや、本当の怪異はある!」と信じて、だからこそ嘘や偽物の怪異を容赦なく白日の下に暴き、迷信や妄信を排斥したのだと思うのですね。

 

井上円了博士は、以下のような分類で、「妖怪学」を展開しました。

 

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「妖怪」には「虚怪(きょかい)」と「実怪(じつかい)」があり、「虚怪」には「擬怪(ぎかい)」と「誤怪(ごかい)」とがある、とします。

「擬怪」は嘘やデマからうまれたものであり、「誤怪」は偶然の産物を誤って怪異と認識してしまったものである、といいます。

そして「実怪」には、「仮怪(かかい)」と「真怪(しんかい)」とがあり、「仮怪」には「物怪(ぶっかい)」と「心怪(しんかい)」とがあります。

「物怪」は物理的な妖怪であり、「心怪」は心理的妖怪ですが、ともに物理学や心理学で説明可能な現象である、といいます。

そして「真怪」は、「超理的妖怪」であり、解明不能な「本当の妖怪」である、とするのです。

 

つまり、井上円了博士が探求した妖怪学は、不可解・不明瞭なものを明らかにしていき、最終的に「不可知」なものを見出したい、というものだったのではないでしょうか?

現代科学では、実に様々なものが明らかになっていきましたが、同時に、不可知なものも見出されて続けてきました。宇宙空間における「暗黒物質(ダークマター)などはその代表例でしょうか。

このような研究こそが、井上円了博士の求める妖怪学、「真怪(しんかい)」の探求だったのだと思われます。

 

井上円了博士は「妖怪バスタ―」として、妖怪を排除・撲滅しようとした、といわれますが、実際のところ、相当な妖怪好き・お化け好きだったと思われる証拠があります。

それがコレ。

博士の「どくろコレクション」や「狐狸(こり)コレクション」です!

(「狐狸(こり)とは、人を化かすといわれたキツネやタヌキなどです。)

 

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円了博士は、ドクロやタヌキ、狐のグッズが大好きだったようで、様々に収集していたようですよ!

更には「幽霊像」なんかも!

 

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口を開けて歯を出して笑っている幽霊だそうで。

円了博士、根が真面目で正直なので、ついつい妖怪や幽霊を分析し、その現象を解明して駆逐してしまうのですが、本当は妖怪や幽霊が好きで好きでたまらなかったことが、これらのグッズ等からうかがえるのですね。

(これらの展示物には「井上円了没後100年展」で逢えますよ~)

 

さて、円了博士が最初に取り組んだのが「コックリさん」の研究だったそうです。

「コックリさん」て、みなさんご存知でしょうか?

 

私、高校生の時、クラスの女の子に「放課後、秘密のことを教えてあげるからおいで」と誘われ、なにやら勘違いしてドキドキしながら赴いたら、数人の女の子がテーブルを囲んで妙なことをしていた、というのを記憶してます。(高校生の頃から民俗学の本など読んでいたので、どうも「オカルト好き」だと思われたようです。)

そのときにクラスの女の子たちがやっていたのは、ひらがな五十音が書かれた紙に十円玉を一枚置き、ふたりがその十円玉を人差し指で押さえ、「こっくりさんこっくりさん、教えて下さい」などと唱え任意の質問をすると、十円玉が勝手に動き出し、その動く先の平仮名を結ぶと答えになる、といったもののようでした。

(今思えば、ちゃんと観察して分析しておけばよかったのですが、そのときは「なんだ~、告白とかじゃないのか~」と、拍子抜けしてがっかりして、ぼけ~っと突っ立っていたように覚えてます。)

 

さて井上円了博士ですが、大学在学中に「不思議研究会」なるものを発足し、研究会はあえなくすぐに解散したようですが、その後も一人、研究を続けていたそうです。

その研究第1号が「コックリさん」だったとか。

 

「コックリさん」は明治19年頃から大流行していたそうですが、円了博士は、その起源が明治17年に静岡県伊豆下田に流れ着いたアメリカ帆走船の乗組員がもたらした「テーブル・ターニング」である、と突き止めたのです。

 

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その当時は、三本の竹で三又の脚を作り、その上に米びつの蓋をのせ、その上に布をかぶせたもので「コックリさん」をやっていたようですよ。

 

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「血気盛んな若者、嫉妬深い女性は効果が出やすく・・」などと、かなりの「問題発言」をしておりますが、実際のところはどうなのでしょうね。

偏見・差別的固定観念を完全に排して、公平・公正に観察できていたのでしょうか?円了先生に確認したいものですね。

 

しかしまあ、円了先生、その後も妖怪学に突き進み、明治29年には6冊からなる『妖怪学講義』を刊行します。

この『妖怪学講義』、当時の文部大臣に評価され、宮内大臣から明治天皇に奉呈され、明治天皇の愛読書になったのだそうですよ。

 

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こちらの「妖怪学講義」は、「井上円了・妖怪学全集」(1~6巻)に収録されております。

《参考》妖怪学全集(全6巻) | 東洋大学

 

とんでもない書物です。その内容たるや膨大なる怪異の解析に終始し、本を読んでいると呪いのためか左手首に痛みが走るのです!

(いやいや。単に分厚くて重いから手首が痛くなるのではありません。呪いです。)

 

 

なお、井上円了博士は妖怪博士のみならず「哲学者」としても有名ですが、哲学的精神修養の場として中野区に「哲学堂公園」を創設します。

「哲学的世界観」を視覚的に表現しようとしたユニークな公園なのですが、そこには「哲理門」別名「妖怪門」という名の門があります。その門、通常「仁王像」が安置される場所に、「天狗像」と「幽霊像」とが安置されているのです。

現在はレプリカが安置されているそうですが、なんと修復された初代の「天狗像」「幽霊像」が、本邦初公開で「井上円了没後100年展」に展示されていました!

 

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左の「幽霊像」と、右の「天狗像」。

 

うーん、立派です。しかし、幽霊はあまり幽霊っぼくない感じですが(怖くない)。

「天狗」は物質的世界と陽性なるもの、「幽霊」は精神的世界と陰性なるものを具現化しているそうです。

円了先生は、この「天狗像」と「幽霊像」とが安置された「哲理門」を、「初学者の心を表したもの」としたそうです。

学問を始めた者が、少し学問ができ始めると天狗になり鼻にかける姿、またある者は、その学問に迷い込んで幽霊みたいにフラフラと青白い顔をした足腰のない者になる、という戒めを込めているのだとか。

ユーモアの中に真理が込められている、そんな感じですね。

 

学問により真理を追究すべしとした円了博士は、生半可な状態で奢ったり落ち込んだりするものではない、真摯に求め続ければ、やがては必ずや真理の一端に達するであろう、と諭したのではないでしょうか。

 

身近にある不明瞭なものも、深淵なる学問的謎も、等しく考え追求していくことで、この世とはなんだ?生きるとはなんだ?という「哲学」に収斂していくのでしょう。

「妖怪学とは哲学に通じる道であり、また哲学は妖怪学に続いていく道である」と、井上円了博士は考えていたのではないでしょうか。

 

ゆえに「哲理門」にして「妖怪門」。

幽霊と天狗とに迎えられてその門を潜れば、哲学の庭や小路に遊ぶことができよう、そんな意味を感じることができそうです。

これは是非とも「哲学堂公園」に赴き、実際に「哲理門」を潜ってみなければなりますまい!

 

ご安心を。

実は「井上円了没後100年展」が開催されている「中野区立歴史民俗資料館」から「哲学堂公園」までは、歩いて10分もかかりません。

そう、実のところ、この「井上円了没後100年展」で井上円了博士の想いを知り、妖怪学や哲学に対する興味が掻き立てられたら、その足で「哲学堂公園」に向かうのが「正しい楽しみ方」だと思われるのです!

 

ちなみに、「井上円了没後100年展」は企画展であり、特別会場一部屋のみの展示です。

興味深い展示物が並んでおりますが、一般的な方であれば30~40分、妖怪好きであれば1時間超、所要時間はその程度かと思います。

 

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ここで貴重な情報を得て頂いたら、そのまま直ちに「哲学堂公園」へGO!!

 

哲学堂公園へ

では、早速「哲学堂公園」に向かいましょう!

「中野区立歴史民俗資料館」を出ましたら、目の前のバス通り(新青梅街道)を左手に進みましょう。

通りを進むと「ガスト 中野江古田店」がありますので、ここでお食事をとって頂いても結構ですが、更に進むと通りの反対側に「コモディイイダ 沼袋店」があります。

 

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ここで食べ物や飲み物を購入し、「哲学堂公園」で頂く、という選択も可能でしょう。

なお、今年は井上円了博士の没後100年ですが、コモディイイダは100周年なのだそうですね。

ちなみに、東京司法書士会も今年100周年で、司法書士の日記念事業にて、コモディイイダさんのご協力を頂きました。

「100年」繋がりですね~

 

あ、そうそう、できれば通りの右側(コモディイイダ側)に渡るようにしてください。

下の写真、江古田公園入口から入っていくのですが、江古田公園の前に信号がないため、通りの右側を歩いていないと不便なのです。

 

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ここから中に入り、そのまま直進してください。

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公園を突っ切るようにして進むと、川沿いの細い道が現れますが、ここも直進。

やがて信号が現れますが、ここを渡れば「哲学堂公園」です。

 

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「哲学堂公園」、結構広いですよ。

そして色々な場所に数多くの「名所」が配置されているのです。

 

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たとえば、これ。

 

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狸燈(りとう)。

お腹の穴に灯籠(とうろう)を仕込むのだそうです。

解説には「人間の心情には狸に類するものがあり、しかも時には光輝ある霊性を発することもあるとして、腹中に燈籠を仕込んである」とあります。

分かったような、分からないような。

こんな妙な「解説」が、公園のあちこちに突っ立っているのです。

面白いでしょう~!

 

なお、この狸燈があるのは「唯物園」という所。

 

 

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「唯物園」の解説には「唯物論的寓意をもつこのあたり一帯をいい、下流河畔の唯心庭とともに、哲学的名勝の一つである」とあります。

これで「解説」を済ませた気でいるのだから、面白いです。

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この凄いのは「鬼燈」。

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解説には「唯物園の狸燈に対した燈籠で、人の心中に宿る鬼にも良心の光明は存することを寓している」とあります。

この「鬼燈」、どこにあるのか探してみて下さいね!

 

さてさて、こんな感じで、妙な置物や妙な名勝、妙な看板が点在する公園ですが、哲学に興味が無くても、その風景の美しさには心を動かされるのではないでしょうか。

 

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この朱い塔は「六賢臺(台)」といい、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、そしてインドの龍樹・迦毘羅が祀られているそうです。

なお、指定された公開日には、中に入れるそうですよ。

 

(下記サイトをご参照ください。) 

tetsugakudo.jp

 

そしてこれは「三角づくしの三学亭」。

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世界的な「四聖堂」、東洋的な「六賢臺」に対して、日本的な「三学亭」だそうです。

日本的な三道(神道・仏教・儒教)の研究家として、最も著述の多い平田篤胤(神道)、釈凝念(仏教)、林羅山(儒教)を称えているそうです。

その解説も面白いのですが、その造形もなかなか美しく楽しめます。

 

こちらはその名も「絶對(絶対)城(ぜったいじょう)」。

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なんとも大仰な名前ですが、図書館なのだそうです。

解説に曰く「万巻の書物を読みつくすことは絶対の妙境に到達する道程であって、哲学界の万象はこの読書堂にありとしてこの名がある」のだそうです。

 

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「哲学堂図書館」の碑を支えるお子ちゃま二人。

本気なんだか冗談なのか、分からないところが実に面白いのです。

 

さてさて、いろいろ見て回りましたが、漸く「哲理門」にたどり着きましたよ。

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さて、門の中に「幽霊」と「天狗」はいるのでしょうか?

 

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・・・いました!

 

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うーむ。レプリカですからね。まあ、仕方ないですね。

レプリカをみると「没後100年展」に展示されていたオリジナルの凄さが分かりますねえ。

 

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しかしですね、お化け屋敷でもあるまいに、レプリカといえど「幽霊」と「天狗」が門のなかに安置されている「公園」なんて、ここ「哲学堂公園」以外にあるのでしょうかね?

そう、ここ「哲学堂公園」は、もうすでにちょっとしたレジャーランド並みの面白さをたたえた公園なのです。

ここでいう「面白さ」は、知的興味と諧謔とが混ざり合ったような、少し大人の面白さではありますがね。

でも、おそらく、子供にもとても面白い公園だと思いますよ。

妙な置物や妙な建物、細いくねくね道や薄暗い道、そんなものがあちこちにある公園ですから、面白くないわけがありません!

 

思索しながら散歩するもよし、子供と駆け回るのもよし。

本当に素晴らしい公園です。

 

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最後に一つ。公園内に「筆塚」というのがありましてね。

 

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この解説がとても面白く、心を温かくしてくれるのです。

「字をかきて 恥をかくのも今暫し(いましばし) 哲学堂の出来上がるまで

哲学堂は井上円了博士が全国巡遊中、求めれて各所で揮毫(きごう)した際の謝礼を基金として開設されたものであるが、その謝意を含め、かつ、筆供養のための記念碑として造られたのがこの筆塚である。」

 

「拙筆居士」と自称していた円了博士は、求めに応じてその場で揮毫したそうで、今もたくさんの円了博士の書が残っています。

そして、書をしたためた謝礼にお金を頂いていたそうですが、円了先生、そのお金はこの「哲学堂公園」に注ぎ込んだのだそうです。

 

「字をかきて 恥をかくのも今暫し 哲学堂の出来上がるまで」

 

なかには意地悪く、口汚く、円了先生の謝礼金集めを揶揄した者もあったでしょう。

しかし円了先生は、恥を感じながらも耐え、世の中に妖怪学と哲学とを広めるために、この「哲学堂公園」を創設するために、西に東に奔走し、求められるままに揮毫し続けたのです。

北は樺太から南は沖縄まで、その生涯における公演回数は5291回。講義中に倒れ、61歳でその生涯を閉じたのだそうです。

 

真面目で正直で嘘や欺瞞を許すことができず、でもユーモラスで子供のような愛らしさを兼ね備え、人々に揶揄されながらも信念を曲げずにやり通したひと、それが井上円了博士なのです。

素敵ですよねえ。

 

アクセス

まずは「中野区立歴史民俗資料館」から。

・西武新宿線「沼袋駅」から徒歩8分。

・都営地下鉄大江戸線「新江古田駅」から徒歩15分。

・JR中央線「中野駅」北口、練馬駅行(京王バス中92系統)または江古田駅行(関東バス中41系統)で「江古田二丁目」下車徒歩2分。

※なお、「中野駅」北口の江古田駅行(関東バス中12系統)は「江古田二丁目」では止まりませんので、もしもこれに乗ってしまったときは、「哲学堂公園入口」または、その次の「哲学堂」で下車し、そこから歩くと良いでしょう(徒歩10~15分程度。)

 

次に「哲学堂公園」です。

・西武新宿線「新井薬師前駅」から徒歩12分。

・都営地下鉄大江戸線「落合南長崎駅」から徒歩13分。

・JR中央線「中野駅」北口、江古田駅行(関東バス中12系統)で「哲学堂公園入口」下車1分。

 

私は、JR中央線中野駅からバスに乗りました。

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中野駅の北口にはバスのためのロータリーはなく、サンプラザ中野の前の道路に、バス停が並んでいます。

 

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「哲学堂公園入口」で下車し、「哲学堂公園」を経由して「中野区立歴史民俗資料館」を目指すことにしました。

「哲学堂公園入口」から「中野区立歴史民俗資料館」までは、徒歩15~18分程度だと思います。

 

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「哲学堂公園入口」近くの公園入口。

ここから真っ直ぐ、真っ直ぐ進んでいくと、江古田公園を経由して、新青梅街道にぶつかります。

 

進んでいくと、道に「動くヒモ」が落ちていました。

なんだろ?と思ったら、蛇。

 

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おおっ!珍しい!

 

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妖怪博士の展示を観に行くのに蛇に出会えるなんて、なんとも幸先のいい話ではありませんか!
(「蛇の怪」というのも、妖怪学ではテーマとしてあがってますね。)

 

江古田公園を通り抜け、新青梅街道に出たら左に向かって真っすぐ。

通りの右側沿いに「中野区立歴史民俗資料館」が現れます。

 

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なお、入り口の受付で下のような「本のしおり」を貰えます。

(受付に置いてあるはずですが、もしも無ければ入口左手にある事務室で、事務員さんに声を掛けるとくれるようです。)

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なかなか厚手でしっかりした「しおり」。

哲学堂公園に持っていく本に挟むには、これ以上ない最適な「しおり」です!

 

さて、2階に上がりましょう。左手奥に特設会場「井上円了没後100年展」が開催されているはずです!

なお、「クイズラリー」にチャレンジし、全問正解すると「オリジナルステッカー」がもらえるのです!

10種類近くある「オリジナルステッカー」のなかから、好きなものを1枚だけ頂けるのですが・・・

悩みに悩んで私が頂いたのが・・

 

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これ。提灯おばけ? なんで私、これを選んだのだろう。

ちなみに、この「オリジナルステッカー」は、下の松岡緑堂写「百鬼夜行」からとっているようです。

 

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この百鬼夜行図、もう本当に素晴らしい!

 

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妖怪たちの百鬼夜行を、鍾馗を先頭とする軍団が迎え撃っています。

百鬼夜行の先陣を預かる「木の妖怪」はまっぷたつに。

 

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あ!私がもらった「一つ目のちょうちん」もいる~!

でも、「一つ目ちょうちん」の上にいる、おそらく百鬼夜行の大将と思われる「見越し入道」の方が、どう考えても素敵です。

どうして私は、「見越し入道」のステッカーにしなかったのだろう?

 

もしや「一つ目ちょうちん」に、私は魅入られてしまったのかしらん?

 

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なにやら弓を構えた孫悟空のような、猿の妖怪もいますねえ。

おっと、この豆腐小僧は結構こわもてです。

 

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一体一体、結構しっかりと描かれていますね。

なかなか画力のある絵師のようです。

 

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オコゼに乗ったお歯黒の妖怪。これ、一番好きなのですが、ステッカーはありませんでしたねえ。

お歯黒「はよ!はよお行き!お行きったら!オコゼよお!」

オコゼ「うほっ。うほっ。重いのお、重いのお~、お歯黒のお~」

 

そんな感じでしょうか?

 

日本の漫画・アニメは世界に冠たる文化ですが、昔々から、日本人は漫画を愛でて、質の高い漫画を作り出していたのかもしれませんね。

 

この松岡緑堂写「百鬼夜行」を見るだけでも、「井上円了没後100年展」に行く価値があると思いますよ~!

 

あ、そうそう。

アンケートも用意されているのですが、そのアンケートに自分が経験したことのある「コックリさん」について記し事務室に持っていくと、素敵な「コックリさんステッカー」ももらえるのです!

 

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・・これ、何に使うのかなあ?

数に限りがあるそうなので、急いで~!!

 

もしも「没後100年展」を見逃してしまったら・・

さて皆さま、どうでしょうか?

井上円了博士の素晴らしさに、「目からうろこ」となりましたでしょうか?

「井上円了没後100年展」、何が何でも行きたくなってしまった!でしょうか?

 

でもでも、「8月31日まで」ということじゃあ、流石にちょっと無理だよ~っ!という方もいらっしゃるかもしれません。

本当にごめんなさい。もっと早くこの「啓蒙(洗脳?)記事」を書くべきでした。

(一応、他の記事で「宣伝」は差し上げていたつもりなのですが。。)

 

しかし!ご安心ください!

万が一「井上円了没後100年展」を見逃してしまったとしても、井上円了博士を知るすべは、いくらでもあるのです。

 

そして、もっともお薦めなのが、こちら!

 

 

そう、昭和から平成にかけての偉大なる妖怪漫画家、水木しげる氏の「神秘家列伝」(中巻)です!

この中で、井上円了博士も紹介されているのです!

 

この書を片手に「哲学堂公園」に赴かれては如何でしょう?

妙な置物や妙な看板が立ち並ぶ園内をぶらぶらしながら思索にふけり、あちこちに設けられたベンチや東屋で「神秘家列伝」のページをめくりつつも、また思索して。

時のたつのも忘れて、妙で不思議で哲学的な時間を、漂ってみては如何でしょうか?

「非日常的なひととき」を、お過ごしいただけること、間違えありません!

如何ですか?

 

というわけで、今回は井上円了博士の「没後100年展」と、「哲学堂公園」についてのご紹介でした!

特に「哲学堂公園」は、本当に素晴らしい公園ですのでお勧めです!

これから訪れる「思索の秋」に、ぴったりな公園ですよ~!

ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございました!!

 

【幽霊好きならおススメしたい過去記事です~!↓↓↓ 】

www.kokubunzaka.com

 

 

東京・調布から45分! 絶景・神秘の島「神津島」に行ってきました~!

みなさん、こんにちは~!国分坂です。

いやあ、暑い日が続きますね。

 

さて私、先日「神津島(こうづしま)」に仕事で行ってきました!

ちょっとご報告させて頂きますね!

今回は「まち歩き」の夏休み拡大版です!

 

 

神津島(こうづしま)とは

神津島は、東京湾の下に位置する「伊豆七島」の一つに数えられる島です。

「伊豆七島」とは、伊豆大島・利島(としま)・新島(にいじま)・神津島(こうづしま)・三宅島(みやけじま)・御蔵島(みくらじま)・八丈島(はじじょうじま)の七島をいいます。

(なお、新島と神津島の間にある式根島(しきねじま)や、八丈島の南にある青ヶ島は、「伊豆七島」の呼称のなかに含まれておりません。)

 

神津島の人口は約1900人。

漁業が盛んで「キンメダイ」「伊勢エビ」などが、よく獲れるそうです。

役場の方に聞いたところ、「タカベ」というアジのような魚もとれるそうで、これがもう「絶品」とか。

ただ、夏は脂がのっていて焼いても刺身でも最高!なんだそうですが、旬を過ぎると脂がのっておらず「全然うまくない!」のだそうです。

私は食べる機会が無かったのですが、夏に「タカベ」を見つけたら、是非食べてみて下さい!

あとは「赤イカ」。港のすぐ近くでも釣れるそうで、夕暮れになると船待ちの観光客がお土産代わりに釣っていくのだとか。

釣るのに夢中で船に乗れず港近くの民宿で泊まることに、なんてこともよくあるみたいですよ~と、役場の方がおっしゃっていました。獲れたてを刺身で頂くと最高にうまい!のだそうです!

 

港(神津港)のすぐ近くが集落で、ほぼこの集落にお店・民宿・民家が集まっています。海水浴場も港のすぐ近くに「前浜」があるので、とても便利です。

 

島の反対側の「多幸湾」にも港があるため、西風が強い時は「多幸湾」、東風が強い時は「神津港」に船が着くそうです。(リスク分散ができているのですね!)

そして島の南の端に「神津島空港」があります。

滑走路が東西に走っているので、やはり西風が吹いても東風が吹いても、飛ぶ(下りる)方向を変えることで利用可能になっているのだとか。(でも、北風・南風が強いときは横風となってしまうので無理なのだそうです。その場合、飛行機は飛びませんし、下りられません・・)

 

vill.kouzushima.tokyo.jp

 

 

出発は「調布飛行場」から

さて、東京の西に「調布飛行場」という、とてもこじんまりとした可愛らしい飛行場があります。

そこから、伊豆大島・新島・神津島・三宅島行の飛行機便が、飛んでいます。

 

「神津島行」は一日2便。

調布から神津島まで45分。

電車で調布から東京までが40分程ですから、なんだかすごいです。

45分で絶海の離島にたどり着く!

ロマンではありませんか!?

 

【調布飛行場】

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手前にとまっている飛行機【ドルニエ228-212NG】が、我々を神津島へと送り込んでくれます!

(ドイツのドルニエ社が制作した飛行機なんだそうです。「短距離離着陸性能」に優れた双発旅客機なんだとか。へえ~。飛行機のことは全然分からないのですが、「日本製じゃないんだ~」と思いました。「車大国ニッポン」といわれていましたが、飛行機はまだまだダメなんですかねえ?)

 

 

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なんとも可愛らしい「出発ロービー」です。ここで荷物を預けて、「体重」を申告します。小さな飛行機なのでバランスをとる必要があり、「体重」で座席が決まるのですね。

(カップルや新婚の皆さん!お相手に体重を秘匿したいときには、ご注意を!)

 

 では、出発です!

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この機体で出発! 

・・・そして出発から45分で「神津島」に到着!

(飛行中はスマホの電源を切らなくてはならず、カメラはカバンに入れて預けてしまった為、道中の写真が撮れませんでした。面目次第もありません・・)

 

滑走路が一本だけの、こじんまりとした神津島空港。

今回、私は離島相談員として神津島に派遣されたのですが、村役場の方が空港にお迎えに来て下さり、会場の「生きがい健康センター」まで、連れて行ってくれました。

(なお、神津島空港は集落から車で10分程度ですが、道中かなりアップダウンのある道となります。神津島で宿泊される場合は、宿泊先の民宿の方が送迎してくれるはずですので、是非相談してみて下さい。)

 

【集落にある「生きがい健康センター」】

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法律相談を実施させて頂いた「生きがい健康センター」。

集落のなか、村役場のとなりにある建物です。

・・いや、特になんでもない建物なのですが、奥の方を見て下さい、奥の方を。

とんでもなく美しい海が、見えませんか?・・車の奥。

 

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海、超綺麗~!!

仕事ほっぽらかして入りたい~!!

(うそうそ。ちゃんと仕事しましたよ~)

 

 

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お昼休みに、ちょこっとだけ「前浜」を覗いてみました。

村役場や「生きがい健康センター」がある集落の目の前に広がる海水浴場なのですが、透明度も高くとても綺麗です!

 

【前浜にあるモニュメント】

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「前浜」にモニュメントがありましたよ。

なんだか国造りの神話にでも出てきそうな服装をした者たちの像が並んでます。

ひとりは眠りこけている様子。

なんだか、とても気になります。

 

 

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おや?下に説明文のようなのがありました。

 

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「伝説・水配神話とモニュメント:

その昔、伊豆諸島の中心である神津島の天上山に、島々の神々が集まり会議をしました。一番大切な会議は、生命の源である「水」をどのように分配するかでしたが、そこで次の日の朝、先着順に分けることになりました。

いよいよ朝になり、一番早く着いたのは御蔵島の神様でした。

御蔵島は最も多くの分配を受け、次は新島、三番目は八丈島、四番目は三宅島、五番目は大島でした。

こうして水は次々と配られ、最後に利島の神様がやってきたときには、水はほとんど残っていませんでした。

それをみた利島の神様は怒り、わずかに残った水に飛び込んで暴れまわりました。

この水が四方八方に飛び散り、神津島では至るところに水が湧き出るようになった、といわれています。」

なるほど。

眠りこけているのは利島(としま)の神様なんですね。

この神話は、それぞれの島の水資源の豊かさを示しているようです。

村役場の方に聞いたのですが、神津島はとても水の豊かな島なのだそうです。

天上山を筆頭に山々を有し、大きな川が無いために、雨が地中に溜まるため、湧き水がとても豊富なのだそうです。

 

なお、神津島はその昔、事代主命(ことしろぬしのみこと)が島造りのために、神々を集め相談をする拠点としたのだそうです。

神々が集まる島なので「神集島」、それが「神津島」に転じたそうです。

太古の神話に由来する神秘の島、なのですね。

 

閑話休題。

さて、お昼休みです。

お昼ご飯を食べに行きましょう!

 

前浜のすぐ近く、神津港に面した「まっちゃーれセンター」で、お昼ご飯をいただきましょう。

 

 【まっちゃーれセンターでお昼ご飯】 

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「漬け丼」を頂きました。

あしたばの天ぷら、ところてん、小鉢2種と魚の吸い物がついて1000円。

漬けは、「カンパチ」の漬けです。

どれも素朴な味で旅情を誘います。

 

漬け丼以外には、刺身定食・金目の煮魚定食・魚カレー・しょうが焼き定食があり、どれも1000円。

(本当は神津島名産の「金目の煮付」が食べたかったのですが、休み時間が限られているため涙を飲んでパス。ささっと食べられそうな漬け丼を選びました。しかし、この選択が正しかったことが、後に判明します。)

 

3時前に相談会が終了したので、村役場の方が島内を車で案内してくれました。 

 

神津島の地図。

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 左下の「くびれ」あたりが集落です。

村役場の方が、まずは集落から北の方へと、車を走らせてくれました。

 

【赤崎遊歩道】 

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集落から北上していくと「赤崎遊歩道」があります。

ここは「飛び込み」の名所なんだそうですよ!

岩場の入り江のようなところに遊歩道が設置されています。

飛び込み台が設置されていて、透明度の高い水にドボンと飛び込めるようです。

 

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うわあ。結構高い!大丈夫?

小学校低学年くらいの男の子が、飛び込もうかやめようか、悩んでいたりして。

一生モノの、「夏の思い出」になりそうですね。

 

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ここ「赤崎遊歩道」が、いま神津島で最も人気の高いスポットなんだとか。

 

神津港のある集落と「赤崎遊歩道」との間には「神津島温泉」があります。

富士火山帯に属する温泉で、稀にみる高温湧出の温泉なんだとか。

私は時間がなくて入ることができませんでしたが、海を望む大露天風呂もあるそうです。

夕日を眺めながらの温泉。いつか入りたいものです。

 

【赤崎トンネル手前から新島を望む】 

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「赤崎遊歩道」から少し行くと「赤崎トンネル」があるのですが、道はトンネルの手前で終わっています。

島内周遊道路を作ろうと計画したそうなのですが、工事困難な崖地が多く、崩落も多いため、現状諦めているのだそうです。

そのため道はトンネル手前で終了。

 

そして、行き止まりとなる「赤崎トンネル」の手前から、新島が望めます。

写真には撮れませんでしたが、新島の左側には式根島もみえました。

なんとも素晴らしい景色でした。

(冬場は天気が良いと富士山まで見えるそうです。) 

 

【多幸湾と天上山】

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島の東側の、もうひとつ港「多幸湾」へ。

 

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天上山が多幸湾に一部流れ込んでいます。雄大な景色です。

天上山は神津島の最高峰。

572メートルの山ですが、数値以上に壮大に見えます。

山頂にかかる雲が、実際以上の標高を演出しているのかもしれません。

雲がかかることが多いようですが、晴れた日に山頂まで登ると、伊豆諸島はもちろん、伊豆半島までも望めるそうです。

 

山頂までは不動池や千代池、白砂の砂漠地帯など、変化に富む景観を楽しむことができるそうですよ。

港から登りはじめても、往復4~5時間で制覇できるそうです。

六合目まで車でいってしまえば、山頂まで往復1時間半くらいのようです。

 

別名「黒潮に浮かぶ展望台」と呼ばれる天上山。

次回は登ってみたいものです。

 

 

【ゲストハウスのら】 

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さて、島内一周観光を終え、役所の方に宿まで送っていただきました。

宿泊地は「ゲストハウスのら」です。

夕食・朝食付きで一泊8000円。

集落と空港の間にある宿です。

 

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上図、左上の「青い丸」で囲ったあたりが集落です。

集落の右下、「赤丸」の辺りが「ゲストハウスのら」です。

「ゲストハウスのら」の下(南)の「星印の7」は「三浦展望台」。

その「三浦湾展望台」を更に進むと「神津島空港」があります。

 

 

 一ヶ月前に宿の予約を取ろうといろいろな民宿に連絡したのですが、集落にある民宿は、すでにどこも皆いっぱい。

8月上旬からお盆くらいまでは、神津島のハイシーズンらしく、宿はすぐ満室になってしまうようです。

 

ここ「ゲストハウスのら」は、集落から離れていることもあり、無事に予約できました。

(集落の宿がいっぱいの場合には、こちらに連絡してみると良いかもしれません。案外空いているかも?)

 

私は役場の方が空港まで迎えに来てくれましたが、お願いすれば宿のおかみさんが送迎してくれます。

(車ですと、空港から「ゲストハウスのら」まで5分程、「ゲストハウスのら」から集落まで5分程です。歩きの場合、「ゲストハウスのら」から集落までは下り坂のため、20分強でしょうか。しかし集落から「ゲストハウスのら」までは上り坂となるため、徒歩30分以上かかるかもしれません。)

 

さて、夕方4時過ぎに宿についたので、お風呂と夕食まで、少し時間があります。

ちょっと散歩にでも行きましょう~

 

「ゲストハウスのら」のすぐ近くに「秩父山」山頂までの参道がありました。

 

 

【秩父山入り口】 

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山の中に入っていく、細長い道。

私は「細い道」に目がないのです。

ついつい進んでしまいました。 

 

木のトンネルのような細い道を進んでいきます。

これだけで、もうワクワクです。

 

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木の感じがなんとなく南国風。

石についている苔やシダ植物が綺麗です。

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途中、見晴らしの良い峠のようなところに出ました。

正面は天上山。

雲に掛かっていて、見事に上部が消えています。

なんだが、勇壮な感じです。

(とても572メートル程度の山には、見えないんですよね~)

 

 

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さらに小路を進みます。

暑くて汗びっしょり。

 

 

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と、見晴らしの良い場所に出ました。

集落が一望できます。

先の方が「神津港」ですね。

 

 

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素朴なお地蔵さんが祀られていました。

 

 

【秩父三十四観音霊場】 

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埼玉県秩父市等にある「秩父三十四観音霊場」を模してつくられた霊場だそうです。

島民の手による観音信仰の場だったようですね。

椿の葉を札に見立て、お堂にその葉を収めたそうです。

 

案内板には「本島では、死者があったとき葬式を済ませるとすぐ親戚を始め友人知人が必ずその日のうちに登山して、三十四札所にお詣りすることになっている」とあります。

民間信仰の場なんですね。現在も続いているのでしょうか?

 

私は駆け上がるようにして登り、ざざっと下ってきたため、往復40分弱でしたが、じっくりゆっくりと歩くのであれば、できれば往復一時間以上、かけた方がよさそうです。

なお、山頂から更に進むと、三浦湾展望台の方に下ることができるようです。

詳細は、下記の「秩父堂コースマップ」をご参照ください。

 

【秩父堂コースマップ】

https://kozushima.com/wp/wp-content/themes/kouzushima/kozu100kannon/img/chichibudo/map.pdf

 

 

【三浦湾】 

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汗もかいたし歩いたしで、ぶらぶらしながら「ゲストハウスのら」に戻りました。

「ゲストハウスのら」の目の前は、三浦湾の美しい景色が望めます。

 

 

【夕食・金目の煮付けなど】 

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お風呂で汗を流したら、夕食です。

わあ!立派な金目の煮付けです!

(お昼ご飯のとき、「金目の煮付け定食」にせず大正解!)

 

 

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焼きナスと豆腐とトマトとししとう。

上はピーマンの肉詰めですね。

 

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明日葉とカボチャの天ぷら。

 

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赤イカの刺身とカンパチの漬け。

貝は島の磯で採れたものだそうです。

どれも美味しい。

 

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そして神津島名物のトコロテンも付きました。

トコロテンの素となる天草は、神津島産が最上級なんだとか。

 

味噌汁には「カメノテ」と呼ばれる貝が入っておりました。

(「カメノテ」。味は微妙ですが、旅情を感じさせてくれました。)

 

しかし、なんといっても「金目の煮付け」が美味しかったですね。

完食しましたが、もう、おなかいっぱい・・・

 

【不思議で奇妙な体験をしたお話】

さて、お腹もいっぱいになり、ちょっと部屋でゴロリと寝っ転がったら、うたたねをしてしまいまして。目が覚めると夜10時過ぎ。

宿のおかみさんに一声かけて、夜のお散歩に出かけることにしたのです。

孤島における夜空の星を、眺めたかったのですね。

 

その夜のお散歩で、「ちょっと不思議で奇妙な体験」をしたのです。

いやいや、残念ながら「怪談話」といったたぐいのものでは、ないのですがね。

 

宿から出て、見上げますと、もう満天の星空です。

宿から徒歩10~15分程で「三浦展望台」に着くと聞いていたので、行ってみることにしました。

 

 

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前出の地図ですが、「赤丸」の辺りが「ゲストハウスのら」、「ゲストハウスのら」の下(南)の「星印の7」が「三浦展望台」ですね。

徒歩で10~15分。

「ゲストハウスのら」から「三浦湾展望台」に続く道の右手には、民間信仰の場、秩父山が横たわります。

 

 

さて、星を眺めながら、私は「三浦湾展望台」目指して歩き出しました。

宿の傍には街灯がぽつんぽつんとありましたが、少し歩くと街灯はなくなり、あたりは真っ暗です。

空は一面の星。

その星空を切り取るように、黒い山々がみえます。

あの秩父山をはじめとする山々でしょうか。

海がある方を眺めると、おそらく三宅島と御蔵島でしょうか、遠くに明かりがみえます。

 

道路を歩いていくのですが、ぼんやりとセンターラインがみえます。

辺りには、街灯その他の明かりが全くありませんので、ぼんやりとしかセンターラインは見えません。道路脇も闇にぼやけ、端がどこまであるのかわかりません。

なので、ぼんやり見えるセンターラインを頼りに、私は道を進みました。

車は来ません。

もちろん、私以外に人っ子一人、だーれも歩いておりません。

それはそうでしょう。

夜の十時過ぎ、民家離れた島の外れですからね。

ただひとり、私は暗闇の中をすたすたと歩きます。

星降る夜空と、ぼんやり見える黒い山を眺めながら、私は道を進みました。

 

なんて美しいのだろう、そう思いながら歩いていましたが、どうにも胸が息苦しい。

そう、妙に息苦しいのです。

なんだろう?

そう思っていたら、今度は二の腕辺りが、ぞわぞわっと鳥肌立ちます。

 

え?これは一体、なんなのだ?

ぼんやりほのかに見えるセンターラインをたどりながら、真っ暗な山道をただ歩いているのですが、なんとなく胸が苦しくなり、腕が背中がぞわぞわするのです。

 

え?

・・もしかして、私は「恐怖」を感じているのかしらん?

 

たしかに、あたりは真っ暗です。

センターラインがなければ、水平感覚を失うくらいの闇。

都会ではまず味わうことのできない、闇。

道の右側は山。民間信仰の場の秩父山です。

道の左側は崖。その先は海。

聞こえるのは虫の声と、たまにトカゲでしょうか、ガサガサっとなにかが草むらを進む音だけです。

 

なるほど。

このシチュエーションは、一般的には「恐い」シチュエーションなのかもしれません。

でも、私ですよ?

暗闇が好きで、お化けが好きで、お化けよりも星空や自然が好きな私が、 こんなにも美しく詩的なシチュエーションで「恐怖」など感じるのかしらん?

 

私は歩きながら、しばしそう考えました。

しかし、やはり胸はどきどきしています。

一体なんなのだろう?私は少し驚きました。

・・そうか、私などでも、やはり自然のなかの暗闇に包まれると、「恐怖」を感じたりするのかもしれない。

そうか、私は怖いのだ。

そうだ、怖いのだ!

 

そう思うと、余計に胸はどきどきし、腕に鳥肌が立ちます。

そんな、遥か前に見失ったものをふと発見したような、甘美で幽遠な趣きに包まれたのです。

闇は闇でしかありませんが、その闇になにかを感じたくなる感性が、私のなかでむくむくと芽生えてきたのでしょう。

 

葬儀の日、死者とお別れした者達が必ず上るという秩父山。

板子一枚下は地獄とうたわれる海。

遥か昔より、逆賊の名を着せられた者たちが流れ着いた島。

 

たしかに「なにかが漂う」というのであれば、この場こそがふさわしいとさえ思われる、闇に続く道。

私は、いっとき、そんな思いに囚われたのです。

 

・・奇妙な体験はほんの数分でした。

進む先に、今までにない空間を感知しました。

暗闇の中、左手にどうやら駐車場らしき、広場があります。

明かりがありません為、はっきりは分からないのですが、おそらく「三浦湾展望台」に着いたのでしょう。

私は立ち止まり、海がある方向に向きました。

遠くに明かりが見えます。おそらく、三宅島と御蔵島。

 

いつの間にか、胸のどきどきは消えていました。

腕の鳥肌も消えていました。

それに気づくと同時に、私を包んでいた「恐怖」も、きれいさっぱりと、消えていたのです。

 

帰り道、同じ闇の中を進みましたが、今度は不思議と恐怖を感じません。

胸のどきどきはきれいさっぱりとなくなり、鳥肌も立ちません。

少しがっかりしながら、でもどこかでホッとしながら、星空の下、私は宿に戻ったのでした。

 

・・さて、この「不思議で奇妙な体験」は、翌朝、「種明かし」がなされます。

 

翌日、私は朝食前に散歩に出ました。

 

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この水色の建物が「ゲストハウスのら」です。

 

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「ゲストハウスのら」の守り神?

可愛らしいシーザーといった感じですね。

 

さて、昨晩同様、三浦湾沿いを歩きます。

朝日の中を「三浦湾展望台」まで歩いてみよう、というわけです。

 

おや?海の奥になにか見えますよ。

 

【海の向こうの三宅島】

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うっすらと、島影が見えますね。

 

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海の向こうに見えるのは、三宅島です。

写真には写りませんでしたが、三宅島の右奥には御蔵島も望めました。

(冬場、運がよければ八丈島も見えることがあるそうです。)

 

やはり、昨晩海の方角に見えていた明かりは、三宅島と御蔵島ですね。

 

「まちの灯」とは凄いものだなあ、などと思いながら、私は道を進みました。

そして、ふと、あることに気が付いたのです。

 

ゆらゆらと進む「上り坂」。

昨晩は、水平感覚すら失いかねない暗闇のなかを進んでいたため、「上り坂」がずっと続いていたことも分かっていませんでした。

汗が出てきます。朝日のせいばかりではありません。緩いながらもずっと続くこの「上り坂」のお陰で、もう背中は汗だくです。

・・これだ。

私は気が付きました。

 

ずっと続く緩やかな「上り坂」。

水平感覚すら失ってしまう「暗闇」。

 

これが、私に「恐怖」を与えた正体だったのです。

 

昨晩の私は、「三浦湾展望台」へと続くこの道を、暗闇のなか歩きました。

水平感覚すら失うような暗闇のなかですから、上り坂であるか下り坂であるかも分からず、普通の道を歩くように、私はさくさくと歩いたのです。

ところが、緩いながらもずっと続く「上り坂」です。

当然、体の運動量は増え、心臓は血流を増やそうと頑張ります。

結果、私の胸はどきどきします。

明るいなかで上り坂の最中に胸がどきどきしたとしても、それは運動量増加に伴う当然の作用ですから、別段気にも留めないでしょう。

しかし、暗闇の中、急に胸がどきどきし始めた私の脳は、過敏に反応します。

ところが、視覚情報では何も得ることができません。

脳は混乱したのでしょう、心臓の活動が活発化した原因が分からなかったのです。

そこで脳は「暗闇」が原因ではないか、と判断したのではないでしょうか。

つまり、「暗闇」+「心拍量増加」=「恐怖」という図式を考えたのでしょう。

私の脳は、「暗闇」が「恐い」から、「心拍数が増加した」のだ、と結論付けたのだと思われます。

脳は「恐怖」を感じたこと受け、更に皮膚神経に警戒伝達を出し、結果、鳥肌まで立ち始めたのでしょう。

その段になって、意識としての私は、胸のどきどき、鳥肌という身体状況を察知し、これは「恐怖」を感じているためかしらん?と、結論付けるに至ったわけです。

つまり、昨晩の「不思議で奇妙な体験」は、私の脳が暗闇にだまされ坂道を認識できなかったことから発生した「恐怖」であった、と推論できるのです。

 

たしかに、昔から「坂道の怪」といったお話は多いのですね。

ひょっとしたら、私はこの「坂道の怪」を科学的に解き明かしてしまったのかも!なんてことを思いながら坂道を進むと、もう「三浦湾展望台」に到着です。

 

しかし、「山路を登りながらこう考えた」内容が「お化け話」とは、漱石先生に哂われそうですよ・・

 

 

【 三浦湾展望台】

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駐車場の下、とてもこじんまりとしたスペースですが、展望台があります。

ここから、美しい三浦湾が一望できます。

なお、「三浦湾」は絶好のダイビングスポットなのだそうですよ。

 

 

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神津島から三宅島までは32キロ、御蔵島までは57キロ、八丈島までは130キロとあります。

三宅島まで32キロかあ。泳いで渡るのは無理ですねえ。 

 

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三浦湾展望台から 天上山の雄姿が望めます。

素晴らしい眺めです。

天上山の先、右側に延びるのが砂糠崎ですが、岩肌が真っ黒になっている部分があります。これは「黒曜石」の層なのだそうで、これだけ大規模なものは国内でも珍しいのだとか。

神津島の黒曜石は、古代、石器の材料として流通していたようで、南関東の遺跡で発見されることがあるそうです。

凄いですねえ。古代のロマンです。

(昔の「航海技術」「海運力」って、なんだか想像を絶しますよね。)

 

 

【朝食・金目の干物など】 

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さて、散歩から戻ってきて朝食です。

メインは金目の干物。これ、美味しい。

またもや、おなか一杯、食べてしまいました・・

 

【前浜】 

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11時半頃の飛行機のため、時間があります。

宿のおかみさんに集落まで車で送ってもらいました。

上の写真は、朝9時頃の「前浜」です。

集落の目の前にある海水浴場ですが、とても水が綺麗い。

泳ぎたいなあ、とも思いましたが、タオルすら用意していなかったため断念。

 

【夏の神津島のおススメ時期】

ライフセーバーのお兄さんに聞きましたが、8月中旬、お盆を過ぎる頃からクラゲが出始めるのだそうです。

なかには猛毒を持つ「カツオノエボシ」も出没するとか。

 

八月頭からお盆まで、なかなか宿が取れない神津島ですが、お盆を過ぎると急に宿も空くそうです。

でも、海に入る際は、くれぐれもクラゲには注意が必要ですね。

 

ライフセーバーのお兄さんいわく、「八月上旬からお盆までは宿がいっぱいだし、お盆以降はクラゲが出ることがあるので、一番のおススメは7月下旬ですね。宿も空いてるし飛行機や船も予約とれるし。台風もあまり来ないし、クラゲも出ませんから最高ですよ」とのこと。

なるほど~。

7月に夏休みが取れそうな場合は、一考の価値ありですね。

 

【 物忌奈命神社】

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前浜から徒歩5~6分にある「物忌奈命神社」を訪れました。

 

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「物忌奈命神社」。

名前からして、なんとも興味深い神社ですよね。

曰くのある、古い神社だと思います。

 

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島の規模からすれば、かなり立派な境内ではないでしょうか。

南国風の木々が参道を覆います。

 

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門をくぐり、本殿へ。

 

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こじんまりとした本殿ですが、南国風の素敵な建物です。

説明文を読むと、祭神「物忌奈命」(ものいみなのみこと)は「事代主命」(ことしろぬしのみこと)の嫡子、とあります。

 

え! 「事代主」?

「事代主」といえば、出雲の国譲り神話に登場する神様ですよね。

 

【物忌奈命(ものいみなのみこと)と神津島のルーツ?】

「事代主」は「大国主命」の子で、出雲に「建御雷命」らが来て国譲りを迫った際、国譲りを承知し、代わりに自らは天ノ逆手を打ち入水して隠れた(果てた)とされる神様ですね。

その「事代主」の嫡子が、ここ神津島に祀られているとは!

 

「事代主」の弟である「建御名方神」は、「事代主」の入水後、「建御雷」と争い敗れて、諏訪湖まで逃げて、諏訪大社の祭神として祀られますが、なんと、「事代主」の嫡子は神津島ですか!

 

あ、そういえば、「神津島」は「事代主」が島造りのために神々を集めた場所「神集島」が転じたもの、と云われてましたね。

島の名前が「事代主」に関係しているのだとしたら、かなり古くから「事代主」との繋がりが伺えますよね。

 

「歴史的事実」は取り敢えずとして、「民俗学的テーマ」としては、とても面白く興味深いですね。

「物忌奈命」を祀る神津島のひとびとは、自分たちのルーツを出雲の「事代主」に求め、出雲から逃れ、やがて神津島に達した、という伝承を保ってきたのでしょうか?

もしもそうだとすると、神津島をはじめとする伊豆諸島の歴史・民俗を考えるためのヒントが、ここ「物忌奈命神社」にあるのかもしれません。

 

やっぱり、神津島はロマンの島ですねえ。

 

 

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こじんまりとしてますが、なかなか素敵な本殿。

先程の「物忌奈命の逃避行秘話?」を考えると、この本殿の「小ささ」にも、なにか「意味」を感じてしまいそうです。

(ちなみに、出雲大社の「大国主」は、入口からみると横向きに祀られていますね。本殿建物は南に向いているのに、祭神「大国主」は西を向いているのです。これにも当然ながら「意味」があり、歴史・民俗学的テーマとなるわけですね。)

 

 

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屋根がなんとなく「唐風」ですね。

どの様な歴史を辿ったのでしょうか。

 

 

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境内には公孫樹(いちょう)が沢山植えられていました。

御神木のようです。

イチョウをご神木とする神社は、日本全国各地にみられるそうですが、ここ神津島もそうなのですね。

 

なお、「物忌奈命神社」の例祭は、8月1日・2日(7月31日に宵宮)。

8月2日の午後には境内で「かつお釣り行事」が執り行われるそうです。

 

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さて、短い時間でしたが神津島を満喫できました!

東京調布の空港に戻りましょう。

 

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出発30分前に搭乗手続きを済ませ、体重申告もし、機内に乗り込みます。

 

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とっても狭い機内。

 

神津島空港の滑走路です(1本だけ)。

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行きではカメラをカバンにしまったまま預けてしまいましたが、今回はちゃんと手元に用意! 

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さあ、出発です!

プロペラが猛烈に回転し、機体がぶるぶると震えます。

ジェットエンジンよりも、なんか良いですねえ。

 

 

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さよなら、神津島!

素敵な自然と、神秘に満ちた神津島、また機会があればじっくり訪れますよ!

 

 

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眼下に船が行きます。

 

【神津島までのルート】

〈飛行機〉

調布~:45分。

 

〈高速ジェット船〉

東京・竹芝桟橋~:3時間45分

静岡・熱海港~ :1時間30分

 

〈大型船〉

東京・竹芝桟橋~:11時間55分

横浜・大さん橋~:10時間25分

静岡・下田港~ :2時間20分

 

 

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三浦半島でしょうか。

 

 

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横浜の街ですね。


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奥の方に建物が乱立しているのが東京でしょうね。

・・相変わらず、空気が濁ってますねえ。

 

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おっ、調布の空港が見えてきました。

手前の緑は多磨霊園でしょう。 

 

 

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到着~!!

 

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出発時にはかなりこじんまり見えた「調布空港」も、「神津島空港」と比べてしまうとなんとも立派!
(セスナ機が何台も止まっていました。)

一泊二日の「神津島の旅」、いやいや「神津島出張」でしたが、美味しい食事と、貴重な体験も出来て、とっても楽しかったです!(ちゃんと仕事しましたよ~)

皆さんも、如何でしょうか?

機会あれば是非、絶景と神秘を楽しめる「神津島(こうづしま)」を訪れてみては?

夏は「海水浴」に「金目」に「タカベ」、冬は「イセエビ」が楽しめそうですよ。

春秋は登山。

また、通年で「民俗学的思索」も楽しめそうです!

 

 

というわけで、「東京から45分!絶景・神秘の島「神津島」に行ってきました~!」でした!

ここまでお付き合いを頂きまして、みなさま、誠にありがとうございました!

 

 

祝!100記事目!特別企画!「夏です!幽霊はいる?もしもいるなら〈法的問題〉はどうなる??」

こんにちは~!国分坂です!

なんと!この記事で「100記事目」でした!!いやあ、びっくり!

当初定めた目標の「取り敢えずは100記事!」を、やっと達成できました~!

本当に、皆さまのお陰です!

皆様のお陰で、なんとか今日まで頑張れました!

本当に本当に、ありがとうございます!!

 

せっかくの100記事目ですからね、なんか「イベント的なもの」をやりたいなあ、と思いまして。

なにがいいかなあ、なにか、皆さんにお楽しみいただけるお題はないかなあ、なんだろうなあ、と考えました。

 

しかし、暑いですねえ。暑い。夏ですねえ。暑い。夏・・・そうだ!幽霊!!

夏といったら「幽霊」ですよね?(・・私だけですか?)

 

私、幽霊とか妖怪とか、大好きなんですよ。もうホントに。

今はしがない司法書士という仕事をしておりますが、学生時代は「幽霊・妖怪研究者」を夢見ていたんですねえ。(学芸員の資格もとっちゃったりして。)

でも、幽霊や妖怪の研究では残念ながら食べていくことが難しく、すぐにでも自分が幽霊になりかねない、という現実を知らされたんですね。

 

そう、あれも夏でした。学生時代の夏。博物館実習時に声をかけて下さった研究者の方のお話でしたね。

私の研究テーマ「龍についての民俗学・社会学・自然科学的アプローチによる綜合的考察」というアイディアを、「悪くないねえ」とおっしゃって下さった研究員さん。

あの頃の私は、今以上に真面目で小心者で、実に型に嵌った生き方をしていたので、「幽霊になりかねない幽霊学者」の道を選ぶことができなかったんですね・・

 

でも、今思えば、研究員さんは、厳しい現実を伝えながら、心の中では「飛び込んで来い!」と思っていらしたのかもしれません。あの時の研究員さんの眼差しを思い出すと、そんな気がしてならないのですね。

もう私も、あの時の研究員さんと同じくらいの歳になりました。

ああ、夏でしたね。

 

すみません!勝手にノスタルジックな想いに浸ってしまいました!

 

あの頃の夏は、もう戻らない。

でも。

でも、夏はまた来たのだ!

ならばこの夏に、やってみればいいじゃないか!

 

というわけで、学生時代から大好きな「幽霊」を、近頃身に着けたささやかな法的知識を駆使して、ちょっと「綜合研究」しちゃおうじゃありませんか!というわけです!

(「研究」まではいかないと思いますが、その入り口だけでも。)

お付き合いを頂ければ、本当に嬉しい限りなのです!

 

 

そもそも「幽霊」とはなに?

はい、いきなり難問ですよ。

そもそも「幽霊」とはなんなのでしょうか?

井上円了、柳田國男、等々、諸先輩方も考え込みました。

この「幽霊とはなにか?」という問題を考えていくと、もうどんどん深みに嵌っていきますので、今回は以下のようにサラッと定義しておきます。

 

幽霊:死者であるにも関わらず、この世界に居るもの。

 

上記に定義した「死者」とは「現代医学で死亡認定されたもの」とし、「居る」とは「我々が視覚・聴覚・触覚等の五感で認知できる状態」、としておきましょう。

 

ごく簡単に言えば、そう、「あのひと死んだはずなのに!どうしているの!うそ!やだこわい!」といった状況、そう考えて頂いて結構です。

こんな幽霊がもしも本当に「存在」するのだとしたら、果たしてどうなってしまうのだろうか、ということを法的見地から考えていこう、というわけです。

 

※ところで、今年は「妖怪博士」井上円了先生没後100年なんです!

東京都中野区にある「歴史民俗資料館」で企画展を開催中!絶対に行くべき!!

 ↓↓

井上円了没後100年展~円了の妖怪学~(山﨑記念中野区立歴史民俗資料館) | Toyo University

 

※それと、こちらは毎年開催される「幽霊画展」です。怪談物の名手・三遊亭圓朝が収集した幽霊画が東京都台東区谷中の全生庵に展示されます。絶対に行くべし!デス!

 ↓↓

www.yureiga.com

 

「幽霊」がいたら法的問題が生じる?

 さて、テレビやネットなどで専門家と称する人が「・・ああ、これは本物ですね。ええ、いますよ。ええ、感じますね・・」などと、「幽霊が存在する」ことを匂わせるコメントをしたりしますよね。

こんなシーン、私とっても好きなんですが、同時に司法書士という法律専門職となってしまった今は、「でもコレが本当なら、いろいろ困るなあ」などと、無粋な心配がムクムクと湧き上がってきてしまうのです。

 

だって、もしも幽霊が存在するのであれば、「幽霊の権利」はどうなるのでしょう?

 

幽霊が存在するなら、幽霊には「基本的人権」はあるのか?

幽霊も「国民」として保護されるべきか?

幽霊には「所有権・財産権」が認められるのか?

 

「きゃ~!こわい~」などと悠長に喜んでいる場合ではありません。

もしも幽霊が存在するのであれば、現代社会が転覆しかねない問題が発生するのです。

 

幽霊が存在するなら「相続」は発生させるべきではない

民法3条1項に「私権の享有は、出生に始まる」という定めがあります。

つまり、人間として生まれることで、さまざまな権利を受けることができる、ということが定められているのです。

(ちなみに、まだ生まれていない「胎児」には、民法721条等で例外的に権利が認められ得ることが定められております。)

 

つまり、権利を受けることができる「最初の時点」は「出生」である、と定められているのです。

では、権利をいつまで受けることができるのか、という「最終の時点」は、どのように定められているのでしょうか?

 

実は、「最終の時点」は、明確な定めが無いのです。

 

「私権の享有は、出生に始まる」と定められているのですが、「私権の享有は、死亡により終わる」とは定められておりません。

その代わりに、民法882条で「相続は、死亡によって開始する」と定められております。そしてまた民法896条で「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」と定められているのです。

 

つまり、「私権の享有は、死亡により終わる」とは定められていないのですが、死亡することで「相続」が開始されてしまい、それにより死亡した被相続人から相続人へと一切の権利義務が承継され、その結果、死亡した被相続人は私権の享有主体ではなくなってしまう、という作りこみがされているのです。

 

なんだか巧妙ですよね。

まさに「敬して遠ざける」ではないですか。

(論語・雍也篇「敬鬼神而遠之」)

 

死亡すると「相続」が開始され、結果、私権を享有できなくなる、ということなのですが、しかし、死亡しても「幽霊として存在」するのであれば、「相続」を開始させてしまってもよいのだろうか?という問題が生じてくるのです。

 

ここで、民法よりも上位に位置づけられる憲法をみてみます。

 

憲法10条に「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあります。

ここでいう「法律」とは「国籍法」のことです。

国籍法をみてみますと、1条に「日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる」とあります。

そして2条で「出生による国籍の取得」の要件が定められています。

 

国籍法2条(出生による国籍の取得)

子は、次の場合には、日本国民とする。

①出生の時に父又は母が日本国民であるとき。

②出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であったとき。

③日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、または国籍を有しないとき。

  

このほか、「帰化」の要件などが定められておりますが、これらは日本国民となる「最初の時点」の定めですね。

では、日本国民でなくなる「終了の時点」は、どのように定められているのでしょう?

 

国籍法11条に「国籍の喪失」の定めがあります。

 

国籍法11条(国籍の喪失)

1.日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。

2.外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択したときは、日本の国籍を失う。

 

法律って読みにくいですよねえ。

でも、ポイントを絞って考えてみれば、どうということはありません。

ポイントは、「死亡したら国籍を失うのか」ということです。

死亡して幽霊になったら、国籍を失うのか?というのがポイントです。

 

もう一度、国籍法11条を見て下さい。

「国籍の喪失」に、「死亡した場合」は記載されていませんよね。

ということは、死亡しても国籍は失わないのか?ということになります。

なら幽霊は、国籍を有することになるんじゃないの?というわけですね。

 

憲法に戻りますね。

憲法10条の「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」ですが、国籍法上、「幽霊は国籍を失っていない」と読めました。

 

次に憲法11条をみます。

憲法11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とあります。

 

憲法10条と国籍法で、国民には「幽霊」が含まれそうだ、と解釈できましたよね。

そのうえで憲法11条をみてみると、「(幽霊を含む)すべての国民は、基本的人権の享有を妨げられず、これは侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」というのです。

 

日本国民だった者は幽霊になっても日本国民のままであり、そして日本国民である幽霊にも基本的人権が認められ、その権利は永久に保障される、と読めるのです。

 

だとしたらですよ、基本的人権が保障される幽霊の権利を間接的にはく奪する「相続」などという手続きは、認めることができない、ということになりませんか?

つまり、「相続は、死亡によって開始する」という民法882条と、「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」という 民法896条は、基本的人権を有する幽霊の権利を不当に侵害する条文であり、憲法違反である、ということになりませんか?

 

もしも相続に関する規定が憲法違反ということになったら、相続による財産の承継・取得は認められない、ということになっていくわけです。

そして、もしも「死者は全て幽霊になり得る」のだとしたら、埋め立て地など一部の土地を除き、ほとんど全ての土地が「幽霊の所有物」である可能性がでてきます。

そうなると、幽霊以外の者が土地を新たに取得することは非常に困難、という事態が発生するかもしれないのです。

・・大問題ですよね。

 

土地だけではないですよ。歴史的建造物、骨とう品、美術品等々。

「相続」による承継が認めれないことになると、一番最初にそれを所有した者の所有権が、いま現在も認められる、ということになるのです。

世の中、大混乱が生じますよね?

 

あと、「地縛霊」などといって、「お祓いが必要!」なんてことがいわれたりしますが、「ちょっと待ってください、それはむしろ幽霊の権利が優先されますよ!」、ということになるのかもしれません。

 

もともとの所有者が死後に幽霊となり、そのままそこに留まっていた。

後から来た者が「地縛霊だ~」と騒いでいるけど、そこはもともとその幽霊のもの。

お祓いなどもってのほか。幽霊に謝罪・賠償して、早々に立ち退きなさい、ということになるかもしれません。

 

あと、幽霊の「選挙権」は大丈夫でしょうか?

死亡しても選挙権が失われないのであれば、幽霊でも投票可能な設備にしなければ、憲法違反になるかもしれませんよ。

被選挙権も失われないのなら、幽霊でも立候補できる体制を整えないと。

「いままで無視され続けてきた幽霊の権利を守ろう!」という幽霊立候補者が出て来たって、なんら不思議ではないですよね?

そうなると、国会にイタコのみなさんを招聘しなければならないかも?

(イタコとは:口寄せをする巫女のこと。霊の言葉を発することができるとされる)

 

 

終わりに

いやいや、どうでしょうか?

「真面目に」考えてみると、もしも幽霊が存在していたら、現在の法制度はひっくり返るかもしれない、と思いませんか?

少なくとも、幽霊が少しでも存在する可能性があるのなら、そのあたりの法整備も考えておく必要あるはずなんですよ。いや、ホントに。

 

あの発明王エジソンが、晩年「心霊研究」を続けていたことは有名ですよね。

生物学的にも未だに「生命のはじまり」は不明確であり、心や魂といったものをどのように捉えるべきかが物理学の研究テーマにもなっているくらいです。

幽霊、いるかもしれませんよ?

 

(もっとも、私は幽霊大好きですが、残念ながら「存在はしない」と考えております。

どちらかといえば、「存在しないけどみえるもの」という、心理学的現象、もしくは社会学・民俗学的事象として、どうやら自分なりには捉えているようです。)

 

しかし、もしかしたら生物学・物理学により、定義は多少異なるかもしれませんが、「幽霊的な存在」というものが発見される可能性はゼロではないのかもしれません。

どうなのでしょうかね?ワクワクしますね。

 

そして、もしもですよ、もしも物理学で「いやあ、やっぱり幽霊、居ますわ」なんてことになっちゃったらですよ、どうします? 現代社会。法体系がひっくり返りますよ!

 

なので、この記事をお読みの政治家の皆さん、物理学者が幽霊の存在を証明してしまう前に「幽霊が存在した場合に備えての改正法体系ワーキングチーム」に、是非とも国分坂を招聘してください!お待ちしておりますので~!

 

夏休みですからね。

こんな「自由研究」もいいかなあ、と。

・・如何でしょうか?

 

というわけで、「夏です!幽霊はいる?もしもいるなら〈法的問題〉はどうなる?」でした!

皆様のご愛顧を頂き、これにて100記事達成です!!

ありがとうございました!!

 

これからも、国分坂を、何卒よろしくお願い致します!

ここまでお読みいただきまして、本当にありがとうございました!!

 

 

今週のお題「夏休み」