8月31日まで!「妖怪博士」が待っている?「没後100年展」と「哲学堂公園」へGO!
みなさん!こんにちは~!国分坂です~!
なんだか、急に秋の訪れを感じるこの頃ですが、みなさん如何お過ごしでしょうか?
ところでみなさん、「井上円了没後100年展」には、もう行かれましたよね?
・・・え!・・え~っ!!
まだ行っていない!?
えっ!行くつもりもない!?
・・なんとっ!なんですと!!
そもそも、「井上円了ってだれ~?」というお声すら聞こえてきそうですね。
「井上陽水さん」のお父さんではありませんよ。
かの「妖怪博士」、井上円了(いのうえ えんりょう)博士でございます。
私が「世界で尊敬する人物ベスト50」の一人に入るご仁です。
ときに「妖怪バスター」とも謳われた人物です。
薄暗き明治の代に光明をあて、蒙昧な闇を払拭し、巷にはびこる妖怪・幽霊を駆逐していった人物です。
しかし、おそらくは誰よりも妖怪・幽霊を愛してやまず、真剣にこれらに向き合ったひとでもあるのです。
私の「怪異に対するスタンス」は、多分に井上円了博士から影響を受けていると思われます。先日の「神津島の山路の怪異とその解明」は、円了先生に小論文を提出したいくらいです。
(「神津島の山路の怪異って?」と思われた方は、下記過去記事をご参照ください!記事の中盤辺りに「不思議で奇妙な体験」のお話を載せています~ ↓↓↓ )
えっと、つまり何が言いたいかといいますと、井上円了氏は、妖怪や幽霊というものを本気で分析し、至極真面目に研究した、とっても素敵でチャーミングな博士なのだ、ということなのです。
今年はその妖怪博士の没後100年に当たる年で、それを記念し「中野区立歴史民俗資料館」にて企画展が開催されている、ということなのです。
その名も「井上円了没後100年展」!
その開催期間が、なんと8月31日(土)まで!
入館料は、なんと無料!!!
(場所は東京都中野区江古田4-3-4、中野区立歴史民俗資料館。)
今日は、みなさんに「これは是非とも行かねば!!」と思って頂くために、ひとつ記事をこしらえて啓蒙(洗脳?)差し上げよう!という次第なのです!
(ワタクシも「妖怪学」を志す者として、井上円了博士の弟子筋の一員の末席の端っこの方を穢す身と、ひとり勝手に任じておりますゆえに~!)
妖怪学と井上円了博士
井上円了博士は、安政五年(1858年)に新潟県長岡市の真宗大谷派・慈光寺で生まれ、大正八年(1919年)6月6日に亡くなりました。
夏目漱石先生(1867年~1916年)と同時代のひとです。
もうひとりの高名な妖怪研究者である柳田國男博士(1875年~1962年)は、井上円了博士よりちょっと年下ですが、やはり同時代の人物です。
井上円了博士と柳田國男博士は、ともに「怪異」を学問対象とした人物ですが、そのスタンスは異なります。
井上円了博士が科学をもって、蒙昧なる迷信を廃し、「妖怪バスタ―」として活躍したのに対し、柳田國男博士は人々の妖怪を視る心理を取り上げ、これらを「民俗学」として昇華させました。
(当然、柳田國男博士も私の「世界で尊敬する人物ベスト50」の一人に入るご仁であり、私の「怪異に対するスタンス」に、やなり多大なる影響を与える人物です。)
一般的に、柳田國男博士は人々の妖怪を求める心理を「民俗学」としてすくい上げたのに対し、井上円了博士は近代合理主義のもと、妖怪を排除し撲滅していった、といわれたりしています。
しかし私は、このような説明がなされるのに対し、半分は正しく半分は間違っている、と思っております。
たしかに井上円了博士は、科学的手法により妖怪を分析し、偽怪(ぎかい:偽物の怪異)を排斥していきました。
しかしこれは、井上円了博士が本当の怪異、すなわち真怪(しんかい)を心の底から求めていたからだ、と思うのです。
井上円了博士は、本当に本当に、妖怪や幽霊が好きだったのだと思うのです。
だからこそ、本当の妖怪、本当の幽霊を探し求めたのです。
「必ずや、本当の怪異はある!」と信じて、だからこそ嘘や偽物の怪異を容赦なく白日の下に暴き、迷信や妄信を排斥したのだと思うのですね。
井上円了博士は、以下のような分類で、「妖怪学」を展開しました。
「妖怪」には「虚怪(きょかい)」と「実怪(じつかい)」があり、「虚怪」には「擬怪(ぎかい)」と「誤怪(ごかい)」とがある、とします。
「擬怪」は嘘やデマからうまれたものであり、「誤怪」は偶然の産物を誤って怪異と認識してしまったものである、といいます。
そして「実怪」には、「仮怪(かかい)」と「真怪(しんかい)」とがあり、「仮怪」には「物怪(ぶっかい)」と「心怪(しんかい)」とがあります。
「物怪」は物理的な妖怪であり、「心怪」は心理的妖怪ですが、ともに物理学や心理学で説明可能な現象である、といいます。
そして「真怪」は、「超理的妖怪」であり、解明不能な「本当の妖怪」である、とするのです。
つまり、井上円了博士が探求した妖怪学は、不可解・不明瞭なものを明らかにしていき、最終的に「不可知」なものを見出したい、というものだったのではないでしょうか?
現代科学では、実に様々なものが明らかになっていきましたが、同時に、不可知なものも見出されて続けてきました。宇宙空間における「暗黒物質(ダークマター)などはその代表例でしょうか。
このような研究こそが、井上円了博士の求める妖怪学、「真怪(しんかい)」の探求だったのだと思われます。
井上円了博士は「妖怪バスタ―」として、妖怪を排除・撲滅しようとした、といわれますが、実際のところ、相当な妖怪好き・お化け好きだったと思われる証拠があります。
それがコレ。
博士の「どくろコレクション」や「狐狸(こり)コレクション」です!
(「狐狸(こり)とは、人を化かすといわれたキツネやタヌキなどです。)
円了博士は、ドクロやタヌキ、狐のグッズが大好きだったようで、様々に収集していたようですよ!
更には「幽霊像」なんかも!
口を開けて歯を出して笑っている幽霊だそうで。
円了博士、根が真面目で正直なので、ついつい妖怪や幽霊を分析し、その現象を解明して駆逐してしまうのですが、本当は妖怪や幽霊が好きで好きでたまらなかったことが、これらのグッズ等からうかがえるのですね。
(これらの展示物には「井上円了没後100年展」で逢えますよ~)
さて、円了博士が最初に取り組んだのが「コックリさん」の研究だったそうです。
「コックリさん」て、みなさんご存知でしょうか?
私、高校生の時、クラスの女の子に「放課後、秘密のことを教えてあげるからおいで」と誘われ、なにやら勘違いしてドキドキしながら赴いたら、数人の女の子がテーブルを囲んで妙なことをしていた、というのを記憶してます。(高校生の頃から民俗学の本など読んでいたので、どうも「オカルト好き」だと思われたようです。)
そのときにクラスの女の子たちがやっていたのは、ひらがな五十音が書かれた紙に十円玉を一枚置き、ふたりがその十円玉を人差し指で押さえ、「こっくりさんこっくりさん、教えて下さい」などと唱え任意の質問をすると、十円玉が勝手に動き出し、その動く先の平仮名を結ぶと答えになる、といったもののようでした。
(今思えば、ちゃんと観察して分析しておけばよかったのですが、そのときは「なんだ~、告白とかじゃないのか~」と、拍子抜けしてがっかりして、ぼけ~っと突っ立っていたように覚えてます。)
さて井上円了博士ですが、大学在学中に「不思議研究会」なるものを発足し、研究会はあえなくすぐに解散したようですが、その後も一人、研究を続けていたそうです。
その研究第1号が「コックリさん」だったとか。
「コックリさん」は明治19年頃から大流行していたそうですが、円了博士は、その起源が明治17年に静岡県伊豆下田に流れ着いたアメリカ帆走船の乗組員がもたらした「テーブル・ターニング」である、と突き止めたのです。
その当時は、三本の竹で三又の脚を作り、その上に米びつの蓋をのせ、その上に布をかぶせたもので「コックリさん」をやっていたようですよ。
「血気盛んな若者、嫉妬深い女性は効果が出やすく・・」などと、かなりの「問題発言」をしておりますが、実際のところはどうなのでしょうね。
偏見・差別的固定観念を完全に排して、公平・公正に観察できていたのでしょうか?円了先生に確認したいものですね。
しかしまあ、円了先生、その後も妖怪学に突き進み、明治29年には6冊からなる『妖怪学講義』を刊行します。
この『妖怪学講義』、当時の文部大臣に評価され、宮内大臣から明治天皇に奉呈され、明治天皇の愛読書になったのだそうですよ。
こちらの「妖怪学講義」は、「井上円了・妖怪学全集」(1~6巻)に収録されております。
とんでもない書物です。その内容たるや膨大なる怪異の解析に終始し、本を読んでいると呪いのためか左手首に痛みが走るのです!
(いやいや。単に分厚くて重いから手首が痛くなるのではありません。呪いです。)
なお、井上円了博士は妖怪博士のみならず「哲学者」としても有名ですが、哲学的精神修養の場として中野区に「哲学堂公園」を創設します。
「哲学的世界観」を視覚的に表現しようとしたユニークな公園なのですが、そこには「哲理門」別名「妖怪門」という名の門があります。その門、通常「仁王像」が安置される場所に、「天狗像」と「幽霊像」とが安置されているのです。
現在はレプリカが安置されているそうですが、なんと修復された初代の「天狗像」「幽霊像」が、本邦初公開で「井上円了没後100年展」に展示されていました!
左の「幽霊像」と、右の「天狗像」。
うーん、立派です。しかし、幽霊はあまり幽霊っぼくない感じですが(怖くない)。
「天狗」は物質的世界と陽性なるもの、「幽霊」は精神的世界と陰性なるものを具現化しているそうです。
円了先生は、この「天狗像」と「幽霊像」とが安置された「哲理門」を、「初学者の心を表したもの」としたそうです。
学問を始めた者が、少し学問ができ始めると天狗になり鼻にかける姿、またある者は、その学問に迷い込んで幽霊みたいにフラフラと青白い顔をした足腰のない者になる、という戒めを込めているのだとか。
ユーモアの中に真理が込められている、そんな感じですね。
学問により真理を追究すべしとした円了博士は、生半可な状態で奢ったり落ち込んだりするものではない、真摯に求め続ければ、やがては必ずや真理の一端に達するであろう、と諭したのではないでしょうか。
身近にある不明瞭なものも、深淵なる学問的謎も、等しく考え追求していくことで、この世とはなんだ?生きるとはなんだ?という「哲学」に収斂していくのでしょう。
「妖怪学とは哲学に通じる道であり、また哲学は妖怪学に続いていく道である」と、井上円了博士は考えていたのではないでしょうか。
ゆえに「哲理門」にして「妖怪門」。
幽霊と天狗とに迎えられてその門を潜れば、哲学の庭や小路に遊ぶことができよう、そんな意味を感じることができそうです。
これは是非とも「哲学堂公園」に赴き、実際に「哲理門」を潜ってみなければなりますまい!
ご安心を。
実は「井上円了没後100年展」が開催されている「中野区立歴史民俗資料館」から「哲学堂公園」までは、歩いて10分もかかりません。
そう、実のところ、この「井上円了没後100年展」で井上円了博士の想いを知り、妖怪学や哲学に対する興味が掻き立てられたら、その足で「哲学堂公園」に向かうのが「正しい楽しみ方」だと思われるのです!
ちなみに、「井上円了没後100年展」は企画展であり、特別会場一部屋のみの展示です。
興味深い展示物が並んでおりますが、一般的な方であれば30~40分、妖怪好きであれば1時間超、所要時間はその程度かと思います。
ここで貴重な情報を得て頂いたら、そのまま直ちに「哲学堂公園」へGO!!
哲学堂公園へ
では、早速「哲学堂公園」に向かいましょう!
「中野区立歴史民俗資料館」を出ましたら、目の前のバス通り(新青梅街道)を左手に進みましょう。
通りを進むと「ガスト 中野江古田店」がありますので、ここでお食事をとって頂いても結構ですが、更に進むと通りの反対側に「コモディイイダ 沼袋店」があります。
ここで食べ物や飲み物を購入し、「哲学堂公園」で頂く、という選択も可能でしょう。
なお、今年は井上円了博士の没後100年ですが、コモディイイダは100周年なのだそうですね。
ちなみに、東京司法書士会も今年100周年で、司法書士の日記念事業にて、コモディイイダさんのご協力を頂きました。
「100年」繋がりですね~
あ、そうそう、できれば通りの右側(コモディイイダ側)に渡るようにしてください。
下の写真、江古田公園入口から入っていくのですが、江古田公園の前に信号がないため、通りの右側を歩いていないと不便なのです。
ここから中に入り、そのまま直進してください。
公園を突っ切るようにして進むと、川沿いの細い道が現れますが、ここも直進。
やがて信号が現れますが、ここを渡れば「哲学堂公園」です。
「哲学堂公園」、結構広いですよ。
そして色々な場所に数多くの「名所」が配置されているのです。
たとえば、これ。
狸燈(りとう)。
お腹の穴に灯籠(とうろう)を仕込むのだそうです。
解説には「人間の心情には狸に類するものがあり、しかも時には光輝ある霊性を発することもあるとして、腹中に燈籠を仕込んである」とあります。
分かったような、分からないような。
こんな妙な「解説」が、公園のあちこちに突っ立っているのです。
面白いでしょう~!
なお、この狸燈があるのは「唯物園」という所。
「唯物園」の解説には「唯物論的寓意をもつこのあたり一帯をいい、下流河畔の唯心庭とともに、哲学的名勝の一つである」とあります。
これで「解説」を済ませた気でいるのだから、面白いです。
この凄いのは「鬼燈」。
解説には「唯物園の狸燈に対した燈籠で、人の心中に宿る鬼にも良心の光明は存することを寓している」とあります。
この「鬼燈」、どこにあるのか探してみて下さいね!
さてさて、こんな感じで、妙な置物や妙な名勝、妙な看板が点在する公園ですが、哲学に興味が無くても、その風景の美しさには心を動かされるのではないでしょうか。
この朱い塔は「六賢臺(台)」といい、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、そしてインドの龍樹・迦毘羅が祀られているそうです。
なお、指定された公開日には、中に入れるそうですよ。
(下記サイトをご参照ください。)
そしてこれは「三角づくしの三学亭」。
世界的な「四聖堂」、東洋的な「六賢臺」に対して、日本的な「三学亭」だそうです。
日本的な三道(神道・仏教・儒教)の研究家として、最も著述の多い平田篤胤(神道)、釈凝念(仏教)、林羅山(儒教)を称えているそうです。
その解説も面白いのですが、その造形もなかなか美しく楽しめます。
こちらはその名も「絶對(絶対)城(ぜったいじょう)」。
なんとも大仰な名前ですが、図書館なのだそうです。
解説に曰く「万巻の書物を読みつくすことは絶対の妙境に到達する道程であって、哲学界の万象はこの読書堂にありとしてこの名がある」のだそうです。
「哲学堂図書館」の碑を支えるお子ちゃま二人。
本気なんだか冗談なのか、分からないところが実に面白いのです。
さてさて、いろいろ見て回りましたが、漸く「哲理門」にたどり着きましたよ。
さて、門の中に「幽霊」と「天狗」はいるのでしょうか?
・・・いました!
うーむ。レプリカですからね。まあ、仕方ないですね。
レプリカをみると「没後100年展」に展示されていたオリジナルの凄さが分かりますねえ。
しかしですね、お化け屋敷でもあるまいに、レプリカといえど「幽霊」と「天狗」が門のなかに安置されている「公園」なんて、ここ「哲学堂公園」以外にあるのでしょうかね?
そう、ここ「哲学堂公園」は、もうすでにちょっとしたレジャーランド並みの面白さをたたえた公園なのです。
ここでいう「面白さ」は、知的興味と諧謔とが混ざり合ったような、少し大人の面白さではありますがね。
でも、おそらく、子供にもとても面白い公園だと思いますよ。
妙な置物や妙な建物、細いくねくね道や薄暗い道、そんなものがあちこちにある公園ですから、面白くないわけがありません!
思索しながら散歩するもよし、子供と駆け回るのもよし。
本当に素晴らしい公園です。
最後に一つ。公園内に「筆塚」というのがありましてね。
この解説がとても面白く、心を温かくしてくれるのです。
「字をかきて 恥をかくのも今暫し(いましばし) 哲学堂の出来上がるまで
哲学堂は井上円了博士が全国巡遊中、求めれて各所で揮毫(きごう)した際の謝礼を基金として開設されたものであるが、その謝意を含め、かつ、筆供養のための記念碑として造られたのがこの筆塚である。」
「拙筆居士」と自称していた円了博士は、求めに応じてその場で揮毫したそうで、今もたくさんの円了博士の書が残っています。
そして、書をしたためた謝礼にお金を頂いていたそうですが、円了先生、そのお金はこの「哲学堂公園」に注ぎ込んだのだそうです。
「字をかきて 恥をかくのも今暫し 哲学堂の出来上がるまで」
なかには意地悪く、口汚く、円了先生の謝礼金集めを揶揄した者もあったでしょう。
しかし円了先生は、恥を感じながらも耐え、世の中に妖怪学と哲学とを広めるために、この「哲学堂公園」を創設するために、西に東に奔走し、求められるままに揮毫し続けたのです。
北は樺太から南は沖縄まで、その生涯における公演回数は5291回。講義中に倒れ、61歳でその生涯を閉じたのだそうです。
真面目で正直で嘘や欺瞞を許すことができず、でもユーモラスで子供のような愛らしさを兼ね備え、人々に揶揄されながらも信念を曲げずにやり通したひと、それが井上円了博士なのです。
素敵ですよねえ。
アクセス
まずは「中野区立歴史民俗資料館」から。
・西武新宿線「沼袋駅」から徒歩8分。
・都営地下鉄大江戸線「新江古田駅」から徒歩15分。
・JR中央線「中野駅」北口、練馬駅行(京王バス中92系統)または江古田駅行(関東バス中41系統)で「江古田二丁目」下車徒歩2分。
※なお、「中野駅」北口の江古田駅行(関東バス中12系統)は「江古田二丁目」では止まりませんので、もしもこれに乗ってしまったときは、「哲学堂公園入口」または、その次の「哲学堂」で下車し、そこから歩くと良いでしょう(徒歩10~15分程度。)
次に「哲学堂公園」です。
・西武新宿線「新井薬師前駅」から徒歩12分。
・都営地下鉄大江戸線「落合南長崎駅」から徒歩13分。
・JR中央線「中野駅」北口、江古田駅行(関東バス中12系統)で「哲学堂公園入口」下車1分。
私は、JR中央線中野駅からバスに乗りました。
中野駅の北口にはバスのためのロータリーはなく、サンプラザ中野の前の道路に、バス停が並んでいます。
「哲学堂公園入口」で下車し、「哲学堂公園」を経由して「中野区立歴史民俗資料館」を目指すことにしました。
「哲学堂公園入口」から「中野区立歴史民俗資料館」までは、徒歩15~18分程度だと思います。
「哲学堂公園入口」近くの公園入口。
ここから真っ直ぐ、真っ直ぐ進んでいくと、江古田公園を経由して、新青梅街道にぶつかります。
進んでいくと、道に「動くヒモ」が落ちていました。
なんだろ?と思ったら、蛇。
おおっ!珍しい!
妖怪博士の展示を観に行くのに蛇に出会えるなんて、なんとも幸先のいい話ではありませんか!
(「蛇の怪」というのも、妖怪学ではテーマとしてあがってますね。)
江古田公園を通り抜け、新青梅街道に出たら左に向かって真っすぐ。
通りの右側沿いに「中野区立歴史民俗資料館」が現れます。
なお、入り口の受付で下のような「本のしおり」を貰えます。
(受付に置いてあるはずですが、もしも無ければ入口左手にある事務室で、事務員さんに声を掛けるとくれるようです。)
なかなか厚手でしっかりした「しおり」。
哲学堂公園に持っていく本に挟むには、これ以上ない最適な「しおり」です!
さて、2階に上がりましょう。左手奥に特設会場「井上円了没後100年展」が開催されているはずです!
なお、「クイズラリー」にチャレンジし、全問正解すると「オリジナルステッカー」がもらえるのです!
10種類近くある「オリジナルステッカー」のなかから、好きなものを1枚だけ頂けるのですが・・・
悩みに悩んで私が頂いたのが・・
これ。提灯おばけ? なんで私、これを選んだのだろう。
ちなみに、この「オリジナルステッカー」は、下の松岡緑堂写「百鬼夜行」からとっているようです。
この百鬼夜行図、もう本当に素晴らしい!
妖怪たちの百鬼夜行を、鍾馗を先頭とする軍団が迎え撃っています。
百鬼夜行の先陣を預かる「木の妖怪」はまっぷたつに。
あ!私がもらった「一つ目のちょうちん」もいる~!
でも、「一つ目ちょうちん」の上にいる、おそらく百鬼夜行の大将と思われる「見越し入道」の方が、どう考えても素敵です。
どうして私は、「見越し入道」のステッカーにしなかったのだろう?
もしや「一つ目ちょうちん」に、私は魅入られてしまったのかしらん?
なにやら弓を構えた孫悟空のような、猿の妖怪もいますねえ。
おっと、この豆腐小僧は結構こわもてです。
一体一体、結構しっかりと描かれていますね。
なかなか画力のある絵師のようです。
オコゼに乗ったお歯黒の妖怪。これ、一番好きなのですが、ステッカーはありませんでしたねえ。
お歯黒「はよ!はよお行き!お行きったら!オコゼよお!」
オコゼ「うほっ。うほっ。重いのお、重いのお~、お歯黒のお~」
そんな感じでしょうか?
日本の漫画・アニメは世界に冠たる文化ですが、昔々から、日本人は漫画を愛でて、質の高い漫画を作り出していたのかもしれませんね。
この松岡緑堂写「百鬼夜行」を見るだけでも、「井上円了没後100年展」に行く価値があると思いますよ~!
あ、そうそう。
アンケートも用意されているのですが、そのアンケートに自分が経験したことのある「コックリさん」について記し事務室に持っていくと、素敵な「コックリさんステッカー」ももらえるのです!
・・これ、何に使うのかなあ?
数に限りがあるそうなので、急いで~!!
もしも「没後100年展」を見逃してしまったら・・
さて皆さま、どうでしょうか?
井上円了博士の素晴らしさに、「目からうろこ」となりましたでしょうか?
「井上円了没後100年展」、何が何でも行きたくなってしまった!でしょうか?
でもでも、「8月31日まで」ということじゃあ、流石にちょっと無理だよ~っ!という方もいらっしゃるかもしれません。
本当にごめんなさい。もっと早くこの「啓蒙(洗脳?)記事」を書くべきでした。
(一応、他の記事で「宣伝」は差し上げていたつもりなのですが。。)
しかし!ご安心ください!
万が一「井上円了没後100年展」を見逃してしまったとしても、井上円了博士を知るすべは、いくらでもあるのです。
そして、もっともお薦めなのが、こちら!
そう、昭和から平成にかけての偉大なる妖怪漫画家、水木しげる氏の「神秘家列伝」(中巻)です!
この中で、井上円了博士も紹介されているのです!
この書を片手に「哲学堂公園」に赴かれては如何でしょう?
妙な置物や妙な看板が立ち並ぶ園内をぶらぶらしながら思索にふけり、あちこちに設けられたベンチや東屋で「神秘家列伝」のページをめくりつつも、また思索して。
時のたつのも忘れて、妙で不思議で哲学的な時間を、漂ってみては如何でしょうか?
「非日常的なひととき」を、お過ごしいただけること、間違えありません!
如何ですか?
というわけで、今回は井上円了博士の「没後100年展」と、「哲学堂公園」についてのご紹介でした!
特に「哲学堂公園」は、本当に素晴らしい公園ですのでお勧めです!
これから訪れる「思索の秋」に、ぴったりな公園ですよ~!
ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございました!!
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