文豪たちの夢の跡。樋口一葉ゆかりの本郷「菊坂」を歩きました。
今日は文京区本郷の「菊坂」を歩きました!
- 【まずは本郷薬師へ】
- 【菊坂通り】
- 【樋口一葉(ひぐち いちよう)について】
- 【金魚坂】
- 【菊坂コロッケ】
- 【宮沢賢治旧居跡】
- 【樋口一葉旧居跡と金田一京助旧居跡(鐙坂)】
- 【伊勢屋質店】
- 【胸突坂の奥の旅館 鳳明館】
- 【菊坂お散歩マップ】
【まずは本郷薬師へ】
地下鉄「本郷三丁目駅」から出発です!
本郷通りと春日通りの交差点を、本郷通り沿いに北に向かうと、通りの左側に「本郷薬師」との大きな門が見えました。
ふらふらっと、誘われるように門をくぐります。
少し行くと、小さなお堂と看板がありました。
看板がありますね。
「十一面観音菩薩」?なんでしょう?
30メートル先にあるようです。
行ってみましょう~!
途中に神社が。
折角なので、参拝していきますね。
櫻木神社。
小さな神社ですが、なかなかいい雰囲気です。
【櫻木神社】
【祭神】菅原道真
【由来】
文明年間(1469~1487年)、太田道灌の江戸城築城の際、京都北野天満宮より勧請された。
徳川秀忠の頃に湯島台坂上に遷座し、更に徳川綱吉の頃、昌平坂学問所設立のため、この地に遷座された。
櫻木神社を後にして、またもとに来た道に戻ります。
そこから、先程の「看板矢印」を目当てに歩くと、仏像が見えてきました。
【十一面観音菩薩】
案内板もありました。
もともとこの地には真光寺というお寺があり、そのお寺に鎮座していた観音菩薩さんだったそうです。
空襲によりお寺が燃え、お寺は世田谷区に移ったそうですが、十一面観音菩薩さんだけは、この地に残ったのだそうです。
地域の皆さんに愛された観音菩薩さんだったのでしょうね。
さて、この付近の道はテキト~に歩いていると、行き止まりになってしまったり、どなたかのお家の入り口に入り込んでしまったりします。
くれぐれもご注意を!
(実はテキトーに歩いて、プチ迷子になったのです・・)
なので、私は、一度、本郷通りに戻りました。
【菊坂通り】
本郷通りを少しだけ北上すると、「菊坂通り」の入り口です。
この「菊坂」には、明治の文豪たちの旧居跡があちこちに点在します。
私が学生時代に訪れた頃より、新しい建物が増え、道は綺麗になりましたが、細い路地が未だに当時をしのばせます。
特に、樋口一葉が暮らした町として有名なんですね。
【樋口一葉(ひぐち いちよう)について】
近代日本初の女流作家。
(1872年5月2日生~1896年11月23日没)
【代表作】「たけくらべ」「にごりえ」(「一葉日記」は没後発表)
【本名】樋口奈津
父則義が事業に失敗し、借金を残して死去したため、その生活は困窮を極めました。
一葉には許嫁もいましたが、借金を理由に婚約を解消されています。
なお、一葉の父則義は、かつて、夏目漱石の父直克の部下だったことがあり、その縁で、漱石の長兄(大助)と一葉とに縁談の話もあったそうです。
しかし、則義がたびたび直克に借金を申し込むことがあったため、それに怒った直克により、この話も破談にされてしまったそうです。
母と妹を養うため、貧困から抜けるべく小説家を目指した一葉は、文芸雑誌につぎつぎと作品を発表していきます。
そして、『文芸倶楽部』に「たけくらべ」が掲載されると、森鴎外らに見出され、絶賛されました。
しかし、一葉はこのときすでに、当時不治の病であった結核に蝕まれており、鴎外が名医をあてがう等尽力するも虚しく、24歳でその短い人生に幕を閉じたのでした。
一葉が、作家として活動した期間は、わずかに14か月でした。
さて、菊坂通りに並ぶ電灯の柱には、「当地ゆかりの文人達」についての一言メモが貼られています。
文学好きなら、これを読み歩くだけでも愉しめるかも?
(くれぐれも、車に注意して読みましょう!)
【金魚坂】
少しいくと、「金魚坂」という坂が。
覗いてみると、「金魚すくい」という赤いのぼりが見えます。
ちょっと、行ってみましょう。
沢山の金魚が生け簀を泳いでいますよ。
坂を進むと「珈琲 金魚坂」が現れました。
「珈琲 金魚坂」のメニューと営業日の表が張り出されています。
【金魚坂】
350年続く老舗。
もともとは金魚問屋だったのが、喫茶店・レストランを併設。
「金魚すくい」や「金魚つり」も楽しめるそうです。
レトロ感ある素敵な店内で頂ける珈琲は700円から。
(お食事は1700円~)
【菊坂コロッケ】
金魚坂から菊坂通りに戻り、先に進みます。
ちょっと行くと「まるや肉店」が現れます。
おっ、店先にコロッケが見えます!
「菊坂コロッケ」というのがありますよ!
120円。
買ってみました~!
丸々としておいしそうなコロッケです。
さっそく、実食!
・・おおっ、中身はふんわりとしていて、衣はサクサク!
これ、美味しい!
中身がふんわりトロっとしてますね。
小腹がすいたら、是非どうぞ!
【宮沢賢治旧居跡】
「まるや肉店」を過ぎて少し行くと、「菊坂」の案内板がありました。
昔、この辺りは菊畑があったようですね。菊花をつくる人たちが多く住むところだったので「菊坂」と呼ばれた、と案内板にあります。
また、父親を失った樋口一葉が、母と妹との三人家族の戸主として、明治23年(1890年)にこの地に移り住んだそうです。
案内板の奥に建つのは「長泉寺」。素敵な門構えですね。
この辺りに、宮沢賢治も暮らしていたんですね。
「菜食主義者でジャガイモと水の食事が多かった」とあります。
・・菜食主義者だったから、なんですかね?
それとも、生活が苦しかったから?
どうなんでしょうか、文学者や芸術家には、今以上に苦しい時代だったのではないか、と想像してしまいます。
宮沢賢治旧居跡の案内板のすぐ近くに、「ひとは」という名の喫茶店がありました。
「菊坂」の見どころを案内してくれるそうですよ!
【樋口一葉旧居跡と金田一京助旧居跡(鐙坂)】
さて、樋口一葉の旧居跡を訪ねます。
なんとも雰囲気のある木造建築と階段がありました。素敵です。
(この辺りは、民家のなかの狭い道を行きますので、くれぐれも静かに、周囲の迷惑にならないようご注意を!!)
階段を上ると細い路地が続きます。
行ってみましょう。
路地を出ると、「金田一京助・春彦 旧居跡」の案内板がありました。
言語学者・民俗学者として有名な金田一京助氏。横溝正史の作り出した「金田一耕助」の名前のモデルとなったことでも知られていますね。
京助氏の息子・春彦氏も言語学者。
国語辞典の編纂など有名ですね。
「金田一京助・春彦 旧居跡」は「鐙坂」にあります。
少し下ると「鐙坂」の案内文がありますよ。
なんとなく「江戸の町」の雰囲気を残す風景です。
さて、「金田一京助・春彦 旧居跡」に戻って、樋口一葉旧居跡に再び行きます。
路地が素敵。私、狭い道が大好き!
(でも、お静かに!)
この階段、本当に味わい深いですよね。
樋口一葉が使っていたという井戸が、今も現役であります。
樋口一葉旧居跡を過ぎて進むと、素敵な建物がありました。
「木造三階建」。
【伊勢屋質店】
更に菊坂通りを進んでいくと、「伊勢屋質店」があります。
ここも樋口一葉ゆかりのお店です。
樋口一葉、その生活は本当に大変だったようです。
この質屋にたびたび通い、苦しい家計をやりくりした、と案内文にあります。
「 この月も伊勢屋のもとに走らねば事が足りず、小袖四つ、羽織二つ、ひと風呂敷に包んで、母君と私で持っていくことにした。
蔵のうちに はるか くれ行く ころもがえ 」
(樋口一葉の明治26年5月2日の日記)
この伊勢屋、内部を見学することができるようです。
一般公開日は土曜日、もしくは日曜日。
公開していない日もあるようなので、建物を所有する「跡見学園女子大学」に、事前に確認されてから行くとよいでしょう。
私は平日に訪れたため入れませんでした~。またいつか、チャレンジしたいです!
【お問い合わせ先】
跡見学園女子大学文京キャンパス
事務室03-5803-1174
伊勢屋の裏にも井戸がありました。
今も使われているのでしょうね。なんだか、いいですよねえ。
【胸突坂の奥の旅館 鳳明館】
さて、菊坂通りの端の郵便局から胸突坂を上っていくと、なんとも風情のある建物が見えてきましたよ。
旅館です。
「旅館 鳳明館」とあります。
歴史を感じさせる 建物ですねえ。
看板も素敵ですが、入り口が良い!
ああ、ガラガラっと開けて入りたい!!
お隣には「別館」もありました。
是非、泊まってみたいですね!
1人部屋から5人部屋まで、用意があるみたいですね。
1人部屋利用だと、時期にもよるのでしょうが、7000円~1万円くらいのようですね。(思ったより高くないです。)
「旅館 鳳明館」とこの「別館」の間の通りを南に進むと梨木坂を経て菊坂通りに戻れます。
私は菊坂通りに出て、本郷通りまで戻りました。
【菊坂お散歩マップ】
さて、今回のお散歩ルートを、ちょっとメモってみました!
①地下鉄「本郷三丁目駅」5番出口 ②本郷薬師と十一面観音菩薩の看板
③ 櫻木神社 ④十一面観音菩薩 ⑤珈琲 金魚坂 ⑥まるや肉店(コロッケ)
⑦宮沢賢治旧居跡 ⑧坪内逍遥邸跡(今回は行くのを失念しました・・)
⑨喫茶店「ひとは」 ⑩樋口一葉旧居跡 ⑪一葉の井戸 ⑫金田一京助旧居跡
⑬木造三階建 ⑭伊勢屋質店 ⑮井戸 〒:本郷五郵便局
⑯鳳明館本館 ⑰鳳明館台町別館
さて、その後私は、
そのまま「赤門前の古書店街」を散歩したのですが・・
そのお話は、また次回!
というわけで今回は、
文豪たちの夢のあと、
樋口一葉をしのぶ本郷「菊坂」歩き、でした!
ここまでお読みいただきまして、
ありがとうございました!