国分坂ブログ

「歩くこと」「考えること」が好きな、国分坂です!

京極夏彦の『姑獲鳥の夏』に触発されて!鬼子母神と雑司ヶ谷霊園をめぐります!

 こんにちは、国分坂です。

今日は、池袋でお仕事でした。

現在、午後2時半。

少し時間があるので、散歩でもしてみましょうか。

しかし、繁華街は好きじゃありません。どうしましょう。

 

ふと、何の脈絡もなく、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を思い出しました。

・・池袋。

そうだ、「鬼子母神」と「雑司ヶ谷霊園」。

『姑獲鳥の夏』の舞台である「鬼子母神」と「雑司ヶ谷霊園」を散歩しよう!

急遽、そんな思い付きに囚われてしまった国分坂です。

 

 

【池袋駅東口から出発!】

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JR池袋駅を出るとすぐに明治通りがあります。

信号を渡って通りの向こう側へ行ったら、そのまま明治通りを右方向(南)へ進んでいきます。 

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池袋駅から鬼子母神神社まで徒歩15分くらいです。

のんびりぷらぷらと行きましょう~

 

と、歩いていたら、魅惑的な本屋さんを発見! 

 

【古書・往来座】

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「古書・往来座」!

非常に素敵な面構えでアリマス!

あんまり時間はないのですが、入らないわけにはいきません!

 

入ってみた感想。・・素晴らしい!

古式ゆかしい古本屋さんです!なかなかディープな世界観を有していますね。

もっとじっくりと眺めていたかったのですが・・

また今度来ます!

 

【古書往来座】

12時頃~22時まで。年末年始以外原則無休、だそうです。

池袋駅東口から徒歩10分弱。

 

【鬼子母神(きしもじん)】

さて、先に進みましょう。

 少し行くと「大鳥神社参道」という看板が出てきますが、ここは素通りします。

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ちょっと行くと、 「鬼子母神西参道」という看板があります。

ここを入っていきますよ~!

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少し行くと、すぐに神社が見えてきました! 

 

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「鬼子母神」です! 

 あれ?裏側ですねえ。

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裏から入ってきてしまいました。

まあ、いいでしょう。

お、裏には「北辰妙見大菩薩」が祀られていますね。 

 

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裏から表へと回って行きましょう。

横から見た「鬼子母神堂」です。立派ですね。 

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さて、表に回りました。

おお、素晴らしい!

非常に風格がありますね。

「鬼子母神堂」、素晴らしいです! 

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狛犬。大きくないですが、なかなか獰猛な感じ。

ちょっと怖いけど、なんとなく愛嬌がありますね。 

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鬼子母神の額が見えますね。

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よく見て頂きますと、「鬼」の字の角が取れていますね。
こちらの鬼子母神像は「鬼形」ではなく「菩薩形」をしているそうです。

それで鬼の角がとれているんですね。

 

鬼子母神とは?

そもそも鬼子母神は、インドの訶梨帝母(カリテイモ)という夜叉神でした。

多くの子を産み育てていました。

しかし、訶梨帝母は人間の子供を採って食べるため、人々から恐れおののかれていました。

それを見かねたお釈迦さまは、訶梨帝母の末の子を隠してしまいました。

訶梨帝母は泣け叫び半狂乱となりました。

お釈迦さまは訶梨帝母に、「多くの子を持つお前が、ただ一人の子を失ってもその体たらくだ。ならば、ただ一人の子をお前に喰われて失う人の親たちは、一体どれだけの嘆きを持つのであろう」といいました。

訶梨帝母はその言葉で悟り、やがて安産・子育ての神となったそうです。

 

ところでこの鬼子母神堂、なんとあの「鳥山石燕」の絵馬が、収蔵されているそうですよ!

「大森彦七の図」といわれる絵馬で、大森彦七が女性を背負っている図です。

大森彦七が美女に出会い、事情があってその美女を背負っているうちに、なんと美女が鬼女に変化して彦七を襲う、そんなお話の一場面を描いた絵馬です。

大森彦七(大森盛長)は南北朝時代の武将で、北朝に与しました。大森彦七は南朝方の名将楠木正成を敗死させたといわれていますが、あるとき、楠木正成の怨霊の化身である鬼女に襲われた、という話が『太平記』にのこされています。

この話が江戸時代に舞踊劇となり「大森彦七の図」に繋がっているのですね。

 

さて、境内には大黒天を祀るお堂もありました。

 

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大黒天はもともとヒンドゥー教のシヴァ神といわれています。

シヴァ神は破壊と再生の神といわれ、すっごく怖い神様です。

 

・・もしかして、鬼子母神がなにかの拍子で鬼女に逆戻りしてしまったときに備えて、それよりも圧倒的におっかないシヴァ神を監視役においている、なんてことだったりするんでしょうか?

 なんだか、小説の題材になりそうですよね。

 

・・暗雲立ち込める鬼子母神堂。

 雷が落ち、「鬼子母神」の額に傷が。

 みると、鬼子母神の「鬼」の字に、角が付いている。

 雷の衝撃で額に傷が入り、その傷が丁度「鬼」の角の部分を成していたのだ。

 奇怪にも、角のある鬼に変じた「鬼子母神」。

 

 その日を境として、近隣の子供たちが行方不明になる事件が多発。

 

 警察の操作は難航。

 犯人どころか、犯行の手がかりすらつかめない。

 子供たちは、まるで煙のように突然消えてしまった様子なのだ。

 そこに現れたのが呪術師・呪文堂主人。

 彼はつぶやく。

 「・・訶梨帝母、か。まずいな。式鬼ではとても抑えられない・・

  ・・やっかいなことになるが、シヴァを下すしか、ないかな・・」

ライトノベルなら、いけそうですかね?

 

 さて、境内の中にはお稲荷さんもありますね。

そして、その隣には駄菓子屋さんもありました。

「上川口屋」さん。

なんと、創業1781年とか!江戸時代から続く駄菓子屋さんです!

凄い!

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お稲荷さんも素敵ですよ。 

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 うーん、夜に来たかった。

ここは、結構、いい雰囲気ですよ。夜なら、おそらく更に。

 

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柵に閉じ込められているお狐さん。

え、封印されているのかって?

・・まさかね。

気になるようでしたら、丑三つ時(午前2時~2時半)にいらっしゃい・・

 

そして、こちらが有名な鬼子母神の公孫樹(イチョウ)。

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樹齢600年以上だそうです。立派ですね。

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下の写真の中央左端、枝から下に垂れ下がっている 円錐形ものが見えますか?

気根や乳と呼ばれるものです。

乳イチョウともいわれて、安産や子育ての信仰対象になったそうです。

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この木に触れると子宝を授かる、ということで「子授けイチョウ」とも呼ばれたそうです。

・・もし夜中に訪れたとき、女性がこの木に抱きつきながらうふふっと笑っていたら、ちょっと怖いかもしれませんね。

すみません、妄想が暴走中です・・!

 

というわけで、とても素敵な「鬼子母神堂」でした!

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鬼子母神堂

本尊:鬼子母神

寛文4年(1664年)建立。

もともとは天正6年(1578年)に村の人々が堂宇を立てたのがはじまりといわれる。

東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20

都営荒川線「鬼子母神前駅」徒歩5分

地下鉄副都心線「雑司ヶ谷駅」徒歩5分

JR池袋駅徒歩15分

JR目白駅徒歩15分

 

 

【雑司ヶ谷霊園へ】

さて、鬼子母神堂を後にして、出口からまっすぐ東へと進みます。

ところで、出口から南に進むと「鬼子母神前駅」「雑司ヶ谷駅」に至りますが、その途中に「雑司ヶ谷案内処」があります。お土産も売ってますので、お時間があれば立ち寄ってみては如何でしょうか?

なお、「雑司ヶ谷案内処」のすぐ先には「手塚治虫旧下宿跡」もありますよ。

 

私は時間の関係上、今回はパス。

鬼子母神堂の出口をまっすぐ東に進みました。

進むと、T路地になり、その左手が大鳥神社です。

T路地を左に曲がり、大鳥神社の正面を過ぎます。

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おや、猫が一匹、お参り中です。

見えますかね? ↓ 

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なにを拝みに行くのかな?

 

大鳥神社を過ぎたら、今度は右に曲がり荒川線を跨ぎます。

そしてすぐまた左へ。

そこから北東(右前方)へとテキトーにくねくね入っていきますと、雑司ヶ谷霊園へと辿り着けます~(このルートで来ると、管理事務所のあたりに着くはずです。)

 

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雑司ヶ谷霊園には、著名人のお墓が沢山ありますよ。

今回は、夏目漱石先生、竹久夢二、泉鏡花、永井荷風、小泉八雲、ジョン万次郎のお墓を探索したいと思います~!

 

夏目漱石先生のお墓(探索難易度★☆☆)

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大きいです!一際目立ちます!

地図を頼りに目安をつければ、すぐに見つかるはずですよ。

私は中央辺りから行きましたので、漱石先生の墓石の背中がまず目に留まりました(今日は裏からばかり訪れていますね。) 

 

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立派ですねえ。

面白い形の墓石です。

椅子の形を模しているのでしょうか?

 

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漱石先生はここには居ない、ということは分かっていても、なんだか嬉しくてパチリパチリと写真をたくさん撮ってしまいました。

もしも漱石先生がいらっしゃったら、苦虫を嚙み潰したような顔をして、

「・・・きみ、もうそのへんでよかろう。しまいたまえ・・」

とおっしゃったかも。すみません!

 

墓は墓でしかなく、そこには石と土しかない。

そんなことは分かり切っているのですが、それでもなんとなく嬉しいような心持ちになれるのは、おそらく墓に仮託しているのでしょうね。自分のなかのそのひとを。

そういう意味では、なるほど墓も捨てたもんじゃない、あるといいものだ、と初めて思いました。

勉強になりますね。

 

漱石先生、またお伺いさせて頂きます!!

「・・わしはおらんよ、ここには・・・」

 

竹久夢二のお墓(捜索難易度★☆☆ ※ただしニアミス注意) 

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 お次は「竹久夢二のお墓」です。

漱石先生のお墓からほど近く、白い柱の案内も出てますので見つけやすいですよ。

でも、白い柱のすぐ横のお墓ではありませんのでご注意を(ニアミス注意)。

 

中に入るとこのようなお墓が。 

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こちらが「竹久夢二のお墓」です。

「竹久夢二を埋む」。シュールです。 

 

「竹久夢二のお墓」の横には、案内板も設置してありました。 

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訪れるファンの方が多いのでしょうか?

美人画で一世を風靡し、また実生活でも美人との恋愛遍歴をもつ竹久夢二。

やはり、いまでも女性ファンが多いのでしょうかね。

(ほかの著名人のお墓にはありませんでしたねえ、案内板。)

私は、竹久夢二の『ドグラ・マグラ』に衝撃を受けたのを覚えていますね。

 

 

泉鏡花のお墓(探索難易度★☆☆ ※ただし適当に行くと迷います) 

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「竹久夢二のお墓」の次は、「泉鏡花のお墓」のお墓です。

「泉鏡花のお墓」に行くには、一度「管理事務所正面通り」に出て、そこから行った方が良いかもしれません。

「竹久夢二のお墓」からそのままお墓の間を通って進むと、ちょっと探しにくいです。

 

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「管理事務所正面通り」には、このような案内石が立っています。

ここから中に入って進みます。石畳の道です。

 

ずいっと入ると、こちらが「泉鏡花のお墓」です。 

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「おばけ好き」と呼ばれた泉鏡花。

ご自身も「ああ、おばけになって出てみたい」とお思いのことでしょうか?

もちろん、私の大好きな作家です。

 

大人になってから『高野聖』を読み返したとき、

・・・こ、こんな小説を学校の教科書に載せていたとは・・フランスか!

と思ったものです。

怪談物も多く書かれていますね。さすがお化け好き。

学生時代に読み漁ったものです。

 

永井荷風のお墓(探索難易度★★★)

えっと、私は迷いました。

見つからない!いったい、どこに?

こちらはですね、「管理事務所正面通り」の下の案内石が目印になります。 

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「永井荷風」のお墓の案内ではなく「岩瀬肥後守墓道」の石です。

 

 分かりますか。もう、見えているのですが・・

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実は、この生け垣で囲まれたところが「永井荷風のお墓」なんです! 

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分からないですよね・・・ 

 

この下にある緑の札が、「著名人のお墓」の目印です。 

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これを頼りに探してみて下さい! 

 

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やっと出会えました!永井荷風!

華やかな私生活を送りながらも、晩年は自宅に引きこもっていたという永井荷風。

この生け垣には、なにか意味があるのでしょうかね?

永井荷風といえば、私は随筆物が好きですねえ。

 

小泉八雲のお墓(探索難易度★★☆)  

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「小泉八雲のお墓」です。

もちろん、お化け好きの先生です。

泉鏡花もご近所で喜んでいることでしょう!

漱石先生は?どうなんでしょうね?

実は小泉八雲と漱石先生は「妙な因縁で結ばれている」という話は有名ですね。

漱石先生は熊本の第五高等学校に赴任しましたが、小泉八雲はその2年前まで、やはり同校で教鞭をとっていました。

また漱石先生がロンドンから戻り、東京帝国大学で英文科の講師になったとき、その前任者が小泉八雲。

漱石先生は小泉八雲の後塵をちょくちょく拝していた、という格好です。

小泉八雲の講義は面白く生徒たちに人気だったそうですが、後任の漱石先生も面倒見の良い人気講師だったようですね。

小泉八雲と夏目漱石の授業を受けた生徒たち、とんでもなく羨ましい・・・

 

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もしも、もしもお化けの世界があるのなら、

鏡花「八雲先生、八雲先生、今日もひとつお願いしますよ~」

八雲「今日は君がお話してみては?」

鏡花「えー、僕ですかあ。ねえ、夢二くん、夢二くん、君がやってみる?怪談」

夢二「・・いえ、今日は妻が、あ、いやお葉が・・」

鏡花「・・忙しそうだね。あれ、漱石さんは?あ、漱石さーん、こっちこっち」

漱石「・・私は胃が痛いので」

鏡花「今日もですかあ?あれ、永井くんは?」

夢二「お出かけのようですよ」

鏡花「ああ、あっちにね。元気だなあ。・・八雲先生、お願いしますよ~」

八雲「今日は君がお話してみては?」

鏡花「・・・はい」

なんて会話が繰り広げられていたりして。

 


 

 ジョン万次郎のお墓(探索難易度★☆☆)

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最後に訪れたのが「ジョン万次郎のお墓」です。

立派ですね。 

 

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いわゆる日本初の「アメリカンドリーム」のひとですかね?

半農半漁でくらす貧しい漁師の次男の生まれですが、最後には「正五位」。

坂本龍馬たち幕末の知識人たちに多大な影響を与えたキーマンです。

本当に、波乱万丈の人生だったのでしょうね。

どなたかが、お茶をお供えしてました。

ゆっくりと、お休みください。 

 

【護国寺へ】

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さて、雑司ヶ谷霊園を後にして、護国寺に立ち寄ってから「地下鉄護国寺駅」から帰りましょう。 

 

雑司ヶ谷霊園からすぐに、護国寺裏の墓地が見えました。

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静かな墓地を歩くと、奥に護国寺が見えました。

 

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護国寺です。今日は裏から入ってばかりです。 

 

正面に回りましたよ。 本堂(観音堂)です。

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おお、立派。さすが護国寺。 


夕方の光を浴びて、とても雄大な感じです。 

 

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仁王さんと大仏さん。 

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 こちらは不老門。裏からみた図です。

 

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 表からみた不老門。

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京都の鞍馬寺の門を基本に設計されたそうですね。 

 

そして、仁王門。

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金剛力士がにらみを利かせていますよ。 

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本堂(観音堂)の建立は元禄10年(1697年)ですが、仁王門はそれよりやや新しいそうです。しかし、年季が入っていますね。

 

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護国寺

本尊 如意輪観世音菩薩

天和元年(1681年)、五代将軍徳川綱吉が創建。

本堂(観音堂)は元禄10年(1697年)に建立。

東京都文京区大塚5-40-1

地下鉄護国寺駅徒歩1分

 

そして、地下鉄護国寺駅に到着。ゴールです! 

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京極夏彦の『姑獲鳥の夏』に導かれて、鬼子母神堂から雑司ヶ谷霊園、そして護国寺へと巡りました。

かなりサクサクと歩きましたのでトータルで1時間半くらいでしたが、普通に歩けば2時間から2時間半くらいかかるかもしれません。

(神社仏閣、霊園で、どれだけ「佇むか」によりますね~)

 

できましたら、夏の夕闇時に、もう一度、歩きたいものです。

そのときは、「護国寺」からスタートして「雑司ヶ谷霊園」に入り、最後の暗闇間近で「鬼子母神」にたどり着く、というのが理想かも。

想像するだけでワクワクしますね!

 

 

というわけで、今回は、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』に触発されて!鬼子母神と雑司ヶ谷霊園をめぐります!でした~!

ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございました!