国分坂ブログ

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「参議院選挙」を「三つの正義」から読み解く!

みなさん、こんにちは!国分坂です。

いよいよ夏本番、暑さも厳しさを増してきました!

熱中症には、くれぐれもご注意くださいね!

 

さて先日、参議院選挙がなされましたね。

この参議院選挙についての「総括」は、専門家の方などにお任せしたいと思うのですが、私はこの前記した「三つの正義のスタイル」から、今回の参議院選挙を読み解いてみよう、と思いまして。

宜しければ、是非お付き合いください!

 

【過去の記事】

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三つの正義とは

さて、本日お話する「三つの正義」とは、「功利主義」「自由原理主義」「定言的哲学理論(定言命法)」から導かれる「正義」のことであり、現代社会で掲げられる「正義」は、およそこの三つの正義に集約・分類できるのではないか、と考えております。

 

「功利主義」「自由原理主義」「定言的哲学理論」から導かれる「正義」について、それぞれごく簡単に以下まとめてみます。

 

「功利主義」における正義

「なるべく多くの人が、なるべく最大限の幸福を感じられる行為」

 

「自由原理主義」における正義

「誰にも侵害・阻害されることなく、自分の権利が尊重され、自分の権利を自由に処分できる状態」

 

「定言的哲学理論」における正義

「理性と普遍的な価値観から生じた絶対的な道徳的行為を、自分自身の良心に従い、義務感を持って行うこと」

 

それぞれ簡単に説明させて頂きますね。

 

「功利主義」とは、「最大多数の最大幸福」を求める考え方です。

なんらかの行為をする際には、なるべく多くの人が、なるべく幸福になれる方法を選択すべきだ、という考え方です。

つまり、「功利主義」からすると、「なるべく多くの人が苦痛よりも喜びを感じられるような社会を作っていくことが重要なのであり、それこそが正義である」、という考え方になります。

 

つぎに「自由原理主義」ですが、これは個人の権利を非常に尊重する考え方です。

「自分を所有するのは自分自身である。国家であっても、個人の権利を侵害することは許されない」という考え方です。

つまり、「自由原理主義」からすれば、「誰にも侵害されることなく自分の権利が尊重され、自分の権利が自由に行使・処分できる状態こそが正義である」、という考え方になるわけです。

 

最後が「定言的哲学理論」ですが、これは、「理性的で普遍的な価値観から導き出された「絶対的な道徳的行為」に基づき自律的に行動することが正しい行為である」という考え方です。

この「定言的哲学理論」はなかなか難しいのですが、「定言的哲学理論」を提唱したカントは、次の三つの要点を挙げています。

 

1.その行為の動機が「義務」に基づくものであること。

2.その行為は自ら規律した理性的法則に従ったもの(自律性)であること。(欲求・欲望などを原因とする「他律的」なものでないこと。)

3.その行為自体が理性的で普遍的価値に合致した行為(定言的)であること。(その行為が他の目的の手段としてなされる行為であれば、それは「仮言的」なものでしかなく、正しい行為とはいえない。)

 

つまり、「定言的哲学理論」からすると、「理性的・普遍的価値のある行為を、自らを律する理性的法則に従い、義務的に行うことが正義である」、という考え方になるのです。

 

 

日本社会における伝統的「正義」

さて、日本は「ある意味、世界でもっとも成功した社会主義的な国」などといわれたことがあります。

これは、「資本主義体制でありながら格差の少ない社会」という意味と、「民主主義体制でありながら規制が多く、国家の介入・統制が成功している社会」という意味とでいわれたようです。

 

おそらく、日本という国は、資本主義・民主主義という近代政治思想以前、封建社会の時代から、「個人よりも集団の利益保全を重視する社会」だったように思われます。

「個人よりも家」、「家よりも村」、といった集合体を重んじる考え方です。

個々の構成員よりも集合体を重んじる思想が、果たしていつ頃成立したのか、不勉強のため私には分からないのですが、おそらく江戸時代には確立していたのではないでしょうか?

(江戸幕府が採用した「五人組」などという連帯責任・相互扶助(相互監視)政策も、集合体を重んじる基盤造りに大きく作用したと考えられそうです。)

 

このような土壌があったため、日本では政治的思想として「功利主義」が根付きやすかった、と考えることができるのです。

「最大多数の最大幸福」の功利主義ですね。

なるべく多くの人が、なるべく幸福になれる社会をつくっていく。このような思想は、個人よりも集合体の利益を保全してきた日本社会に、とてもマッチした考え方だったのではないでしょうか。

 

与党「自民党」は功利主義?

そのように考えてみると、長らく日本社会をリードしてきた与党「自民党」は「功利主義」的政策を担ってきたはずだ、と推測できます。

 

ここで「自民党」の公約をちょっと見て見ましょう。

 

1.力強い外交・防衛で国益を守る

2.強い経済で所得をふやす

3.最先端をいく元気な地方をつくる

4.誰もが安心、活躍できる人生100年社会をつくる

5.災害から命・暮らしを守る

6.憲法改正を目指す

 

順に見て見ましょう。

1の「力強い外交・防衛で国益を守る」は「国益」という「みんなの利益」のことを言っています。功利主義ですね。

2の「強い経済で所得をふやす」は、個人の所得を増やすことが目的ですが、「強い経済」、すなわち「社会」を強化させることを重視しており、社会が強化されることで結果個人の所得も増える、という考え方だと思われます。よって、この公約も功利主義的な思想だといえます。

3の「最先端をいく元気な地方をつくる」も、「地方」という単位の集団を強化させることをいっており、功利主義的政策ですね。

4の「誰もが安心、活躍できる人生100年社会をつくる」も、主体は「社会」なんですね。つまり功利主義的政策です。

5の「災害から命・暮らしを守る」は、ここではじめて個々人を主体とした政策が出てきました。個人の命・権利を尊重する政策ですから、自由原理主義的な思想が入っている、と捉えることもできそうです。もしくは、災害から人の命や生活を守ることは道徳的に当然だ、という視点からであれば、定言的哲学理論からの政策、ともいえます。

6の「憲法改正を目指す」は、公約1~5に関連する条文改正ようですね。だとしたら、やはり、ほぼ功利主義的政策の一環、といえそうです。

 

このように、「自民党」の公約からは、「なるべく多くの人が、なるべく最大限の幸福を感じられる社会」の実現を目指す、という「功利主義」的正義が見受けられます。

 

このように見てみますと、やはり、日本の伝統的な社会的価値観、社会的正義感を担っているのが「自民党」、ということができそうです。(「保守」政党ですからね、順当といえるのかもしれません。)

 

3つの野党

与党「自民党」が「功利主義的正義」を掲げているようだ、としたうえで、今度は野党に目を向けてみましょう。

 

今回の参議院選挙でも、数多くの野党が登場しました。

そのなかでも、次の3つの野党を、今回は取り上げてみたいと思います。

 

1.NHKから国民を守る党

2.安楽死制度を考える会

3.れいわ新選組

 

(なお、「安楽死制度を考える会」は議席を獲得できず、政党要件も満たさなかったようですが、ここでは「野党」として扱わせて頂きます。)

 

さて、1の「NHKから国民を守る党」と2の「安楽死制度を考える会」は、ワン・イシューを掲げて闘うものとして、今回注目を浴びました。

ワン・イシューとは、ひとつの政策を前面に出し、その政策実現を目標とするものです。

 

「NHKから国民を守る党」が目指す政策は、その名が示すとおり「国民にNHKを利用しない権利を守ること」ということのようです。

つまり、「NHKの放送を観る観ない、NHKを利用するしないは、個人の自由であり、その自由を侵害し得るいかなる行為もゆるさない」という主張です。

これはまさに「自由原理主義」ですね。

「自分を所有するのは自分自身である。国家であっても、個人の権利を侵害することは許されない」という「自由原理主義」的観点から、法律(放送法)でNHK受信契約を義務化し、それに基づく支払いを義務化することなど許さない、と主張するわけです。

 

「安楽死制度を考える会」の政策は、やはりその名が示すとおり、「安楽死制度の創設」を目指すことのようです。

日本においては「安楽死」は認められておりませんが、これを制度化して可能にしよう、というのが「安楽死制度を考える会」の主張です。

これも「自由原理主義」からの主張ですよね。

「自分を所有するのは自分自身である。国家であっても、個人の権利を侵害することは許されない」わけで、自分の命を自分で処分できないのはおかしい、という主張です。

 

奇しくも、ワン・イシューを掲げる「NHKから国民を守る党」と「安楽死制度を考える会」が、「自由原理主義」的正義を掲げての参戦であったことが分かりました。

 

では最後の一つ、3の「れいわ新選組」はどうでしょう?

「れいわ新選組」が目指す政策をみてみましょう。

 

1.消費税は廃止

2.安い家賃の住まい

3.奨学金チャラ

4.全国一律!最低賃金1500円

5.保育・介護・障がい者介助・事故原発作業員などの公務員化

6.一次産業戸別所得補償(食料自給率100%を目指す)

7.災害に備える

8.国土強靭化

9.デフレ脱却給付金支給

10.デフレ期財政金融政策(新規国債発行)

11.地位協定の改定

12.トンデモ法一括見直し・廃止

13.原発即時禁止

14.障がい者への合理的配慮徹底化

15.DV・虐待のない社会実現

16.児童相談所問題

17.動物愛護

 

・・うわあ、数が多い・・

いくつかにまとめて、見てみましょう。

 

消費税廃止(1)、安い賃金の住まい(2)、奨学金チャラ(3)、全国一律!最低賃金1500円(4)、保育・介護・障がい者介助・事故原発作業員などの公務員化(5)、デフレ脱却給付金支給(9)、障がい者への合理的配慮徹底化(14)、DV・虐待のない社会実現(15)は、どうでしょうかね。

これらは、「社会」より「個人」を重視した政策、ということになるのでしょうか?

「社会」を良くした結果「個人」も良くなる、という考え方ではなく、「個人」を尊重した「社会」をつくる、という考え方といえますでしょうか?

そうすると、「自由原理主義」的正義、とも見えそうですが、道徳的観点からの「弱者保護」の徹底、という視点が強く伺えますので、むしろ「定言的哲学理論」に基づく主張、と考えられそうです。

 

一次産業戸別所得補償(6)、災害に備える(7)、国土強靭化(8)、デフレ期財政金融政策(10)、地位協定の改定(11)、トンデモ法一括見直し・廃止(12)、原発即時禁止(13)、児童相談所問題(16)、動物愛護(17)は、総括すると「新しい社会制度の創設」、ということになりそうです。

ポイントは、与党とは違う「イデオロギー」に基づく社会制度を、創設しようと考えている点です。

どのような「イデオロギー」に基づくのかといえば、それは「庶民」や「社会的弱者」の立場を重視する思想のようです。

 

この考えは、「功利主義」から導かれる「少数者軽視」という考え方を批判する、カントの「定言的哲学理論」そのものといえます。

つまり、社会的弱者を保護することが「れいわ新選組」の政策の根底にあるのだとしたら、「れいわ新選組」は「定言的哲学理論」の正義を掲げている、と分析できます。

(「自由原理主義」は市場原理に則ることを原則とするため、「社会的弱者の保護」という視点を基本的に持ちません。むしろ、課税による富の分配をも否定するのが「自由原理主義」ですので、「自由原理主義」はどちらかといえば「強者の理論」といえます。)

 

今後の行方

以上、勝手ながら各政党の正義を分析してしまいました。

 

「自民党」は「功利主義」的正義

「NHKから国民を守る党」と「安楽死制度を考える会」は「自由原理主義」的正義

「れいわ新選組」は「定言的哲学理論」的正義

 

仮に、このような分析が正しいとしたら、次のようなことがみえてきます。

 

まず、「自由原理主義」正義を掲げた「NHKから国民を守る党」と「安楽死制度を考える会」とが、ワン・イシュー(一つの政策を前面に出すこと)を掲げたことも、納得できます。

「自由原理主義」は、「自分の権利の尊重」をなにより重視します。ゆえに、その裏返しとして「他者への干渉」も抑制的になるはずです。

「自分が干渉されたくないから、他者へも干渉しない」、という考えです。

そのため、「政府は必要最小限の機能のみを持てばよく、国家権力は小さければ小さいほど良い」という考え方になります。

「自由原理主義」からすれば、福祉政策などには、おそらくあまり興味がないはずです。

そして、自分が求める「個別の自由の実現」についてのみ、他者に賛同を求め、政治的な政策化を目指すことになるわけです。

そう、「小さな政府」を求める「自由原理主義」からすると、個別の政策実現を目指す「ワンイシュー型政党」が好ましいのですね。

 

もしもこの仮説が正しいとすると、「自由原理主義」的正義を掲げる「NHKから国民を守る党」は、掲げた政策以外の論点については、これといった主義主張を持たない可能性があります。

つまり、自分たちの自由の実現に手を貸してくれ、かつ、自分たちの自由を侵害しない政策であるならば、今後、どのような党とでも手を組み、離合集散も辞さない、というスタイルをとることになりそうです。

 

一方、「功利主義」的正義を掲げる自民党ですが、やはり伝統的正義を担っている以上、多少の修正はあったとしても、今後も変わらずに「多数重視(少数軽視)」的政策を採らざるを得ない、ということになるでしょう。

「社会を良くして、その結果、個人も良くなる」という考え方自体は悪くないと思います。

しかし問題は、「社会が良くなっていくスピードが、個人のスピード(人生)に間に合うのか?」ということと、「良くなった社会から発生した富を、適正に個人に分配できるのか?」という問題です。

これらの問題をクリアーできれば、「功利主義」的正義を掲げる自民党の未来も、もしかしたら明るいものになり続けるかもしれません。

 

最後に「定言的哲学理論」の正義を掲げる「れいわ新選組」ですが、ひっとしてひょっとすると、自民党最大のライバル政党にまで成長する可能性があるかもしれない、と個人的には思っています。

 

なぜなら、「功利主義」の最大のライバル的思想が「定言的哲学理論」だからです。

「功利主義」という古典的社会正義の問題点を指摘し打ち破ろうとする理論が、「定言的哲学理論」なのだと思います。

政治の世界が「公共哲学実現の場」であるとしたら、世界的潮流は「功利主義」と「定言的哲学理論」の対決、なのかもしれません。

(欧州で旋風を巻き起こしている「左派ポピュリズム」といわれる勢力は、ある程度「定言的哲学理論」に基づく主張をしているのではなかろうか? などとみているのですがどうでしょう?)

 

正直、「現在の野党」は惨憺たる状態、といわざるを得ません。

健全な与党を育てるためには、力強い野党が必要だと思っています。

二大政党制になるべきかどうかは難しい議論ですが、しかし、二大政党制に至らなくても、いまの野党の姿はちょっと酷いです。

単に「与党の批判」だけをしていては、残念ながら国民の支持を得ることは難しいでしょう。

 

むしろ、与党とは別の視点で社会を観て、全く異なる見地から、次々と政策を提言していく、といった姿勢が野党に求められるのだと思います。

そのためには、与党と違う「正義」に立脚した方が分かりやすい。

単なる与党批判ではなく、与党と違う「正義」に立脚し、その「正義」に基づき、ぶれることなく政策を打ち出していく。

その「正義」に賛同する国民が、一定数出てくるのだと思います。

 

そんなことをぼうっと以前から考えていましたが、「れいわ新選組」が出てきました。

一つ一つの政策は、うーむ、と思うものが多いのですが、その根幹が与党「自民党」とは違う「正義」に基づいているように思えたので、これは面白くなるかも、と期待しました。今回の参議院選が「前哨戦」であるとすると、次の衆議院選はちょっと面白くなるかも?と。

もちろん、まだまだ与党「自民党」を脅かす勢力にはならないでしょうが、既存の野党を飲み込んでいく存在にはなるかもしれないなあ、などと思ったり。

 

「定言的哲学理論」を掲げた「れいわ新選組」が動き回ることで、「功利主義」の「自民党」が気を引き締めてくれればいいなあ、と思っているわけです。

どうでしょうかね?

 

実のところ、私は政治についてはさほど興味を持っていなかったのですが、哲学的な視点を取り入れてみたら、「なにこれちょっとおもしろい!」となりましたので、ご紹介させて頂きました。

すみません、以上の分析・見解は、あくまでも国分坂の私見です。

「れいわ新選組」から「定言的哲学理論なんて掲げてないゾ!」と怒られてしまうかもしれませんが、私からはそう見えた、というわけで。

 

あと、ワンイシューを掲げた「自由原理主義」勢力、これも今後いろいろと台頭してくるかもしれませんね。

アメリカでは「自由原理主義」がかなりの勢力を形成している、なんて話をどこかで耳にしたのですが、果たして日本ではどうなるのでしょう?

 

政治のことは分からない、といいつつも、政治の世界が「公共哲学実現の場」になることを切実に祈っている国分坂でした!

みなさんは、如何お思いでしょうか??

 

というわけで、「参議院選挙」を「三つの正義」から読み解く!でした!

ここまでお付き合いを頂きまして、誠にありがとうございました!

 

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