祝!100記事目!特別企画!「夏です!幽霊はいる?もしもいるなら〈法的問題〉はどうなる??」
こんにちは~!国分坂です!
なんと!この記事で「100記事目」でした!!いやあ、びっくり!
当初定めた目標の「取り敢えずは100記事!」を、やっと達成できました~!
本当に、皆さまのお陰です!
皆様のお陰で、なんとか今日まで頑張れました!
本当に本当に、ありがとうございます!!
せっかくの100記事目ですからね、なんか「イベント的なもの」をやりたいなあ、と思いまして。
なにがいいかなあ、なにか、皆さんにお楽しみいただけるお題はないかなあ、なんだろうなあ、と考えました。
しかし、暑いですねえ。暑い。夏ですねえ。暑い。夏・・・そうだ!幽霊!!
夏といったら「幽霊」ですよね?(・・私だけですか?)
私、幽霊とか妖怪とか、大好きなんですよ。もうホントに。
今はしがない司法書士という仕事をしておりますが、学生時代は「幽霊・妖怪研究者」を夢見ていたんですねえ。(学芸員の資格もとっちゃったりして。)
でも、幽霊や妖怪の研究では残念ながら食べていくことが難しく、すぐにでも自分が幽霊になりかねない、という現実を知らされたんですね。
そう、あれも夏でした。学生時代の夏。博物館実習時に声をかけて下さった研究者の方のお話でしたね。
私の研究テーマ「龍についての民俗学・社会学・自然科学的アプローチによる綜合的考察」というアイディアを、「悪くないねえ」とおっしゃって下さった研究員さん。
あの頃の私は、今以上に真面目で小心者で、実に型に嵌った生き方をしていたので、「幽霊になりかねない幽霊学者」の道を選ぶことができなかったんですね・・
でも、今思えば、研究員さんは、厳しい現実を伝えながら、心の中では「飛び込んで来い!」と思っていらしたのかもしれません。あの時の研究員さんの眼差しを思い出すと、そんな気がしてならないのですね。
もう私も、あの時の研究員さんと同じくらいの歳になりました。
ああ、夏でしたね。
すみません!勝手にノスタルジックな想いに浸ってしまいました!
あの頃の夏は、もう戻らない。
でも。
でも、夏はまた来たのだ!
ならばこの夏に、やってみればいいじゃないか!
というわけで、学生時代から大好きな「幽霊」を、近頃身に着けたささやかな法的知識を駆使して、ちょっと「綜合研究」しちゃおうじゃありませんか!というわけです!
(「研究」まではいかないと思いますが、その入り口だけでも。)
お付き合いを頂ければ、本当に嬉しい限りなのです!
そもそも「幽霊」とはなに?
はい、いきなり難問ですよ。
そもそも「幽霊」とはなんなのでしょうか?
井上円了、柳田國男、等々、諸先輩方も考え込みました。
この「幽霊とはなにか?」という問題を考えていくと、もうどんどん深みに嵌っていきますので、今回は以下のようにサラッと定義しておきます。
幽霊:死者であるにも関わらず、この世界に居るもの。
上記に定義した「死者」とは「現代医学で死亡認定されたもの」とし、「居る」とは「我々が視覚・聴覚・触覚等の五感で認知できる状態」、としておきましょう。
ごく簡単に言えば、そう、「あのひと死んだはずなのに!どうしているの!うそ!やだこわい!」といった状況、そう考えて頂いて結構です。
こんな幽霊がもしも本当に「存在」するのだとしたら、果たしてどうなってしまうのだろうか、ということを法的見地から考えていこう、というわけです。
※ところで、今年は「妖怪博士」井上円了先生の没後100年なんです!
東京都中野区にある「歴史民俗資料館」で企画展を開催中!絶対に行くべき!!
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井上円了没後100年展~円了の妖怪学~(山﨑記念中野区立歴史民俗資料館) | Toyo University
※それと、こちらは毎年開催される「幽霊画展」です。怪談物の名手・三遊亭圓朝が収集した幽霊画が東京都台東区谷中の全生庵に展示されます。絶対に行くべし!デス!
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「幽霊」がいたら法的問題が生じる?
さて、テレビやネットなどで専門家と称する人が「・・ああ、これは本物ですね。ええ、いますよ。ええ、感じますね・・」などと、「幽霊が存在する」ことを匂わせるコメントをしたりしますよね。
こんなシーン、私とっても好きなんですが、同時に司法書士という法律専門職となってしまった今は、「でもコレが本当なら、いろいろ困るなあ」などと、無粋な心配がムクムクと湧き上がってきてしまうのです。
だって、もしも幽霊が存在するのであれば、「幽霊の権利」はどうなるのでしょう?
幽霊が存在するなら、幽霊には「基本的人権」はあるのか?
幽霊も「国民」として保護されるべきか?
幽霊には「所有権・財産権」が認められるのか?
「きゃ~!こわい~」などと悠長に喜んでいる場合ではありません。
もしも幽霊が存在するのであれば、現代社会が転覆しかねない問題が発生するのです。
幽霊が存在するなら「相続」は発生させるべきではない
民法3条1項に「私権の享有は、出生に始まる」という定めがあります。
つまり、人間として生まれることで、さまざまな権利を受けることができる、ということが定められているのです。
(ちなみに、まだ生まれていない「胎児」には、民法721条等で例外的に権利が認められ得ることが定められております。)
つまり、権利を受けることができる「最初の時点」は「出生」である、と定められているのです。
では、権利をいつまで受けることができるのか、という「最終の時点」は、どのように定められているのでしょうか?
実は、「最終の時点」は、明確な定めが無いのです。
「私権の享有は、出生に始まる」と定められているのですが、「私権の享有は、死亡により終わる」とは定められておりません。
その代わりに、民法882条で「相続は、死亡によって開始する」と定められております。そしてまた民法896条で「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」と定められているのです。
つまり、「私権の享有は、死亡により終わる」とは定められていないのですが、死亡することで「相続」が開始されてしまい、それにより死亡した被相続人から相続人へと一切の権利義務が承継され、その結果、死亡した被相続人は私権の享有主体ではなくなってしまう、という作りこみがされているのです。
なんだか巧妙ですよね。
まさに「敬して遠ざける」ではないですか。
(論語・雍也篇「敬鬼神而遠之」)
死亡すると「相続」が開始され、結果、私権を享有できなくなる、ということなのですが、しかし、死亡しても「幽霊として存在」するのであれば、「相続」を開始させてしまってもよいのだろうか?という問題が生じてくるのです。
ここで、民法よりも上位に位置づけられる憲法をみてみます。
憲法10条に「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあります。
ここでいう「法律」とは「国籍法」のことです。
国籍法をみてみますと、1条に「日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる」とあります。
そして2条で「出生による国籍の取得」の要件が定められています。
国籍法2条(出生による国籍の取得)
子は、次の場合には、日本国民とする。
①出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
②出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であったとき。
③日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、または国籍を有しないとき。
このほか、「帰化」の要件などが定められておりますが、これらは日本国民となる「最初の時点」の定めですね。
では、日本国民でなくなる「終了の時点」は、どのように定められているのでしょう?
国籍法11条に「国籍の喪失」の定めがあります。
国籍法11条(国籍の喪失)
1.日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。
2.外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択したときは、日本の国籍を失う。
法律って読みにくいですよねえ。
でも、ポイントを絞って考えてみれば、どうということはありません。
ポイントは、「死亡したら国籍を失うのか」ということです。
死亡して幽霊になったら、国籍を失うのか?というのがポイントです。
もう一度、国籍法11条を見て下さい。
「国籍の喪失」に、「死亡した場合」は記載されていませんよね。
ということは、死亡しても国籍は失わないのか?ということになります。
なら幽霊は、国籍を有することになるんじゃないの?というわけですね。
憲法に戻りますね。
憲法10条の「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」ですが、国籍法上、「幽霊は国籍を失っていない」と読めました。
次に憲法11条をみます。
憲法11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とあります。
憲法10条と国籍法で、国民には「幽霊」が含まれそうだ、と解釈できましたよね。
そのうえで憲法11条をみてみると、「(幽霊を含む)すべての国民は、基本的人権の享有を妨げられず、これは侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」というのです。
日本国民だった者は幽霊になっても日本国民のままであり、そして日本国民である幽霊にも基本的人権が認められ、その権利は永久に保障される、と読めるのです。
だとしたらですよ、基本的人権が保障される幽霊の権利を間接的にはく奪する「相続」などという手続きは、認めることができない、ということになりませんか?
つまり、「相続は、死亡によって開始する」という民法882条と、「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」という 民法896条は、基本的人権を有する幽霊の権利を不当に侵害する条文であり、憲法違反である、ということになりませんか?
もしも相続に関する規定が憲法違反ということになったら、相続による財産の承継・取得は認められない、ということになっていくわけです。
そして、もしも「死者は全て幽霊になり得る」のだとしたら、埋め立て地など一部の土地を除き、ほとんど全ての土地が「幽霊の所有物」である可能性がでてきます。
そうなると、幽霊以外の者が土地を新たに取得することは非常に困難、という事態が発生するかもしれないのです。
・・大問題ですよね。
土地だけではないですよ。歴史的建造物、骨とう品、美術品等々。
「相続」による承継が認めれないことになると、一番最初にそれを所有した者の所有権が、いま現在も認められる、ということになるのです。
世の中、大混乱が生じますよね?
あと、「地縛霊」などといって、「お祓いが必要!」なんてことがいわれたりしますが、「ちょっと待ってください、それはむしろ幽霊の権利が優先されますよ!」、ということになるのかもしれません。
もともとの所有者が死後に幽霊となり、そのままそこに留まっていた。
後から来た者が「地縛霊だ~」と騒いでいるけど、そこはもともとその幽霊のもの。
お祓いなどもってのほか。幽霊に謝罪・賠償して、早々に立ち退きなさい、ということになるかもしれません。
あと、幽霊の「選挙権」は大丈夫でしょうか?
死亡しても選挙権が失われないのであれば、幽霊でも投票可能な設備にしなければ、憲法違反になるかもしれませんよ。
被選挙権も失われないのなら、幽霊でも立候補できる体制を整えないと。
「いままで無視され続けてきた幽霊の権利を守ろう!」という幽霊立候補者が出て来たって、なんら不思議ではないですよね?
そうなると、国会にイタコのみなさんを招聘しなければならないかも?
(イタコとは:口寄せをする巫女のこと。霊の言葉を発することができるとされる)
終わりに
いやいや、どうでしょうか?
「真面目に」考えてみると、もしも幽霊が存在していたら、現在の法制度はひっくり返るかもしれない、と思いませんか?
少なくとも、幽霊が少しでも存在する可能性があるのなら、そのあたりの法整備も考えておく必要あるはずなんですよ。いや、ホントに。
あの発明王エジソンが、晩年「心霊研究」を続けていたことは有名ですよね。
生物学的にも未だに「生命のはじまり」は不明確であり、心や魂といったものをどのように捉えるべきかが物理学の研究テーマにもなっているくらいです。
幽霊、いるかもしれませんよ?
(もっとも、私は幽霊大好きですが、残念ながら「存在はしない」と考えております。
どちらかといえば、「存在しないけどみえるもの」という、心理学的現象、もしくは社会学・民俗学的事象として、どうやら自分なりには捉えているようです。)
しかし、もしかしたら生物学・物理学により、定義は多少異なるかもしれませんが、「幽霊的な存在」というものが発見される可能性はゼロではないのかもしれません。
どうなのでしょうかね?ワクワクしますね。
そして、もしもですよ、もしも物理学で「いやあ、やっぱり幽霊、居ますわ」なんてことになっちゃったらですよ、どうします? 現代社会。法体系がひっくり返りますよ!
なので、この記事をお読みの政治家の皆さん、物理学者が幽霊の存在を証明してしまう前に「幽霊が存在した場合に備えての改正法体系ワーキングチーム」に、是非とも国分坂を招聘してください!お待ちしておりますので~!
夏休みですからね。
こんな「自由研究」もいいかなあ、と。
・・如何でしょうか?
というわけで、「夏です!幽霊はいる?もしもいるなら〈法的問題〉はどうなる?」でした!
皆様のご愛顧を頂き、これにて100記事達成です!!
ありがとうございました!!
これからも、国分坂を、何卒よろしくお願い致します!
ここまでお読みいただきまして、本当にありがとうございました!!
今週のお題「夏休み」