国分坂ブログ

「歩くこと」「考えること」が好きな、国分坂です!

「藪入り」は、年に2回だけの有給休暇!?昔の習俗から、日本人の「休暇」を考えます!

【この記事のまとめ:昔の風習「藪入り」は、年に2回だけの奉公人のお休みのことです。この「藪入り」に比べると、現代の「休暇」は比較的改善されているとは思いますが、果たしてそれは、抜本的な解決になっているのでしょうか?という内容です】

【この記事の対象(特に読んで欲しい方):雑学好きな方、「休暇の取り方」に問題意識がある方】

 

「藪入り」。今はほとんど死語ですね。

「藪入り」とは、小正月の頃(1月16日)やお盆の頃(7月16日)、住み込みで働いていた丁稚さんや女中さんが、一日だけお休みをもらって家に帰ることをいったそうです。

丁稚さんや女中さんら奉公人は、主人からお小遣いをもらい、お土産を買って家に帰り、家族と休日を過ごしたのだとか。

現代風にいえば、「有給休暇」といった感じでしょうかね?

 

 さてこれが、今も続く「帰省」の起源、なんですね。

「年末年始」と「お盆の夏季休暇」、お土産を沢山持って実家へ行く、これは、古くから続く正しい「藪入り」的な過ごし方、というわけなんですね。

 

もっとも、今は数日、長ければ1週間以上の休みが取れますが、昔の「藪入り」は一日だけ。

年に2回の「一日だけ」のお休みを、奉公人たちは、それはもう大切に大切に、過ごしたのではないでしょうか?

 

たとえば、こんな具合?と想像してしまいます。

 

早朝、一番どりとともに飛び起きて、いそいそと奉公先を出る。

お母さんの好きなのはあれ、

お父さんはあそこだね、

兄弟たちは・・・と考えながら、

お店をあちこち練り歩く。

買い集めたお土産を沢山持って、走るようにして家路を急ぐ。

お昼前に、なんとか実家に到着。

迎え出てくれた両親と幼い兄弟、

そして、同じく休みをもらって戻ってきた兄弟たちと、

皆でわいわいとお昼ご飯を頂く。

あれこれと、土産話に花が咲く、最高の時間。

ほっと一息ついたら、もう日が傾いている。夕方だ。

お母さんがいそいそと夕ご飯を用意してくれる。

お父さんも兄弟たちも、皆、一様にそわそわしている。

もうすぐ休みが終わってしまう。

楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。

お母さんが、みんなの大好物を沢山用意してくれた。

美味しい好物を食べていても、寂しい気持ちは募るばかり。

今度、お母さんとお父さん、兄弟たちと会えるのは、夏。

家を出る時、お母さんはギュッと抱きしめてくれた。懐かしい匂い。

お父さんは、大きな手で、頭をがしがしと撫でてくれた。

兄弟たちとも別れを告げて、暗くなりはじめた道を急ぐ。

また半年、休まず頑張って働く、奉公先を目指して。

 

・・そんな光景が、日本のあちこちで見られたのかもしれません。

もっとも、実家が遠方の奉公人たちは、同じく実家に戻れない奉公人仲間とともに、街歩きなどを楽しんだようですね。

そんなことから、休暇を楽しむ奉公人たちにより町が賑わい、縁日が立つようにもなったようです。

 

もっとも、縁日がたった「建前」は、

「鬼たちも藪入りのために地獄はお休み、そこで暇になった閻魔さまの御開帳」

ということのようですよ。

 

さて、第二次世界大戦終結までは、「日曜日が休み」という概念すらなく、江戸時代から続く「藪入り」スタイルが横行していたそうです。

第二次世界大戦終結後、労働基準法が整備・強化されていき、労働者の「休暇」が少しずつ保障されるようになっていった、ということのようです。

 

とはいえ、現代においても、未だに「サービス残業」や「有休消化」などといった様々な問題があるのですから、「藪入り」は、古くて新しい問題を、私たちに思い起こさせてくれる、そんなふうに捉えることができるのではないでしょうか?

 

「仕事」は、「人のために行う行為」という意味で、とても素晴らしいものである、と私は思っています。

でも、「自分の時間を自分のために使う」という「休暇」も、我々にとっては、とても重要なものだと思うのです。

「休暇」により心身ともにリフレッシュされ、そのことではじめて、自分自身に余裕が生まれる。

その余裕が「人のために行おう」という気持ちを、より前向きに育成してくれるのではないか?と私は思うのですね。

心身ともに疲れ果てた状態では、「仕事の意味」など、とても見出すことはできないのではないでは?と思うのですが、如何でしょうか?

 

なるほど、昔の「藪入り」の風習に比べれば、最近の休暇事情は、多少改善されているのかもしれません。

しかし、それは「比較的改善された」という程度にすぎず、「抜本的な解決」がされた状況とは、とてもいえないのではないだろうか?と思うのです。

では、「抜本的な解決」とは?

 

私が思う「抜本的な解決」とは、

「主体的に働き」、

「主体的に休む」、ということが、

「真実、実現できる社会」になる、

ということだと思っています。

 

「主体的」とは、自分本位に、自分自身の考えで、自分自身が決断して、という意味です。

いいかえれば、「権利」と「義務」とが、しっかりと自分に帰属する社会。

「仕事」も「休暇」も、与えられるのではなく、自分で選択し獲得する社会。

 

とても難しいことだと思うのですが、最近話題の「働き方改革」を切っ掛けとして、やがて「抜本的解決」に繋がっていったらなあ、

と、個人的には思っている次第なんです。

(もしかしたら、大いに活躍されているブロガーのみなさんや、アフリエーターの皆さんは、「抜本的な解決」を見出したのではないでしょうか!?)

 

そんなわけで、

以上、

「藪入り」から、現代日本人の「休暇」を考えてみました!

でした!

 

 ここまでお読みいただきまして、

ありがとうございました!