国分坂ブログ

「歩くこと」「考えること」が好きな、国分坂です!

「巨神兵」は「兵器」か?それとも「神」か?【ナウシカ学①】

みなさん、こんにちは!国分坂です。

さてさて、いよいよ【ナウシカ学】を開始したいと思います!

以前、「『風の谷のナウシカ』を考察し学問していきたいです~」なんていいながら、全く進んでおりませんでした・・

すみません!

深いところまで考察できる自信は全然ないのですが、逃げ回っていても仕方がないので、頑張っていきたいと思います!

お付き合いいただければ幸いです~!

 

 

 

お約束

【ナウシカ学】を進めていく上での、私なりのルール(お約束)を、ちょっと記してみたいと思います。

 

1.テキストは徳間書店『風の谷のナウシカ』(全7巻)を使用する。
2.先行研究文献は、基本的には目を通さない。上記1のみを使用し、独自の考え方を、まずは展開する。
3.皆様のご意見・ご感想を頂きながら、学問体系まで昇華させることを目指す。

 1と2についてですが、基本的には『風の谷のナウシカ』のみをテキストとして、論考を進めていきたいと思っています。誤謬をおそれず、自由な発想で考えていきたいと思っています。

よって、もしかしたら作者(宮崎駿氏)の考え方とは、違う考え方が展開されてしまうかもしれません。

また、『風の谷のナウシカ』に関しては、先行する論文などが様々にあるのかもしれませんが、取りあえずはそれらに目を通すことなく、論考を進めていきたいと思います。

すでにある論考はとても重要な資料ですが、それらを参照してしまうと、私の貧弱な頭脳ではその影響下から脱することができなくなる、と恐れるからです。

よって、基本的には『風の谷のナウシカ』という作品のみを相手として、まずは自分なりの考えを展開していきたいと考えています。

3についてですが、できれば展開させた論考を「学問」にまで昇華させていきたい、『風の谷のナウシカ』についての論考から、『風の谷のナウシカ学』にまで高めていきたい、と願っています。

そのため、私の拙い論考をきっかけとして、皆様より異論反論などを頂き、それを基に多様な論証を進めていけたら、と願っております。

もしもご教授ご指導を頂ければとても助かります。宜しくお願いいたします!

 

巨神兵とは?

では、本題に入っていきたいと思います。

今回のお題は「巨神兵は兵器か?それとも神か?」です。

まずは『風の谷のナウシカ』に現れる「巨神兵」とは一体どのようなものなのか、確認してみたいと思います。

 

巨神兵は『風の谷のナウシカ』の第1巻、一番最初のページに、化石として登場します。第1ページ3コマ目、主人公ナウシカがメーヴェで空を飛ぶその背景として登場するのです。

巨大な骸骨を思わせる異様な形状の化石、しかも複数体が、腐海の森から飛び出すようにして描かれています。

この巨神兵をめぐって物語が進行していくのですが、冒頭に描かれる「化石化した複数体の巨神兵」は、『風の谷のナウシカ』における「思想・哲学」を垣間見せるものなのでは?と考えております。このことは、あとで考察してみたいと思います。

 

さて、主人公ナウシカは「風の谷」という人口500人に満たない小国の姫です。

その「風の谷」に巨大王国トルメキアの親衛軍が侵入してきます。

トルメキア王国は土鬼諸侯国と対立する軍事大国です。「風の谷」はトルメキア王国の辺境諸族のひとつであり、古き盟約により、トルメキア王国の軍事行動に追従する立場にあります。

そして、「風の谷」の隣国「ペジテ市」も、トルメキア王国傘下にある辺境小国のひとつでした。

その「ペジテ市」がトルメキア王国ヴ王の親衛軍に襲われ、滅ぼされてしまうのです。

工房都市「ペジテ市」は、古い盟約で結ばれたトルメキア王国の味方であったはずです。一体、なにが起こったのでしょうか?

そして、そのヴ王親衛軍が「風の谷」にも侵入してきたのです。

 

そう、原因はすべて「巨神兵」でした。

「ペジテ市」は古代都市の上に築かれた工房都市であり、古代都市の遺物であるエンジンを掘り起こすための坑道があります。

(『風の谷のナウシカ』の世界では技術体系が失われたことにより、「エンジン」はもはや作ることが出来ない過去の遺物として重宝されています。)

その「ペジテ市」の坑道から、巨神兵が見つかったのです。

 

見つかった巨神兵は異様でした。他の化石化したものとは異なり、まるで作られたばかりのように真新しいものだったのです。超硬質セラミックの骨格だけの巨神兵。

ペジテの民は、巨神兵にパイプで繋がる黒い箱を見つけます。箱の中には石と窪みが。

石を窪みに嵌め込んでみると、骨格だけだった巨神兵が成長し始めたのです。

ペジテの民は慌てて石を外しました。

巨神兵は成長を止めましたが、しかしペジテの地下で生きていました。

その後、突如として来襲したトルメキアの王親衛軍に、ペジテ市は滅ぼされてしまったのです。

トルメキア王親衛軍の狙いは、その石、巨神兵の成長を促す「秘石」にあったのです。

秘石はペジテ市を脱出した族長の娘ラステルからナウシカに託されたことで、トルメキアの手に落ちることを免れました。

しかし、トルメキアと土鬼との戦況が変化していくなかで、今度は土鬼に巨神兵本体を奪取されてしまいます。

土鬼には人体複製技術や人工生命体培養の技術が残されていたため、巨神兵を成長させることに成功するのです。

ただ、秘石がはずされている状態にあったため、土鬼の研究者たちは「このまま育てても巨神兵を制御できない可能性がある」と危惧します。

そのおそれが的中したのかどうか、巨神兵は土鬼の軛を離れ、秘石を持っていたナウシカを母親であると認めてしまいます。

 

巨神兵に慕われることに戸惑うナウシカ。ナウシカは赤子のような巨神兵を笑顔で励ましながらも、心のなかでその死を願っている自分に、戦慄するのです。

「生まれてきてはいけなかった、命」

ナウシカは、母として慕われながらも、驚異的な力を持つ巨神兵の死を願うしかないのです。

そしてナウシカは決意します。

土鬼の聖都シュワにある「墓所」を閉じに行くことを。

シュワの「墓所」には、巨神兵を育てる技や、粘菌やヒドラといった生物兵器を作り出す技が残されているのです。

「生まれてきてはいけなかった命を作り出す忌まわしき技」、ナウシカはこれを巨神兵とともに滅ぼしにいくことを決意するのです。

巨神兵とともにシュワへと向かうナウシカは、途中で巨神兵に「オーマ」という名を与えます。

名を与えられたオーマは、急激に知能レベルが上がり、自らを「調停者にして戦士」であると宣言します。

不思議に思うナウシカ。

単なる兵器ならば、知能は却って邪魔になるはず。

ところがオーマには人格すら生まれている。

大昔の人々は、巨神兵を兵器として作ったわけではないのか?

・・まさか、神様として作った?

そんな疑問がナウシカの頭のなかをよぎります。

 

やがてシュワの「墓所」にたどり着き、「墓所」の主と対峙するナウシカ。

「墓所」の主は巨神兵を「世界を滅ぼした怪物」と罵りますが、ナウシカは構わずにオーマの力を借りて「墓所」を破壊します。

崩れていく「墓所」のなかで、死に逝くオーマの指先を、ナウシカはしっかりと抱き締めます。

「墓所」の体液の中に、徐々に沈んでいくオーマ。そのオーマと共に沈みいこうかというナウシカは、間一髪で救出されるのです。

ひとびとの前に降り立ったナウシカ。

彼女は、「すべては終わり、今はすべてを始める時だ。苦しくても先に進もう。そして、生きよう」と宣します。

こうして物語は、幕を閉じます。

 

《閑話休題》

私はこの記事を記すにあたり、『風の谷のナウシカ』の特に巨神兵登場場面を熱心に読み返してみたんですが、そこで「面白いもの」を発見してしまったんです。

7巻目の最初の方、生まれたての巨神兵がナウシカとともに空を飛ぶものの、疲弊し山の上に倒れこんでしまうシーンがあります。

そのときナウシカが、倒れこんだ巨神兵の牙に「商標」が刻み込まれているのを見つけるんです。

ナウシカは「古代文字の商標」だというのですが、よくよくその商標を見てみると、

あれれ?これって「漢字」?

「4270A-S? 東亜工〇」(最後の文字がよくわかりません。「店」かな?)

と読めるんです。

いままで全く気が付かなかったのですが、この記事を書くにあたってじっくりと読み込んでいるうちに、初めて気づいたんです。

作者のおちゃめないたずらかな?と最初思ったんですが、よくよく考えてみると、結構冗談ばかりではないのかも、と思い始めたんです。

日本語、もしくは中国語の商標、というところがポイントでして。(「簡体字」を用いていないので日本語の可能性の方が高いのでしょうかね?それとも中国でも商標には「簡体字」をあまり用いないものなのでしょうか?)

巨神兵という「人造生命体」、さらに言えば「神」を作るに際し、欧米諸国よりも日本や中国の方が「宗教倫理的ハードル」が格段に低いであろう、という作者の予測がこの「商標」に表れていたりして?と思ったわけです。

キリスト教圏など一神教の国では、「神」を作ることは、相当に難しいことなのではないでしょうか?

だから、日本もしくは中国で、巨神兵は作られた、というわけです。

ちなみに「墓所」の主は、欧米人の姿を見せますよね。

「墓所」は「火の7日間」の後に造られたもののようですが、「巨神兵」製作陣と「墓所」製作陣とでは、思想的にかなりの相違が見られそうです。

加えて両者には、「宗教」的な違いもあったのかなあ、なんて想像も膨らみそうですよ。如何でしょうか?

 

 

物語の中核たる存在

さて、巨神兵に焦点を当てて振り返ってみると、結局のところ、物語の最初から最後までを語らうことになってしまうことに気づきます。つまり、巨神兵はこの物語の中核的な存在であるといえるのです。

第1巻の1ページ目から化石として登場し、最終巻(7巻)のラスト7ページ目まで登場する巨神兵。「腐海」と「王蟲」とに並ぶ『風の谷のナウシカ』三大キャストと称してよい存在です。

しかし「腐海」と「王蟲」とが物語の当初から「核心的な神秘性」を備えていたのに対し、「巨神兵」は単なる「危険な生物兵器」としてのみ描かれます。それが最終巻に入ってから、ナウシカに名を与えられたことで一気に変化するのです。

「危険な生物兵器」と目されていた巨神兵が、突如自らを「調停者にして戦士」、更には「裁定者」と名乗りだすのです。

 

この巨神兵の急激な変化と歩調を合わせるかのように、物語も急展開をしていくことになるのですが、ここで「巨神兵を作った人々の思惑」を考えて見たいと思います。

巨神兵を作った人々は、兵器を作ろうとしたのだろうか、それとも裁定者(裁きを行う者)を作ろうとしたのだろうか、という問いです。

 

巨神兵を作った者たちの思惑は?

『風の谷のナウシカ』の冒頭(表紙の裏)には、「火の7日間」と呼ばれる戦争により都市群は有毒物質を撒き散らして崩壊し、技術体系は失われ、地表の殆どは不毛な地と化した、と記載されています。

この「火の7日間」を引き起こしたのが、まさしく巨神兵であると伝えられています。巨神兵こそが世界を燃やし尽くした張本人である、と考えられているのです。

そう、1巻目から6巻目までの巨神兵は、世界を滅ぼしかねない兵器、まるで「核兵器」を暗示するかのように描かれています。

それが最終巻に入ると急展開します。名を与えられ覚醒した巨神兵は、自らを「裁定者」と名乗るのです。

「裁きを行う者」。もちろん「兵器」の域を遥かに越えた存在です。

 

巨神兵の制作者は、「兵器」ではなく「裁定者」を作ろうとしたのでしょうか?

その問いに対するヒントは、ナウシカと「墓所」の主との問答のなかに出てきます。

 

「真実を語れ」と迫るナウシカに対し、「墓所」の主は応えます。

「あの時代、どれほどの憎悪と絶望が世界をみたしていたかを想像したことがあるかな?・・・調停のために神まで造ってしまった・・」

 

そう、ここでいう「神」こそが「巨神兵」なのでしょう。

悪化していく環境の中、多様化しすぎて収拾がつかなくなる価値感。

ひとびとは、他者との関係調整を自ら果たすことを諦め、人工知能を有する調停者を作り出すことにしました。

その調停者が、巨神兵だったのです。

 

しかし、優れた知能を有する巨神兵でも、人々を「調停」することは、おそらく叶わなかったものと思われます。

そのため巨神兵は「調停」者から、「裁定」者へと変化した、と推測されます。

 

《ワンポイント「調停と裁定との違い」》

「調停」とは、当事者が互譲(互いに譲り合う)により紛争を解決しようとする手続です。調停機関が調停案を出したとしても、当事者がそれを承諾しなければ、その案は拘束力を持たない、とされてます。「調停」は、あくまでも「当事者の合意」により成立する手続きです。

一方「裁定」とは、対立する当事者に対し行政庁が第三者として間に入り、行政処分としての決定を下すことをいいます。

一般的に「調停」は私法関係の手続、「裁定」は公法関係の手続で用いられるものですが、この二つを対比した場合、「調停」が「当事者の合意と当事者の互譲による手続」であるのに対し、「裁定」は「権限ある第三者の決定をもって強制的に解決させる手続」と解することができます。

 

さて、巨神兵が「調停者」から「裁定者」へと変化したのでは?と推測しましたが、この推測は、以下の2つの事象を根拠としています。

1つ目は「オーマの言動」、もう1つは「火の7日間」です。

 

まずは1つ目、「オーマの言動」ですが、ナウシカから名を与えられたオーマは当初、「調停者にして戦士」と名乗ります。

しかしその後、ナウシカ以外の人間(トルメキアの二人の王子ら)に接すると、「あの者達が母さんと同じ種族だなんて嘘みたいだ」と言い放ち、オーマは自らを「裁定者」と名乗るのです。

つまり、巨神兵オーマはトルメキアの二人の王子らを見定め、「とても「調停」ができる人間達ではない。ならば自分が「裁定」を下すしかない」、と考えたのではないでしょうか?

 

もう1つの事象が「火の7日間」です。

そもそも巨神兵が「調停」を行う者であるのならば、火を使うこと、つまり「強制的手続」を行うことはあり得ないはずなのです。

「調停」とは「紛争当事者が合意により譲歩しあうこと」をいいます。共に譲り合い、互いを思いやるのが調停の本来である以上、その調停を司る調停者が火(武力)を使うことなどあり得ません。

では、巨神兵が「裁定」を行う者であれば、どうでしょう?

「その者が生きるに値するかどうか」までを判断するのですから、火(武力)を用いることも当然ありうる、ということになりそうです。

つまり、「火の7日間」は、「巨神兵が調停者ではなくなり、裁定者となったこと」を意味しているのではないか、というわけです。

 

巨神兵を作った人々は、巨神兵が裁定者になることも許容したのか?

では、巨神兵を作った人々は、巨神兵が「調停者」のみならず「裁定者」になることまでを、許容していたのでしょうか?

おそらく、許容していたのでしょう。

なぜかと言えば、そもそも巨神兵が調停者としてのみ作られたのであれば、前述の通り、「武装」は必要なかったはずだからです。

人々の「自我」が暴走し価値判断が統制不可能になった世界において、人々は「できることなら調停してほしい。・・しかし、それが無理であるのなら、裁定もやむなし」と考え、巨神兵を作り出したのではないでしょうか?

「裁定」を行うためには、被裁定者よりも強い権限、強い武力を有していなければ実効性を保てません。

そのために巨神兵は、圧倒的な武力と強靭な肉体を与えられ生まれてきました。

そして、その巨神兵の「裁定」により、世界は燃やし尽くされてしまったわけです。

 

 化石化した巨神兵

ここで、私にとっての「巨神兵最大の謎」について、触れておきたいと思います。

『風の谷のナウシカ』の物語冒頭に、複数体の化石化した巨神兵が描かれます。

実は、これが私にとっての「巨神兵の謎」なんです。

・・どうして巨神兵は、ナウシカの時代に(オーマを除き)生存していないのか?

 

巨神兵はAI(人工知能)を有する人造生命体です。

AI脅威論などで語られる論点の一つに、「死ぬことで思考や人格が断絶してしまう人間に対し、死なないAIはどこまでも成長し進化し続けることができるため、人間の脅威となり得る」というものがありますね。

そう、「AI」は死なないのです。

もっとも巨神兵は「肉体」を保有するAIですが、知能や記憶、人格をバックアップしながら新たな「肉体」を更新し続けることは、技術的に難しいことではないでしょう。(まるで、古いパソコンから新しいパソコンへとソフトウェアを移行していく、そんな感じですね。)

 

もしも巨神兵が「兵器」として作られたのであれば、死なずに、しかも進化し続ける兵器など、人間にとって脅威以外のなにものでもありません。よって、当然ながら、一定期間の経過により「死ぬ」ように、プログラミングされたことでしょう。

 

しかし、巨神兵が「調停者」や「裁定者」として作られたのであれば、どうでしょう?

少なくとも、人間世界が終焉するまでは、巨神兵が生き続け、進化し続けることを、巨神兵の製作者たちは望んだのではないでしょうか?

「神」として、人間たちを裁くべき存在は、永遠の命が必要となるはずですから。

 

もっとも、そうとは言っても慎重を期すために、あえて「神」に寿命を与えた、ということも充分に考えられます。

もしも人々が「神」を必要としなくなったら。

もしも「神」が暴走し始めたら。

巨神兵の製作者がそのように危惧したとしたら、巨神兵に「寿命」をあたえ、更には「強制停止装置」すら、取り付けたかもしれません。

とはいえ、巨神兵により「火の7日間」が引き起こされてしまったことを考えると、「強制停止装置」は取り付けられなかったか、もしくは巨神兵により解除されてしまったか、と考えざるをえません。

では「寿命」はどうでしょうか?

仮に取り付けられたとしても、人間を遥かに凌駕する知能を有する巨神兵であれば、人間がプログラミングした「死」を取り除くことは、実に容易いことだったのではないでしょうか?(たとえば児童が大人をヒモで縛ったとしても、大人は簡単にそれをほどいてしまうでしょう。)

 

ところが、ナウシカの時代にはオーマを除く巨神兵は死に絶え、化石化していました。

物語冒頭の複数体の巨神兵の化石は、「集団行動していた巨神兵が一斉に動きを止め、やがて化石化した」、ということを表しているようにみえます。

一斉停止、つまりプログラミングされた「自死機能」により、時を同じくして複数体の巨神兵たちがその場で死んでいった、ということを表しているようにみえるのです。

 

もしもそうであるとすれば、3つの仮説が立ちます。

一つ目。巨神兵には製作者により「自死機能」がプログラミングされたが、巨神兵はそれを解除できなかった。

二つ目。巨神兵には製作者により「自死機能」がプログラミングされたが、巨神兵はそれを解除しなかった。

三つ目。製作者は巨神兵に「自死機能」をプログラミングしなかったが、巨神兵自らが「自死機能」をプログラミングした。

 

一つ目の仮説はどうでしょう。

人間をはるかに凌駕する知能を有する巨神兵が、人間の作ったプログラムに服してしまった、という仮説ですが、物語で描かれる巨神兵を見ていると、ちょっとこれは考えにくいような気がします。

では、二つ目の仮説と三つ目の仮説は、どうでしょう。

二つ目の仮説と三つ目の仮説は、つまり、巨神兵は自らの死を受け入れた、もしくは自らの死を望んだ、という仮説です。

私は、この二つのどちらかが、真相なのでは?と思いました。

つまり、優れた知能の有する巨神兵たちが死に絶え化石化するためには、巨神兵自らがその死を受け入れ、もしくは望まなければならなかったはずだ、と考えたのです。

もしも巨神兵が死を望まなければ、ナウシカの時代においても、巨神兵は「神」として君臨していたのではないのか、と思ったのです。

 

さて、仮にこの仮説が正しいとしても、ではどうして「巨神兵は死を受け入れ、もしくは死を望んたのか」という問いが残ります。

「どうして巨神兵は死んだのか」、これが未だ解決できていない私の謎です。

 

 巨神兵は人間たちの「子」か?

巨神兵は人間型をした人造生命体です。生まれたての巨神兵は赤子や子供のようにふるまい、そして何らかの情報を得ることで成長していきます。

 

「人間」を他の生物と比較した場合、「高い知能」と「火を用いること」が、他の生物には無い人間の特徴である、といえそうです。

そして巨神兵は、「人間以上の高い知能」を有し、「人間以上の大きな火を用いることが出来る」者です。

つまり、「人間」の進化型が「巨神兵」である、という見方ができるのではないでしょうか?

人間により生み出された、人間の特徴を更に発展強化させた存在、それが巨神兵である、と考えることができそうです。

 

悩ましい問題点

人間の進化型である巨神兵は、しかし、「火の7日間」を引き起こし、そして死滅する、という結末を迎えます(オーマも墓所で戦死しました)。

このことは、我々に悲痛な予感を想起させます。

・・人間が仮に巨神兵のような知能を得たとしても、互いに滅ぼし合い、世界を燃やし尽くすことになるのだろうか・・

・・結局のところ、「知能」と「火」という武器では、種として存続していくことが難しく、もしくは存続させる意味がないと悟ってしまうのであろうか・・

 

巨神兵の行動とその結末は、人間の未来を示すものなのでしょうか?

だとすると、我々を待つ未来は、悲しい結末になると言わざるを得ません。

最終巻に「墓所の貯蔵庫」が登場します。そこには「汚染されていない動植物の原種、農作物、音楽と詩」が貯蔵されていました。

旧時代の人間たちは、人間の特徴たる「知能」と「火」を否定し、それを滅するために人間を造り変え、世界を造り変えようとしたのです。

もしかしたら、巨神兵の結末から、その「答え」を導いたのかもしれません。

もっとも、ナウシカはこの旧時代の人間たちの「答え」を、真っ向から否定します。

「正しい目的のために存在する生態系」、「定められた道筋」、これらをナウシカは否定して破壊してしまうのです。

 

優れた「知能」と圧倒的な「火」を持つ人間の進化型ともいうべき巨神兵は滅び、また「凶暴ではなく穏やかでかしこい人間を造りだすこと」は、ナウシカに否定されてしまいました。

 

だとしたら人間は、これからどのように、生きていくべきなのでしょう?

 

これが『風の谷のナウシカ』のテーマであり、最も難しい問題です。

私的にはこの難問と、先に挙げた「どうして巨神兵は死んだのか」という謎が、繋がっているようにも思えるのです。

でも五里霧中。まだ分かりません。

 

仮説の仮説

巨神兵が生み出された切っ掛けが、「人々の自我の暴走」であると考えた場合、私はあることをふと思いついたんです。

「自我」の問題と言えば、そう、夏目漱石先生ですよ。

漱石先生は「自我」の問題に、作品を通じて終生取り組みました。そして、最終的には「則天去私」(そくてんきょし)という境地に達します。

「則天去私」とは、自分を捨て去り世界と同一になる、といった意味のようですが、私はまだちゃんとは理解できていません。

ただ。ただですねえ、もしかしたら、もしかしたらですよ、巨神兵たちはこの「則天去私」の境地に達したのではないのか?と、ふと思った次第なんですよ。

 

人間たちの「暴走する自我」に振り回され続け、やがて世界を燃やし尽くしてしまった巨神兵たち。「火の7日間」を引き起こしてしまった巨神兵たちは、どれほど苦悩したことでしょうか。オーマを見てみれば容易く想像できそうです。

なんとかして人々を裁定し、導きたかったことでしょう。

しかし、人間たちの「暴走する自我」を、どうすることも出来なかった。

燃やし尽くすしかなかった。

全てが燃えて、不毛の大地となった世界を観て、巨神兵たちは、一体なにを思ったのでしょうか?

人間たちの愚かしさを呪ったでしょうか?

自分たちの力を呪ったのでしょうか?

自分たちにも人間と同じ類いの知能と力があることを、おそれたのでしょうか?

 

でも、巨神兵たちは、とても優れた知能の持ち主です。悲観し虚無的になってしまったとは思えないし、思いたくないのです、私は。

ならば、と私は考えました。

 

・・巨神兵たちは「則天去私」の境地に達したのではないだろうか?

 

私はそう考えたのです。

「則天去私」の内実は、私にはまだわかりません。「則天去私」に達した巨神兵たちが、何を考えて何を思ったのかは、未だ不明です。

ただ、「則天去私」に達した結果、外形的には巨神兵たちは死に絶え、化石となったのではないだろうか?と思いついたのです。

・・いやいや「仮説の仮説」ですよ。

ただ、そのように思うと、少しは救われるような気がしまして。

「仮説の仮説」、なのですがね。

 

まとめ

さてさて、以上「巨神兵」について少し考察をしてみました。

まだまだ謎だらけではありますが、今回考察してみたことなどを、ちょっとまとめてみたいと思います。

 

・巨神兵は『風の谷のナウシカ』における中核的な存在といえそうである

・巨神兵は「兵器」として作られたわけではなさそうである

・巨神兵は「調停者」もしくは「裁定者」としてつくられたようである

・巨神兵オーマは「調停者」から「裁定者」へと変化したように思われる

・巨神兵は人間の進化型、人間たちの「子」といえるのだろうか?

・巨神兵たちはなぜ死滅したのか?

・人間たちは、これからどのように、生きていくべきなのか?

 

なんとなく見えてきたようなものもありますし、解けていない疑問点も山盛りですね。

今後、さらに様々な考察を続けながら、解けていない問題点についても、事あるごとに考えていきたいと思います。

 

まだまだ深い考察にはたどり着けませんが、取り敢えず今回はこのあたりで、ということにしたいと思います。

 

以上、「巨神兵」は「兵器」か「神」か?でした!

長々とお付き合いを頂きまして、誠にありがとうございました!