国分坂ブログ

「歩くこと」「考えること」が好きな、国分坂です!

「お正月も松のうち」といいますが。では、お正月気分は「7日まで」?それとも「15日まで」?

【この記事のまとめ:松の内までがお正月とされていますが、関東では1月7日まで、関西では1月15日までが松の内のようです!】

【この記事の対象(特に読んで欲しいひと):挨拶回りにおいて、いつまでが「お正月の挨拶」が有効だろう?とお悩みの方、雑学好きな方】

 

 

さて、三が日も過ぎ、

いつまで「お正月気分」でいて良いのかなあ~、

と、少し心配になってくるこの頃です。

 

「お正月も松の内」

という言葉がありますね。

 

元旦(1月1日)から松飾りがある間がお正月だよ、

 

という、昔ながらの標語のようです。

(私としては、「正月」というのだから、1月いっぱいは「お正月気分で問題ないのじゃない?」と思うのですが、ダメみたいですね・・)

 

では、「松飾りがある間」とは、具体的にいつまでなのでしょうか?

実は、二つの説が有力のようです。

第一の説は「15日まで」説。

第二の説は「7日まで」説。

もちろん、俄然「15日まで」説を採用したいところですよね!

・・ところが、関東では「7日まで」説が有力のようです。

 

もともとは、全国的に「15日まで」説が採用されていたようですよ。

「小正月(こしょうがつ)」「左義長(さぎちょう)」「どんと焼き」などの祭事は、1月15日に行われます。

「小正月」には、各地で豊凶を占う神事が行われたり、豊穣を願うまじないを行ったりしたようですね。

ではなぜ、15日か?

どうも、「満月」の「十五夜」を基準にしたのでは、ということのようです。

暦が分かりにくかった時代、「満月」は分かりやすい目印だったのでしょう。

 

一年の最初の満月に、豊凶を占い、豊穣を願う、

それが「小正月」の起源なのかもしれません。

そして、「左義長」や「どんと焼き」は火祭りの行事ですね。

元旦からはじまる「正月」は、竃の神(かまどのかみ)を休ませる、ということで、火を使わない、という習慣があったようですが、「正月」が終わる「小正月」に、竃(かまど)の火入れをしたのが、「左義長」「どんと焼き」の起源かもしれません。

 

「左義長」「どんと焼き」では、門松を御焚きあげ(おたきあげ:燃やすこと)をしました。

この御焚きあげには、年末もしくは元旦にお迎えした年神(としのかみ)を、炎とともに送り返す、という意味もあったようです。

 年神は、門松に宿ったのでしょうね。

(つまり、門松は「クリスマスツリー」のようなものなのですね。)

 

 なので、「松の内」は1月15日まで、というのはとても納得できる説です。

では、「7日まで」説は、どのようにして出てきたのでしょうか?

 

これは、実に「政治的な」理由のようですよ。

江戸時代のことですが、三代将軍の徳川家光が、慶安4年(1651年)4月20日に亡くなりました。

毎月20日は、家光の月命日になったんですね。

本来、1月15日の小正月に正月が終わり、鏡餅が下げられ、1月20日頃、鏡開きが行われていました。

ところが、家光の月命日に鏡開きはよろしくない、ということになったのです。

そう、忖度(そんたく)ですね。

そこで、鏡開きを1月11日に行うようになったそうです。

ところが、1月11日はまだ松の内です。

そこで、江戸幕府は、寛文2年(1662年)に、「1月7日をもって飾り納めするように」とのお触れを出しました。

これにより、江戸城下は1月7日までが松の内、となり、それが関東一円に広まった、ということのようです。

江戸幕府のお触れですから、全国に広まったはずですが、関西では依然としてそのまま1月15日説を採用していたようですね。

「1月7日で飾り納め?ふん、なにを野暮なことを」と、上方の皆さんは鼻で嗤って従来の仕来りを続けたのでしょうか?

一応、通説では「伝達がちゃんと伝わらなかったため」とされていますが、さて、どうなんでしょうか?

江戸幕府の伝令能力が、そんなに「やわなもの」だったの?と少し疑問です。

私が思うに、幕府も、お膝元の江戸周辺では、家光への不敬とならないよう1月7日飾り納めを徹底したけど、関西や九州などの遠方はまあいいや、とお目こぼししたのでは、と思ったりするのですが、どうなんでしょうか?

 

まあ、そんなわけで、少なくとも関東においては、松の内は1月7日まで、ということになってしまったのです。ちょっと、許せませんよね。

まあ、江戸の者はせっかち、といわれていたそうですから、もしかしたら「15日までなんてのんびりしてられないよ!7日で丁度いいやね!」と、歓迎されていたりして?

(お雑煮のお餅も、関西の「丸餅」に対して、関東は「切り餅」。いちいち「丸餅」を一つずつつくるよりも、大きなのし餅をつくってぱぱっと切り分けよう!という、江戸者の「せっかち文化」からきているそうですね。)

 

でも、私はのんびり派なので、1月15日説が好きなんです~

 

駄々をこねても仕方ありません。

松の内を過ぎたら、

「年賀状」は出さずに「寒中お見舞い」に、

ご挨拶も「あけましておめでとうございます」だと違和感がある、という方もいらっしゃるようですので、

「昨年中はお世話になりまして、本年もどうぞ宜しくお願い致します、ごにょごにょ」と、少しぼやかして挨拶されれば宜しいのではないでしょうか?

(今年始めてお会いする方には、どうでしょうね、1月いっぱいは、そんなご挨拶になるのでしょうかね。)

 

というわけで、

「松の内」は

「1月7日まで」?

それとも「1月15日まで?」でした!

 

お付き合い頂きまして、ありがとうございました!