新宿から80分?こんなに素敵な「里山」が広がっていましたよ!(横沢入里山保全地域)
こんにちは~!国分坂です~!
新緑が気持ちい季節ですねえ。
五月。一年で最も爽やかな季節です。
そんな爽やかな時期に如何でしょうか、「里山」を歩いてみませんか?
今回は、新宿から80分程度で訪れることができる「横沢入里山保全地域」をご紹介させて頂きます~!
最寄り駅「武蔵増戸駅」から徒歩20分弱
最寄り駅はJR五日市線「武蔵増戸駅」になります。
目的地の「横沢入」まで、駅から徒歩20分弱です。(東京都あきる野市)
JR中央線立川駅から拝島駅まで行き、そこからJR五日市線で「武蔵増戸駅」下車。
新宿からですと80分前後、立川からですと30~40分くらいでしょうか。
武蔵増戸駅の改札を出ますと五日市線の南側に出ます。
(トイレは駅の外にあります。)
駅を出て右側(西側)に進むと、コンビニ(ローソン)がみえてきます。
ここで飲み物やお弁当、おやつなどを購入しておくと良いでしょう。
(途中、自動販売機はありますが、里山付近には食事処がないかもしれません。)
ローソンの脇を北に進むと五日市線を跨ぐことができますので、線路を北側に渡ったらすぐに左(西)に曲がり、直進していきます。
五日市線の北側を西に進んでいきます。
まっすぐ進んでいくとお地蔵さんが見え(すみません!写真撮り忘れました!)、そこからわりとすぐに上の写真左側のような標識が出てきます。
この標識のあるところで右に曲がります。
右に曲がると、上の写真右側のような少し上り気味の道になります。
牧歌的な景色の中、進んでいきましょう。
進んでいくと、上の写真のような看板が出てきます。
この看板が示すのは「大悲願寺」。左に進んでいけば「大悲願寺」に至りますが、まずは里山へ行きましょう。
このまま直進します。
進むと上のような風景と看板がみえます。
もう里山はすぐそこです。
横沢入里山保全地域
建物が見えてきました。
管理棟です。ここにトイレがありますよ。
中にはベンチがあり、なんと更衣室も用意されています。
日陰で休憩したいときはこちらで。
お子さんを連れてきて着替えさせたいときには、こちらの更衣室が使えますね。
(お子さんがどろんこになっても大丈夫です!)
里山の入り口です。
里山とは
里山とは、人の手が入った森や林のことをいいます。人間が生産・経済活動に利用する森や林のことであり、自然界と人間界との緩衝地帯、といった場所ともいえます。
民俗学的にも異界(山)と人間界(まち)との「境」としての役割を持ち、野生動物と人間との「境界」としての役割も有していたそうです。
日本の原風景のイメージは、この里山の風景なのかもしれません。人間と野生動物との共生関係の象徴的な存在として、近年、里山の保全が進められているようです。
では、早速「横沢入」に入っていきましょう!
田んぼがあって、水路があって、池があって。
奥には森や林が広がっていて。
ああ、里山です!タンポポ!
(夏になると、オタマジャクシも見られるかも?)
地図がありますよ。なんとも愛嬌のある地図ですこと。
なかなか広いですね。
ちょっと、奥の方まで行ってみましょうか。
いい景色です。
そこらへんでお弁当を広げたくなりますねえ。
(私は午前中からお昼過ぎまで滞在しましたが、夕暮れ時の姿も美しいかもしれませんね。)
進んでいくと、細い道が続いていました。
途中まで、行ってみましょう。
進むと森のなか特有の、ひんやりとした空気になっていきます。
更に進んでいくと、右側に、洞穴がありましたよ。
ちょっと覗きましたが、真っ暗。かなり深そうです。
もちろん入ったりはせず、引き返しましたよ。
近くに説明書きなどはありませんでした。
(貯蔵庫などに使っていたのでしょうかね?)
この洞窟のあたりで、来た道を戻り、再度「里山」の景色を堪能。
なんででしょうね。私、生まれたときから「都会っ子」ですから、「里山」は身近になかったはずなのですが、どうしてか「懐かしい」という気持ちが、ふつふつと湧き上がってくるんですよね。
どうしてでしょう?
でも、やっぱり「懐かしい」景色です。
水がきれい。
別段、なにか特別なものがあるわけではありません。
でも、ゆったりとした景色があり、適度に人の手が入った自然があり、なんだか安心感に包まれた感じがします。
ぼうっと、一時間でも二時間でも、寝っ転がっていたくなる場所ですね。
お子さん連れなら、靴と靴下をぬいでじゃぶじゃぶ水辺で遊んだり、虫を探してみたり、追いかけっこしたりと、時間を忘れて遊べるのではないでしょうか?
(お着替えをお忘れなく。管理棟に更衣室もありましたしね。)
あと、日陰はあまりないので、帽子をかぶることをお薦めします。
里山には「おにぎり」が似合いますよねえ。
ところどころにベンチも用意してくれていますので、そこでお弁当を食べては如何でしょうか。
日陰で休みたいときには、管理棟にもベンチがありますので、そちらでどうぞ。
さて、里山を楽しんだら、先程スルーした「大悲願寺」へ行ってみましょう。
大悲願寺
先ほどの看板のところまで戻り、西へ進みます。
素敵な道が続いてます。
歩いていくと、本堂の裏側にでました。裏庭でしょうか、美しいですね。
進んでいくと、観音堂の横に出ましたよ。
なんとも美しい色合いの観音堂です。
彫刻が見事。
じっくりと眺めると、時が過ぎるのを忘れてしまいます。
なお、この観音堂の右手に、先程見えた本堂があるのですが、その本堂付近に白萩が植えられています。(白萩が咲くのは9月中旬から10月上旬くらいですね。今は残念ながらシーズンではありません。)
大悲願寺の歴史ミステリー
この白萩、かの有名な「伊達政宗」ゆかりの白萩なんだそうですよ。
伊達政宗の弟、伊達秀雄がこの大悲願寺の住職を務めたそうで、その縁で伊達政宗が大悲願寺を訪れたことがあるそうです。
そのとき、庭に咲く白萩を大層気に入り、後日、白萩を分けてもらったのだとか。
その際の手紙が現存しているそうですよ(但し非公開)。
ところで、ご存知の方も多いかと思いますが、この「伊達政宗と大悲願寺」には、「歴史ミステリー」が秘められているのですね。
伊達政宗の弟といえば、そう、次男の小次郎です。小次郎は母に溺愛されたため、伊達家では政宗と小次郎とのお家騒動が勃発した、という説があります。
そして小次郎は天正18年(1590年)22歳で急死。兄弟対立のすえ、政宗に殺されたのでは、といわれたりしています。
・・ところがですね、この大悲願寺の住職「秀雄」こそが小次郎であった、という説が伝わっているのだそうですよ。
小次郎が殺害されたという天正18年は、政宗が豊臣秀吉から小田原征伐への参陣を要求され、事実上、政宗が秀吉に屈服した年です。
一説に、秀吉の怒りを受け殺害される恐れがあった政宗が、伊達家滅亡を回避するために一計を案じ、小次郎を死んだものとしたうえで「秀雄」という別人に仕立て、大悲願寺の住職という安全地帯に送り込んだ、といわれています。大悲願寺は徳川家康の庇護下にあったため、秀吉の追及を避けることができた、というわけですね。
それだけではありません。
政宗の長女いろは姫は、徳川家康の六男松平忠輝に嫁ぎますが、その後、忠輝は改易されてしまい、いろは姫は伊達家に戻されます。江戸の伊達藩邸に戻されたいろは姫は懐胎しており、ひそかに男子を出産します。その子は大悲願寺に預けられ、住職の秀雄の元で、ひそかに育てられたのだそうです。
そしてですね、政宗が大悲願寺を訪れた後に「白萩を仙台に送って欲しい」と手紙を書いたのは、実は、その隠し子を仙台に送れ、という意味であった、というのです。
・・・たしかに、仙台はもともと萩の名産地ですからねえ。わざわざ武蔵野の白萩を送るというのも、ちょっと解せないなあ、という感じはありますよね。
こんな歴史ミステリーが、「大悲願寺」には残されているんですよ!
大悲願寺
建久2年(1191年)創建。
平山季重(源平合戦で活躍した猛将)が醍醐寺三宝院の僧を招いて開山。
真言宗豊山派の寺院。
住所:あきる野市横沢134
アクセス:JR五日市線武蔵増戸駅下車徒歩15分。
山門が立派です。
横沢入の里山を訪れる際には、是非、こちらの「大悲願寺」も訪れてみて下さい。
運がよければご住職から「歴史ミステリー」を聴かせてもらえるかも?
(なお、白萩が目当てであれば9月から10月がシーズンのようです!)
というわけで、今回は里山と大悲願寺のご紹介でした。
以上、新宿から80分?こんなに素敵な「里山」が広がっていました!でした!
お付き合いを頂きまして、誠にありがとうございました!