「年越し蕎麦」は「残業蕎麦」?初詣は「大晦日の夜」に行く?
【記事のまとめ:江戸時代の大晦日とお正月の過ごし方をご紹介!】
【この記事の対象(特に読んで欲しい方):雑学好きな方、おひまな方】
今日はいよいよ大晦日ですね!
「大晦日(おおみそか)」とは、
毎月末日を「晦日(みそか)」といいましたが、
一年最後の12月の晦日を、特に「大晦日」といったのですね。
晦日の「みそ」とは「三十」のこと。
「三十路」を「みそじ」といいますよね。30歳のことです。
つまり「みそか」とは「三十日」のことです。
昔は1ヶ月が30日(もしくは29日)で構成されていたので、
1ヶ月の最終日は三十日(みそか)、
これを「晦日」と記したのですね。
ですので、江戸時代のひとがタイムスリップしてきて、
「大晦日は12月31日」なんて言われると、
「なぬ?」となりますね。
(・・そんな心配はご無用でしょうか?)
さて、大晦日といえば年越し蕎麦ですよね!
「ざる蕎麦」にしますか?
それとも温かい「天ぷら蕎麦」?
みんなでわいわいと語らいながら食べる年越し蕎麦も、ひとりでしんみりとお酒でも飲みながら頂く年越し蕎麦も、年の最後を飾る素敵なイベントですよね。
でも、この年越し蕎麦、その起源は「残業蕎麦」だったとか?
江戸時代、一年の最後の日、帳簿付けなどに追われる商家では、まともな食事をする暇もなく働きまわり、手が空いた者が順番に蕎麦をすすった、というのが始まりだとか。
お正月休みに入る前日ですから、皆でなんとかしてやっつけないと!という感じに頑張ったんでしょうね。
現代でも「年度末」や「期末」など、会社における風物詩となってますね。
お昼ご飯も食べる間なく、気がつけば夕方過ぎて5時6時。
取り敢えずカップラーメンでもすすって腹ごなし。もう一踏ん張り頑張りますか。
そんな感じでしょうか?
この習慣が「年越し蕎麦」として商家のみならずひとびとに広まり、今も伝わる年末イベントになったようです。
すると、この「残業蕎麦」は関西ではなく、関東、特に江戸の町で始まったんだろうなあ、と推測できますよね。
もしも大阪の町で始まったのであれば、間違えなく「年越しうどん」になっていたはずですもんね。
さて、江戸時代においては、一日の終わりは「夜中の12時」ではなく、「日没」が一日の終わりだったようですね。
ですので、大晦日の夜は、もう「新年」だったわけですね。
つまり、最も早く初詣に行くのは「大晦日の夜にGO!」ということになります。
現代でも、大晦日の夜は、多くの神社でたき火などをして、参拝者を迎えてくれていますよね。
これは、江戸時代から続く「初詣」の名残り、というか、正当な「初詣」なわけですね。除夜の鐘を聞きながら、お参りして、温かい甘酒を頂いたり。
古式に則るのであれば、「日没以降」であればOKということ。なにも夜半前後でなくてもいいわけです。
(日が沈む直前に「カウントダウン!」はじめちゃうと、ちょっと奇異な目で見られてしまうかもしれませんが~!)
江戸時代のひとたちも、同じようなことをしていたんですね。
でも、今よりも、もっと暗くて、寒かったでしょうね。
そうそう、
「日没」から「新年」になる、ということで、現代においても、「大晦日の夜におせちを食べる」、という地方があるようです。
古式に則ったやり方、ということになるわけですね。
もしも、大晦日の日におせち料理をつまみ食いして注意されてしまったとき、
「え?ご存じない?古来、日没からは新年ですよ?」
などと蘊蓄をたれますと、余計に怒られますのでご注意を!
以上、
「年越し蕎麦」は「残業蕎麦」、
初詣は「大晦日の夜」に行く!
でした!
ではではみなさん、
大晦日を楽しんで下さい!
お付き合い頂きまして、
誠にありがとうございました!
来年も、何卒よろしくお願いします!!