いのしし年。日本における「豚」食と「猪」食を考えて見ました~
【記事のまとめ:今年は亥年。猪について、十二支との関係や豚との関係、豚食・猪食についてつれづれに書いてみました~】
【この記事の対象(特に読んで欲しい方):おひまな方】
明けましておめでとうございます!
本年も、何卒お願い申し上げます!
さて、今年は亥年。
俗に「いのしし年」とされますが、もちろん十二支の「亥」と猪とは関連ありません。
十二支を憶えやすくするように、動物を当てはめたのがはじまりとか。
中国では、「亥」は「豚」を充てるようです。
日本においては「猪」。
十二支は中国から日本に伝わったものですから、「亥」に「豚」を充てる習慣も一緒に伝わって良かったはずなのですが。
これは想像ですが、
おそらく、十二支が伝わってきた頃(550年頃)、日本には「豚」はほとんどおらず、対する「猪」はメジャーな動物であったのではないでしょうか?
「猪」は山の神、もしくはその使いとして神格化もされていて、人々にとって、とても身近な動物だったのかも知れません。
もちろん、その頃「猪」は食用としても、大切な動物でした。
そして、「豚」は「猪」を家畜化したものですが、この頃の日本には、まだ「豚」を家畜とする習慣はなかった、ということでしょうか?
そこで、「猪」と「豚」は同じような生き物であろう、という認識から、「豚」に代わって「猪」を「亥」に当てはめた、ということでしょうか?
ここまで書いてみて、ふと思ったのですが、
なんで日本では、「豚」の養殖が進まなかったのでしょうか?
日本においても、「猪」は古くから食用とされていたようです。古墳などからも、猪の骨が鹿の骨などとともに見つかることがあるそうです。
・・おや? 調べてみたら、
「古事記」には、「猪養」という言葉があったそうですよ!
すると、古代においては「猪」、
つまり「豚」の養殖がされていた可能性がありますよね!
(野生の「猪」を養殖化したものが「豚」とされます。野生の「狼」を家畜化したのが「犬」ですが、同じような関係ですね。)
しかし、いつからか、「豚」の養殖は廃れてしまった、ということですね。
少なくとも、550年頃には「豚」の養殖は廃れていたのでは、と推測できます。
なぜなら、十干の「亥」に「豚」を充てなかったわけですから。
仏教の伝来により殺生禁止となり、豚食が廃れ、豚の養殖も廃れた、ということでしょうか。
仏教伝来は538年、百済の聖明王が日本の欽明天皇に仏像や教典を贈ったことによる、とされています。十二支の伝来と同じ頃ですね。
つまり、まとめますと、
古来、日本において、猪や家畜化された豚が食されていた。
しかし、538年、仏教が伝来し、その後、仏教の教えに従い、殺生や肉食が禁じられることに。それに伴い、豚の養殖も廃れることに。
その後(550年頃)、十二支が伝来。
すでに「豚」は廃れており、「猪」を「亥」に充てることに。
ということでしょうか?
仏教伝来の元である中国では、豚食は廃れるどころか「肉」といえば「豚」と言われるくらいに盛んだったようですが。
私、この点、すこし奇妙に思うんですよね。
いろいろなことを「自分たちの良い様に」形を変えて吸収することがうまい日本人が、仏教の教えにより豚食を止めてしまう、というのが、少し腑に落ちません。
豚、美味しいですよね?栄養も満点ですしね。
そこで考えて見ると、どうやらこの頃の日本人のメンタリティーが、
「狩りで捕らえた鹿や猪の肉を食べるのは良いが、家で飼う牛や馬、犬などを食べるはダメ」という形に変容した、と推測するができそうです。
つまり「肉食全般」をだめとしたのではなく、「一緒に暮らす動物」は食べちゃダメ、という形で、仏教の「殺生禁止」を取り入れたのでは、ということです。
そのため、野生の「猪」は食べるけど、家で飼う「豚」は食べないので、家で「豚」を飼うことはしない、
そのようになったのかもしれません。
(牛や馬は、食べずとも農耕や運搬で役立ったので、家で飼ったのでしょうね。)
このメンタリティー、現代において置き換えると、
牛や豚、鶏は食べるけど、
犬や猫を食べるなんて考えられない!
というのと同じでしょうね。
そのように考えて見ると、やはり日本人は仏教の「殺生禁止」を上手い形に変換して、自分たちの生活にうまい具合に取り入れている、と考えることができそうです。
中国のひとからすれば、
「え、猪?豚と一緒でしょ?君、食べてるじゃん!」
と言いますでしょうが、
日本人は、顔を真っ赤にして、
「何言ってるの!家畜は食べちゃダメに決まってるでしょ!だって猪は違うもの、魚と一緒、野生でしょ!」
ということになるのでしょうね。
ちなみに、江戸時代にも、猪は牡丹(ぼたん)、鹿は紅葉(もみじ)と称して、よく食用したようですね。
そもそも獣(しし)は食用となる大型動物を示すそうです。
「いの獣(しし)」ですね。鹿は「かの獣(しし)」と呼ばれたそうですよ。
まあ、繰り返しになりますが、今年は亥年。
本来、「猪」とは関連しませんが、でも俗に「いのしし年」。
なので、今年は機会を作って、どこかで「牡丹鍋」でも食べてみたいですね。
猪のステーキなんかも、美味しいのでしょうか?
近頃「ジビエ」が流行ってますからね。
有り難く、山の神様のお使いを頂きたいです。感謝を込めて。
・・この一文を書いて、ふと思いました。
確かに、山で狩猟する動物を食べるのと、飼育した動物を食べるのは、なんだか違うような気がしてきました。
山で狩猟する動物は「山の幸の送りもの」。とれるときもあればとれないときもある。その恵みを大切にして無駄なく頂戴したい、という心持ちに自然となります。
対する飼育された動物は、なんとなく「当たり前に食べるもの」という認識になってしまうような気がして、ちょっと怖いような、まずいような心持ちになりました。
うーん、なるほど。
「狩りで捕らえた鹿や猪の肉を食べるのは良いが、家で飼う牛や馬、犬などを食べるはダメ」
という考え方、もちろんこれだって自分勝手、人間勝手な考え方ですが、それでも「感謝の意もなく生き物を当たり前に処理して食べ物に換えていく」という意識に陥ることを回避させてくれたのかもしれませんね。
殺生を完全に止めることはできない、
でも、殺生の意味をしっかりと受けとめなければならない、
そういうせめぎ合いの中で、
もしかしたら「狩りで捕らえた鹿や猪の肉を食べるのは良いが、家で飼う牛や馬、犬などを食べるはダメ」
というような社会的ルールが「落としどころ」的に出てきたのかも、
なんて思いました。
というわけで、元旦に、
「豚食」と「猪食」を考えながら、
生き物を食べるということの大切さを改めて考えてみました。
以上、
いのしし年、日本における「豚」食と「猪」食を考えてみる!
でした。
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございました!
ではでは、今年も、なにとぞ宜しくお願い致します!