国分坂ブログ

「歩くこと」「考えること」が好きな、国分坂です!

初詣はどちらへ?「神社」のお勉強、しておきます?私が選ぶ「ポピュラー神社・四天王!」

【記事のまとめ:私が勝手に選んだ「ポピュラー神社四天王」として、八幡神社、稲荷神社、伊勢神社、天満宮をご紹介!】

【この記事の対象(特に読んで欲しい方):初詣の予習をされたい方、空想好きな方、おひまな方】

  

今年もの残すところ僅かとなりました!

皆様、年の瀬をいかがお過ごしでしょうか?

そして、新春の初詣のご予定は?

地元、産土(うぶすな)の神に詣でますか?

それとも足を伸ばして大社を詣でましょうか?

 

今回は、初詣の前準備として、すこし神社のお勉強をしてみましょう!という企画です!お時間があれば少しだけお付き合い頂けると嬉しいです~!

 

 

1.私が選ぶ「ポピュラー神社・四天王」!

 

日本には、それはもう、ホントに沢山の神社があるわけです。

さすが八百万(やおろず)の神をまつる国ですよねえ。

そのなかでも、身近にありそうな神社として、私が選ぶ「ポピュラー神社・四天王!」を勝手に発表したいと思います!

 

1.八幡神社(はちまんじんじゃ)

2.稲荷神社(いなりじんじゃ)

3.伊勢神社(いせじんじゃ)

4.天満宮(てんまんぐう)

 

いかがでしょうか?

とてもポピュラーな神社だと思うのですが。

ご近所にございますでしょうか?

選考過程において、諏訪神社(すわじんじゃ)や熊野神社(くまのじんじゃ)あたりも非常に悩んだのですが、まあ、今回は上記の四社ということでご了承ください~!

 

では、「ポピュラー神社・四天王!」に関して、ひとつひとつ勝手な解説をしていきたいと思います~!

 

2.八幡神社(はちまんじんじゃ)は戦神!

八幡社(はちまんしゃ)、八幡宮(はちまんぐう)と呼ばれる神社もあり、「やはたじんじゃ」と呼ばれる神社もあります。

日本全国に広く分布している神社であり、その総数は、一説では25000社以上、ともいわれているそうです。

「ポピュラー神社・四天王!」の第一に掲げるのに相応しい、圧倒的な数を誇る神社といえそうですよ。

祭られる「八幡神」は、応神天皇・神功皇后・姫神の三神とされ、姫神を仲哀天皇、もしくは宗像三女に替えている神社もあります。

また、武内宿禰(たけのうちのすくね)を合わせてまつる神社も多くあるようです。

(・・歴史好きの方ですと、このあたりで、むむっ!となにかを推理したくなるような陣容ですよね。でも今回は我慢して、さらりと流させて下さい!)

基本的には「戦いの神様」、武家の氏神としてまつられてきたようですが、厄除け・安産・育児の守護神として民間信仰の対象としても、篤く祀られてきたようです。

根本社は宇佐神宮(うさじんぐう)。そうですね、「宇佐八幡宮神託事件」で有名な神社です。この事件を考えてみても、非常に有力な神社であったことが伺えますね。

また、石清水八幡宮と鶴岡八幡宮も有名です。

ほとんどの八幡神社は、宇佐八幡宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮の、いずれかから勧請した、といういわれを持つことが一般的であるようです。

八幡神社を語ると、もうそれだけで長い長い記事になってしまいそうですので、今回はこの辺りで留めたいと思いますが、歴史のなかでいろいろと関係を持っていそうな、とても興味深い神社です!

 

3.伊勢屋稲荷に犬のフン!(稲荷神社:いなりじんじゃ)

伊勢屋(いせや)稲荷(いなり)に犬の糞。

・・ごめんなさい。ちょっと下品ですよね。

これ、江戸の町に多いものを表す言葉だそうです。

江戸の町のあちこちに、稲荷神社があったのですね。

 

商人などが個人の邸内に祀ることも多くあったようで、それも含めれば軽く三万社を超えるという、諸神のなかで最多神社数を誇る神社なのです!

そう、数だけでいえば八幡神社すらを上回ります!

もっとも、八幡神社はその社数に加えて、隠然たる強大な政治的・軍事的勢力を形成していた?と空想したくなる歴史的背景があったように思われたため、個人的に八幡神社を「四天王の第一」としました。

これは、八幡神社が「戦の神」であったことが関連するのかなあ、なんて思いながら。

対する稲荷神社は、「商いの神」です。

主に「商人」に人気があった商売繁盛の神社でした。

歴史的に、「商人」が政治力を有していくのは、戦国時代以降でしょうか?

平安末期から台頭していった「武家」が祀る八幡神社に比すると、稲荷神社の支持基盤である「商人」の歴史は、やや短かったのかもしれません。

そのためなのかどうかは分かりませんが、歴史の表舞台にはあまり出て来ない、という印象です。

どちらかといえば「庶民派」の神社でしょうかね。

そういった意味で、一応今回は、誠に勝手ながら「ポピュラー神社・四天王!の第二」とさせて頂きました。

でも、祀られている祭神をみていくと、なかなか興味深いですよ。

稲荷神社の主祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。一切の食物を司り、食べ物の根元と考えられた「稲」の生産や豊穣を守護した神様です。

中世以前においては稲作の神、すなわち「農業神」でしたが、中世以降近世にかけて、世の中の商工業が盛んになっていくと、「農業神」から「商業神」「殖産業神」に変容していき、「商売繁盛」「産業興隆」の守護神へとなっていきます。

つまり、時代が求めるものに合わせて変容し、ひとびとの思いに寄り添いながら広がっていった、そんな神社なのでしょう。

有名なのは伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)。全国の稲荷神社の総本社とされています。

個人的には、「稲荷神社とダキニ天の関連性」などを考える記事に発展させたいところですが、今回はこの程度とさせて頂きます。

「きつね様」を眺めているだけでも、不思議な気分になる神社ですよね!

 

4.伊勢神社(いせじんじゃ)はもちろん天照!

全国に広がる伊勢神社は、伊勢神宮(いせじんぐう)と何らかの係わりをもつ神社のようです。

そして伊勢神宮は、この国の「総氏神」という地位を持つ「キング・オブ・キングス」というような神社ですね。

ちなみに、伊勢神宮は「皇大神宮」(こうたいじんぐう)と「豊受大神宮」(とようけだいじんぐう)の2つを合わせ示す総称です。

「皇大神宮」を内宮、「豊受大神宮」を外宮といいます。

「皇大神宮」の主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、「豊受大神宮」の主祭神は豊受大御神(とようけおおみかみ)です。

天照大神は有名ですよね。簡単にいうと、八百万の神々のトップ、ですね。

豊受大御神は穀物の豊穣の神様です。この神様、「羽衣伝説」の天女に関連する神様のようですね。

なぜ、天照大神と、「羽衣伝説」の天女・豊受大御神とが、二宮一体として祀られているのか?ちょっと勉強したいところですね。

(これは宿題ということで、いずれまた。)

 

「伊勢神宮」は皇室の神様を祀る「総本山」、歴史的にいえば「官軍」的な地位を有する神社であり、「伊勢神社」はその「支店」のような神社だった、ともいえますでしょうか。

古くは、この「官軍」とたたかった「賊軍」的な集団が祀る神社も、数多くあったのでしょう。たとえば「諏訪神社」などがそうでしょうか?

つまり、「伊勢神宮」の支店?のような「伊勢神社」の分布の変遷を辿っていくと、朝廷の勢力拡大の歴史がたどれるのかなあ?なんてことを思えたりして。

なかなか面白そうですよね。

 

それと、これは全くの空想、妄想的発想ですが、

たとえば「祀ってはいけない神」を祀ろうとした場合に、その神社の名前の最有力候補に挙がりやすいのも「こちらの神社」かな?

なんて考えちゃったりしまして。

つまり、古代に排斥された部族が、山中にひっそりと身を隠し、政治的寄り合いの場、精神的支柱として神社を設けた場合、その神社には「この神社」や「この神社」に類する様な名前が冠されたのではないだろうか?と。

もっとも無難ですからね。周囲から怪しまれにくいです。

なので、全国の「この神社」もしくは「この神社」に似た名前の神社に関して、その由来・来歴などを詳しく調べていったら、ひょっとすると新たな歴史が発見できるかも?

正史には登場しなかった部族達の、隠された歴史が明らかになるかも?

なんて「空想」「妄想」をたくましくできるのも、「この神社」なのかもしれません!

(・・ごめんなさい。私だけでしょうか?)

 

 

5.天満宮(てんまんぐう)は「こ~こはど~このほそみちじゃ~」の天神様!

こ~こは ど~この ほそみちじゃ~

てんじんさまの ほそみちじゃ~

ちょ~っと とおして くだしゃんせ

ごようの ないもの とうしゃせぬ・・

 

この童謡、子供のとき、ホントに怖かったです・・

いえ、正直いいますと、今でも怖い・・

 

「いきは よいよい かえりは こわい」

とは、「行きは宵宵 帰りは 怖い」

つまり、

天神様の神社へ行くときは「宵のうち」でまだ少し明るいが、

帰りは夜になっていて、暗くて「怖いよ」、

という意味なのかなあ?

と考えたりしましたが、

では、どうして「宵のうち」に行くのでしょう?

「ななつのおいわい」、とは「七五三のお祝い」でしょうから、

普通、午前中とかにお参りに行きませんか?

などと、

謎は深まるばかりです・・・。

 

なにせ、

天神社の神様は、

それはもう有名な「祟り神さま」ですからね。

 

天神社の主祭神は菅原道真。

菅原道真の死後、菅原道真失脚のために動いた人物が三人、死亡します。

うち一人は「雷に打たれて」、という驚愕の死。

更に疫病の蔓延。

京都の町のひとびとは「道真公の祟りじゃ~」と恐れおののきます。

よほど、菅原道真に対して、後ろめたい思いがあったのでしょうね。

そのような経緯から、菅原道真は天神様として祀られることになりました。

 

祟り神は、その力がいわば「立証」されているように思われている神様、ともいえます。さまざまな厄災の「原因」と考えられた神様ですから、力に関しては折り紙付き、というわけです。

祀り敬うことで祟りを鎮めてもらい、かつ、その力を有益な方向で発揮してもらおう、というのが祟り神への対応方法です。

「災い転じて福と成そう」という、なかなかちゃっかりした発想ですよね。

このような考え方を「御霊信仰」といいますが、天満宮もこれに当たります。

 

「学問」の神様として有名ですね。

京都市上京区にある北野天満宮が本家。天満宮の多くは、この北野天満宮から勧請したもののようです。

 

なお、「天神社」とあるのは、この天満宮とは全く関係ない神社であることも多いのでご注意を。

「天神社」とは、「国津神(くにつがみ)」に対する「天津神(あまつがみ)」を祀る神社のことをいう場合があり、これは非常に古くからある信仰です。

この「あまつがみ」を祀る神社と、「天満宮」の信仰が混ざり合ってしまっているケースも、割とあるようです。

「天神社」「天神神社」とあったときには、是非、主祭神をご確認下さい。

菅原道真であれば「天満宮」系、もしくは混合系、ということで「学問の神様!」という認識で問題ありません。

祀られている神様のなかに菅原道真がいない場合は、ふるくからの「天津神(あまつがみ)」を祀る神社でしょう。

もちろん、古い古い歴史のある神社であろうと思いますので、是非、参拝されてくださいね。

でも、そこには「道真公」はいませんので、その点はご留意を。

(「学問成就」を祈っても別段構いませんが・・) 

 

 

というわけで、

私が勝手に選んだ「ポピュラー神社・四天王!」でした!

お楽しみ頂けたなら幸いです!

ではでは、

お付き合い頂きまして、

誠にありがとうございました!