今年の「節分」は2月3日ですね。皆さんは、どちらの神社・寺院に行かれますか?
【この記事のまとめ:節分における「鬼は外~!」は宮中の追儺(ついな)の儀式が起源。この追儺(ついな)を司るのは「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれる者ですが、実はこの「方相氏」、我々がイメージする「鬼」そのものなんです!】
- 「節分」とは
- 今の「鬼」のイメージは、本来、邪鬼を追い払う「方相氏」がルーツ
- 「方相氏」が現れる節分祭は、「お寺」よりも「神社」?
- 「方相氏」と「いわゆる鬼」との見分け方
- 「豆まき」はもともと、「鬼」を払う儀式とは別の儀式?
「節分」とは
少し早いのですが、今日は「節分」のお話です。
本来、節分とは「季節を分ける」という意味で、「立春、立夏、立秋、立冬」の前日を示す言葉でした。
そう、節分は年に「4回」あったんですね。
いまは特に「立春」の前日のみを「節分」といい、「豆まき」などの行事を行うものとして残っていますね。
この「豆まき」、もともとは宮中の「追儺(ついな)」の儀式がルーツのようですね。
大晦日(旧暦12月30日)に、宮中の邪気払いを行う儀式が「追儺(ついな)」です。
そして「追儺(ついな)」は、中国から伝承された儀式でした。
『論語』に記述があります。
「郷人儺朝服而立於作階」
(村人が鬼やらいをするときには、朝廷の礼服を着て、先祖の廟の東の階段に立つ)
更に朱子の注『周礼』には、「鬼やらいは、疫病を追い払う儀式であり、方相氏がこれを司る」とあります。
本邦の「追儺(ついな)」は、この儀式を模したものなんですね。
今の「鬼」のイメージは、本来、邪鬼を追い払う「方相氏」がルーツ
さて、論語の朱子注に、鬼やらいを司る「方相氏」というものが出てきます。
この「方相氏」が先頭に立って、鬼(疫病神・邪鬼)を追い払ったのだそうです。
ところがこの「方相氏」、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』をみると、
頭に二本の角が生え、黄金の四ツ目、口から伸びる牙、黒い衣と朱色の裳(も)を着て、手には剣を下げている、という姿で描かれています。
・・え、鬼そのものでは?
そうなんです、我々がイメージする「鬼」の姿は、もともとは、「鬼」を追い払う「方相氏」が起源なのですね。
もともと「鬼を追い払う者」が、やがて「鬼」になってしまった、そういうことなのです。
そして、本来の「鬼」は、疫病神、邪鬼という、目には見えない禍々しいもの、現代のイメージでいえば「幽霊」とか「悪霊」とかいった感じのものだったようです。
おそらく、宮中の「追儺(ついな)」の儀式が、庶民の「鬼やらい」、「豆まき」へと流布していくなかで、目に見えない「疫病神・邪鬼」のイメージは定着せず、むしろ鬼払いをする恐ろしい姿の「方相氏」のみが残ったのでしょう。
更に「方相氏」の本来の意味が失われて、恐ろしい姿のその者(「方相氏」)こそが、鬼やらいの対象である「鬼」になってしまった、ということなのでしょう。
「方相氏」が現れる節分祭は、「お寺」よりも「神社」?
現代の節分のお祭りでも、「方相氏」が登場するものがあるようですよ。
たとえば、京都「吉田神社」。追儺式(ついなしき)で古式にのっとった「方相氏」が登場します。
東京ですと「鎧神社」の節分祭の追儺(ついな)の儀式でも、「方相氏」が登場するようですよ。
追儺(ついな)の儀式は、もともと陰陽師の儀式ですが、これが宮中から民衆へと伝わったとき、儀式の担い手は主に「神社」になったのでしょうか?
一方、「お寺」の節分で「方相氏」が出てくるケースは少ないような。
あ、京都の「鞍馬寺」の追儺(ついな)儀式は、「方相氏」が出てきますかね?
しかし、それ以外のお寺では「豆まき」が中心で、「追儺(ついな)・鬼やらい」は聞かないような気がしますが、どうなんでしょう?
さてさて如何でしょうか、今年の節分祭では「追儺(ついな)・鬼やらい」を行っている神社・仏閣を参ってみては?
もしかしらた「方相氏」に会うことができるかもしれません!?
「方相氏」と「いわゆる鬼」との見分け方
ところで「方相氏」と「いわゆる鬼」との見分け方は、
「ちゃんとした服装をしているかどうか」
が、ポイントでしょうかね?
角や牙は同じですが、「方相氏」は和服、もしくは古式に則った朝廷の礼服を着ていると思われます。
対する「いわゆる鬼」は、裸で虎柄のパンツ一枚が一般的?
ちょっと確認してみてください!
「豆まき」はもともと、「鬼」を払う儀式とは別の儀式?
ところで、「追儺(ついな)」や「鬼やらい」(鬼を追い払う儀式)で、どうして豆を撒くのでしょうか?
「節分の起源」と題された文章などには、「豆は魔滅(まめ)に通じ、鬼の目に投げつけることで鬼を退治できた」なんて記述がありますが、どうなんでしょうか?
・・ちょっと、違和感あるのですが。鬼って、とっても怖いものですよね。虎とかライオンとか、そんな「恐ろしい」イメージ。
鳩であるまいし、「豆鉄砲」では対抗できない気がしますよね・・
私が思うに、「豆まき」は「追儺(ついな)」・「鬼やらい」とは別の儀式として、もともとあったものなのではないでしょうか?
つまり、「予祝(よしゅく)」の儀式として、古来からある儀式だったのでは?という考えです。
「予祝(よしゅく)」とは、「事前にお祝いをすることで願い事が叶う」という呪術的儀礼ですね。昔、よく行われていた儀式です。
たとえば「餅花(もちばな)」や「お花見」などが、「予祝(よしゅく)」の儀式として有名ですが、「豆まき」もこの「予祝(よしゅく)」だったと思うのです。
「種まき」に模して「豆まき」を行い、豊穣を祈る儀式です。
その「予祝(よしゅく)」としての「豆まき」と、「追儺(ついな)」・「鬼やらい」とが一緒になったのでは、と思うのですがどうでしょう?
というわけで、
今年の節分は2月3日!
皆さんはどちらの神社・寺院に行かれますか?
でした!
ここまでお読み頂きまして、
ありがとうございました!!