国分坂ブログ

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護王神社と和気神社の狛犬は「いのしし」?和気清麻呂をまつる神社と「猪」の関係!(おまけ:「道鏡」の裏日本史!)

【この記事のまとめ:和気清麻呂(わけのきよまろ)をまつる護王神社と和気神社の狛犬は「いのしし」ですが、「いのしし」が和気清麻呂を助けたことから、護王神社と和気神社は「いのしし」を狛犬にしたそうです。その関係をちょっと考察してみます!】

【この記事の対象(特に読んで欲しいひと):歴史好きな方、雑学好きな方】

  

今年は亥年。俗に「いのしし年」とされてますので、今回は「いのしし」と関連がある神社、特に「いのしし」が「狛犬」として鎮座している神社にスポットを当ててみたいと思います~!

 

 

1.狛犬(こまいぬ)とは?

そもそも、いわゆる「狛犬」とは、

「獅子と狛犬」のセットを配置する、というのが一般的であるそうです。

 

「角がない」のが「獅子」、

「角がある」のが「狛犬」。

向かって右側に配されるのが「獅子」で、口を開けており、

向かって左側に配されて、口を閉じているのが「狛犬」、

というのが一般的のようです。

 

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谷保天満宮の「獅子」

上の写真は、昨日、私が訪れた谷保天満宮に配されていた「獅子」です。

右側に配されていて、角はなく、口を開いていました。

つまり、典型的な「獅子」ですね。(左側の「狛犬」の写真は撮っておりませんでした・・残念。)

 

もともと、日本に伝わったのは中国産の「唐獅子」です。

中国においては、左右両方、同じ獅子が配されていて、伝来したばかりのときは、日本においても中国同様、左右ともに唐獅子が配されていたようです。

平安時代になると、日本独特の様式として「左右非対称」の「獅子」と「狛犬」、というスタイルが確立していったようですね。

 

仁王像と同じく、口を開いた「阿(あ)」と、口を閉じた「吽(うん)」の形。

一般的には向かって右が口を開いた「阿」、向かって左側が口を閉じた「吽」だそうですが、これが逆に配されることもあるそうです。

 

そう、

もともとは「仏教の伝来」と共に入ってきて、仁王像などと同様に、仏法や本尊の守護として、「寺院」の本堂や門前に配されていたようです。

これが、「神社」にも応用されたのでしょうね。

 

2.「いのしし」の狛犬

さて、今回の主題である「いのしし」の狛犬ですが、「いのしし」を狛犬としている神社は、

・護王神社

・和気神社

が有名です。

そして、この二社には共通点があります。

それは、

「和気清麻呂(わけのきよまろ)」を祀る神社であること。

 

あの「宇佐八幡宮神託事件(うさ はちまんぐう しんたく じけん)」で道鏡の野望を阻止した和気清麻呂は、怒った道鏡に名を奪われ「別部穢麻呂(わけべ けがれまろ)」という汚れを与えられたうえに、大隅国(鹿児島)に追放されてしまいます。

もちろん、追放だけでは済みません。

道鏡はすぐに刺客を放ち、その命を狙うため、穢麻呂の後を追わせました。

穢麻呂一行が豊前国(福岡県)を進むとき、どこからか三百頭もの猪が現れ、まるで穢麻呂一行を守るように、一行の周りを取り囲み粛々と進みました。

これに手も足も出せない道鏡の刺客達。

穢麻呂の一行は、無事に宇佐八幡宮に辿り着くことができました。

一年後、称徳天皇が崩御し、道鏡は関東に流配されます。

これにより穢麻呂は「和気清麻呂」に復して、京に戻ることができました。

このような縁から、和気清麻呂を祀る神社には、「いのしし」が狛犬の代わりに配置された、ということのようです。

 

さて、

このお話に接したとき、私は二つの点に疑問を感じました。

一点目は、「三百頭のいのしし」が現れたことで、刺客は手も足も出せなかった、とのことですが、これは一体何故だろう?という点です。

豊前国へ下っていく穢麻呂の一行は、それなりの人数で構成されていたことでしょう。これを追う刺客もそれなりの陣容だったはずで、5人や10人というような規模ではなかったと思われます。

五十人とか百人とか、それなりの規模の兵団だったと思われます。

(京都から鹿児島まで追っていき、道中「機会をみて襲う」ということだったでしょうから、兵糧など物資の運搬(兵站)も必要だったでしょうし、換え馬の用意や連絡用の早馬の用意なども考えると、やはりそれなりの軍勢であったろうと思われます。)

「三百頭の猪」、とは確かに壮観ですが、完全武装した刺客兵団が手も足も出ない、というのはちょっと妙です。

だって、天下の道鏡さまから命令されているのですから、刺客たちも必死だったはず。

どんなに数が多くても所詮は野生の動物ですからね、火を使うなりなんなりすれば、どうにかなったはず、と思うんですよ。

でも、実際には、手も足も出なかった・・。

私、「三百頭のいのしし」とは、なにかの「隠喩」なのではないか?と思うのです。

たとえば、猪を狩猟することを生業とする野伏(のぶし)のような集団や、

「猪」の字を、氏の一部に持つ地方豪族の集団とか。(猪飼、猪口、猪瀬・・とか?)

そんな「三百人」からなる集団が、穢麻呂の一行に味方し、道鏡の刺客団を近づけなかったのでは?と推測したくなるんです。

  

二点目は、「宇佐八幡宮」到着で、刺客の追撃が止んでしまったのは何故?という点。

護王神社や和気神社のホームページにも、「約三百頭のいのししが現れ、宇佐八幡宮まで無事に案内した」といった記述があります。

「宇佐八幡宮」は大分県にある神社です。

穢麻呂(和気清麻呂)ら一行が目指すのは鹿児島県。

道中はまだまだあるはずですが、「宇佐八幡宮」の到着により一件落着、危険は去った、といった雰囲気で締めくくられているんです。

つまり「宇佐八幡宮」以南は、もう刺客の出番はあり得ない、といった感じなんです。

 

「宇佐八幡宮」は、道鏡の天皇簒奪の切っ掛けをつくり、また、それを阻止する神託を出した神社ですよね。

このことからだけでも、「宇佐八幡宮」の絶大なる力が予想されますよね。

つまり、この神社が出す神託には、「道鏡を天皇にすることを周囲に認めさせることができる力」、また逆に、「天皇位を諦めることを道鏡に認めさせる力」があった、ということ。

もの凄い政治力ですよね。

ある意味、隠然たる力で、天皇家の人事権を左右できた、という感じでしょうか?

そして、当然ながら、その政治力を裏付ける「強大な軍事力」をも有していた、と考える方が自然だと思うのです。

 

その左証のひとつが、

前述の、穢麻呂(和気清麻呂)が「宇佐八幡宮」に到着することで身の危険が去った、と思われる「いのしし護衛事件」(←すみません、勝手に命名しました)。

 

「宇佐八幡宮」の神託を携えて道鏡の天皇位簒奪を阻止した穢麻呂(和気清麻呂)を、「宇佐八幡宮」は保護したことでしょう。

そして、「宇佐八幡宮」の保護下に入ってしまうと、絶大なる権勢を誇ったはずの道鏡ですら、手も足も出せなくなった、というのが、この「いのしし護衛事件」から読み取れるのではないでしょうか?

朝廷を操る道鏡すらをはねのける、「宇佐八幡宮」の力。

そんなものが垣間見えるのでは?と私には思えたのです。

 

そして、和気清麻呂は以後、「いのしし」を大切にします。いや、「和気氏」が一族を挙げて、「いのしし」を大切に大切にするのですね。

それが、護王神社と和気神社にみられる、狛犬ならぬ「狛いのしし」なのです。

これはつまり、

「以後、和気氏はいのししを重用する」という宣言であり誓いであった、と見ることができるのではないでしょうか?

 

和気清麻呂の政界復帰以降、九州の豪族で台頭していく豪族はいたのか?、その豪族は「いのしし」になんらかの関連があったのか?、そんなことを調べてみたいですね。

 

そしてまた、「宇佐八幡宮」の絶大なる力、これが歴史に与えた影響なども、調べてみたいものです!

 

3.おまけとしての「道鏡」(もうひとつの日本史?)

あ、それとですね、

「道鏡」というと、おそらく日本史の「みんなで選ぶ悪役ベスト5!」には必ず入ってきそうな人物ですよね。

でも、見方を変えてみると、

「道鏡」という人物、

なかなか興味深いんですよ。

 

道鏡さんは、弓削氏(ゆげし)の出身ですね。

弓削道鏡(ゆげのどうきょう)です。

弓削氏は、弓を作る「弓削部」を統率した一族ですね。

弓削氏にはいくつかの系統があるらしいのですが、

道鏡の一族は、あの「物部氏(もののべし)」に連なる一族だったそうです。

 

古代、蘇我氏と覇を競い、破れていった「物部氏」。

中央から追われ、地方に逃れ、姿形をかえて生き延びていったひとびと。

いってみれば、「反逆者の古参、大家」ともいえそうな「物部氏」です。

そんな「物部氏」から出た「希望の星」が、「道鏡」だったのではないでしょうか?

 

全国に広がる「物部氏」の末裔達は、希望の星から太陽(天皇)にならんばかりの勢いを持つ道鏡を、陰になり日向になって守り、援助したのではないでしょうか?

「道鏡の物語」は「物部氏復興の物語」、だったのかもしれません。

そんな視点で道鏡を読み解くと、また違う日本史が見えてくるのかも知れませんね。

 

和気清麻呂の「いのしし護衛事件」もそうですが、直接歴史の表舞台には出て来ない一族、部族達の暗躍が、歴史を動かす切っ掛けを作っていた、ということも往々にしてあったのかもしれない、と思ったりするんです。

機会があれば、是非このあたりを、しっかりと勉強したいものですね!

 

 というわけで、

 以上、

「いのしし」の狛犬?

和気清麻呂をまつる神社と「いのしし」の関係、

でした!

 

雑文ながながとお読み頂きまして、

ありがとうございました!!