国分坂ブログ

「歩くこと」「考えること」が好きな、国分坂です!

新元号は「令和」。そのこころは?由来とされた「万葉集」ってなあに?

こんにちは~!国分坂です。

2019年4月1日、新元号が公表されました。

 

『令和』

 

今日は、この『令和』について、ちょっと調べていきたいと思います!

 

 

「令」とは?

まずは、白川静著『字統』を見てみましょう。

(漢字でお困りの際には、是非、白川静の『字統』を紐解いてみましょう!大抵の問題は、解決するどころか深みにはまるかも?「いやいや、漢字って深いなあ」と。ご家庭に是非一冊、おススメです!!)

 

 『字統』の「令」を引いてみますと、「礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人の形」とまず出てきました。

甲骨文字だと、次のような字体ですね(書:国分坂)。

 

f:id:kokubunzaka:20190402163611p:plain

 

おお!三角帽子をかぶった人が、たしかに跪いていますよ!

この甲骨文字が「令」になった、ということのようなのです。

「令」には、「おつげ・いましめ・よい・ただしい・めでたい・させる・いいつける」、といった意味がありますね。

つまり、「神意を聞いている」というところから「おつげ」がきて、その姿勢から「よい・ただしい」がきているのでしょうね。

「おつげ」から「いましめ」「させる」「いいつける」が派生し、「よい・ただしい」から「めでたい」が派生した、と考えられそうです。

 

ところで、「令」は古くは「命」と、同一の字として用いられていたようです。「令」も「命」も神意に関して用いられる字で、たとえば「鈴」は「金」+「令」(古くは「金」+「命」もあり)と記し、神を降し、神を送るときに用いられた神具、という意味でした。

なので、「令」には「みことのり・おふれ」という意味もあるんですね。

確かに古代の法律は「律令」であり、「律」は刑法、「令」は行政法として、用いられていたのです。

 

「和」とは?

こちらも『字統』を見てみましょう。

「禾(か)と口とに従う。禾は軍門に立てる標識の木の形。口は盟誓の書である載書といわれる文書を収める器の形。軍門の前で盟誓し、和議を行う意」。

ちょっと小難しいですが、つまり戦争に際し戦わずに手打ちをする、といった意味を持つ字のようです。

そこから「和平」の意味となり、楽音の「調和」という意味にもなります。

『中庸』という書籍では、「和なる者は、天下の達道なり」とし、和は最高の徳行を示す語としているようです。

たしか、日本古来の十七条の憲法でも「和をもって貴しと為し」とありましたね。

我が国においても、とても大切にされていた字なんですね、「和」。

(なんといっても我が国の古称、雅称は「大和」ですから。)

 

「令月」とは?

『令和』の出典は万葉集とされ、「初春の月にして 気淑く風らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香りを薫らす」という歌からだそうです。

「万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序」にある歌なんだとか。

(なお、この歌は、中国の『文選』にある「於是仲春令月 時和気清」を踏まえているものだそうです。)

 

『大辞林』で「令月」を調べてみました。

「①何事をするにもよい月。めでたい月。よい月。②陰暦二月の異名」だそうです。

 

陰暦2月は、現在の3月中旬から4月中旬くらいですかね?

「寒さも和らいできて心地よい風が吹く、月も美しい」そんな感じでしょうか?

初春の月「令月」と、初春の「和らいだ風」。

風雅な感じですねえ。

 

『万葉集』とは?

さて、今までは漢籍から選んできた元号ですが、今回は「万葉集」を出典としました。

ではそもそも『万葉集』って、なんでしょう?

 

万葉集がいつ頃、誰の手によって成立したのかは、不明だそうです。

諸説あるようですが、奈良時代初期(700年代初め)から歌が集められ、大伴家持(おおとものやかもち)が手を加え、760年前後に成立したと推測されています。

歌の数も諸説あり、おおよそ4500首くらい、ということのようですね。

代表的な歌人は、舒明天皇、天智天皇、大海人皇子、額田王、持統天皇、柿本人麻呂、山上憶良、山部赤人、大伴旅人、高橋虫麻呂、大伴家持などなど。

天皇や皇族のみならず、庶民の歌も集められています。

庶民の感情をうたった「東歌(あずまうた)」や「防人歌(さきもりのうた)」が有名ですね。

 

今回の『令和』の出典となった「梅花の歌三十二首」は大伴旅人らのグループが詠んだ歌だといいますから、万葉調の最盛期(710年頃~730年頃?)の歌なのでしょうか?

(大伴旅人が世を去ると、万葉終焉時代に入るともいわれます。)

 

時代的には、聖武天皇の頃ですかね。全国に国分寺・国分尼寺が造営された頃です。

政治的に混乱はありつつも仏教国家が成立し、和歌や漢詩など、文学が隆盛した時代でもあります。

新しい息吹きを感じる時代だったのでしょうか。

 

「出典」が問題?

さて、今回の『令和』は、初めて漢籍を出典とせず、日本の『万葉集』を出典とした、ということが話題になっていますね。

ただ『万葉集』の「梅花の歌三十二首の序」も、中国の『文選』にある詩を踏まえた歌である、と前述しました。

 

しかしまあ、そんなことは、どうでもいいことだと思うんですね。

そもそも『令』も『和』も漢字。その漢字の語源は『字統』で確認したとおりですが、そこから様々な意義が派生し、様々な使い方が生まれたわけです。

「梅花の歌三十二首の序」の歌も、『文選』の「令月」を踏まえていますが、もしかしたらそこにある「詩情」は、似ていながらも同じではないもの、なのかもしれません。

 

中国大陸に限らず、世界中に素晴らしい思想や文明が存在しているわけですが、それらを咀嚼してちょっとだけ新たなものを付け加える、それが古来からの日本文化なのかもしれません。

 

有難く借りてきて、ちょっと良いものにして世界にお返しする。

それが日本文化。

 

もしもそんな風に受け止めることが出来たら、なかなか気持ちいい感じですね。

まさに「令月和風(令月に風和む)」です。

 

変に「我が国の独自もので!我が国固有の出典で!」などと息巻くのではなく、「良いものは何でも借りちゃいますよ~!そして、更に良くしてお返ししますよ~!」のスタイルで、これからの新しい時代を進んでいければと思うのですが、どうでしょうか?

 

何はともあれ、『令和』の時代も、平和で心地よい時代になることを、心より祈りたいものです。

 

というわけで、以上、新元号は「令和」。そのこころは?由来とされた「万葉集」ってなあに?でした!

ここまでお付き合いを頂きまして、誠にありがとうございました!