国分坂ブログ

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「元号」の超かんたんな解説!元号の歴史や変遷について調べてみました!

こんにちは~!国分坂です。

本年(2019年)4月1日、新元号が公表されますね。

そして5月1日から、新元号が施行されます。

 

今回はこの「元号」に関して、ごくごく簡単に勉強してみたいと思います。

お付き合いを頂ければ幸いです!

 

 

最初の元号「大化」

我が国の最初の元号である「大化」は、皇極天皇4年6月19日(645年7月17日)、孝徳天皇即位のときから使われることになりました。

 

そう、有名な「大化の改新」の「大化」ですね。

以前は「大化の改新」は645年とされていましたが、現在では646年(大化2年)に「大化の改新の詔」がなされたとされていますね。

(「虫を殺して大化の改新」と憶えたのもの、昔のこととなりました・・)

そして、中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿の暗殺、蘇我蝦夷の自害追い込みは、「乙巳の変」(「いっしのへん」または「おっしのへん」)として、「大化の改新」とは別の事変として整理されるようになりました。

 

皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)、蘇我入鹿暗殺。

皇極天皇4年6月13日(645年7月11日)、蘇我入鹿自殺。

皇極天皇4年6月19日(645年7月17日)、孝徳天皇即位(「大化」の使用)。

 

そして翌年の大化2年正月元日に、「改新の詔」が発せられるのですね。

「改新の詔」は律令制度を採用し、天皇を中心とする中央集権国家の樹立を目指すという宣言でした。

そう、強大な力を有する蘇我氏本家の打倒を成功させた中大兄皇子と中臣鎌足は、豪族の力を奪っていく政策を推し進め、新たな国家体制をつくり上げていくことを声高に宣言したわけです。

その嚆矢が、「大化」の元号使用だったわけですね。

国家体制変革の象徴として元号を用いた、といえそうです。

 

「瑞兆」による改元

続く元号は「白雉」(はくち)です。

大化6年2月15日(650年3月22日)に改元されました。

穴門国(のちの長門国)の国司が白い雉を献上したことが由来とされています。

白い雉があらわれたことを「瑞兆」として、改元をしたようですね。

白雉5年10月10日(654年11月24日)、孝徳天皇の崩御により、白雉の元号は使われなくなり、その後、次の元号「朱鳥」が定められるまでの間、元号空白期間が生じます。

 

三番目の元号が「朱鳥」(しゅちょう/すちょう/あかみどり)。

天武天皇15年7月20日(686年8月14日)、赤い雀が採れた、ということで改元されました。

天武天皇は自らを中国大陸の劉邦にたとえることを好み、劉邦が五行思想の火徳を尊重したことから、天武天皇も軍旗に赤旗を用いたそうです。

つまり、天武天皇は劉邦を模して火徳を尊重し、赤い雀を「火徳の瑞祥」であるとみなし、「朱鳥」の改元を行ったわけですね。

 

ところでこの改元は、天武天皇の崩御直前になされています。

天武天皇15年5月24日、天武天皇は病に罹ります。

天武天皇15年7月15日、天武天皇は政治を皇后と皇太子に委ねます。

天武天皇15年7月20日、「朱鳥」に改元。

天武天皇15年9月11日、天武天皇崩御。

 

ひょっとしたら、病床の中で自分の亡きあとを憂いた天武天皇は、1つの策を用いたのかもしれません。

そう、古代の大戦乱「壬申の乱」を勝ち抜いた天武天皇は、項羽を打ち破り大帝国「漢」を打ち立てた高祖(劉邦)に、自分を重ねるべく策を用いたのです。

臣下や豪族たちをけん制するため、「仮に死んだとしても、自分は劉邦のようにあり続けるぞ。ゆめゆめ叛くなよ」、そんな意味を改元に託したのではないでしょうか?

 

・・朕は死したのちも、高祖のようにあるであろう。朱鳥となって、天空よりそなた達を見ているぞ。心せよ・・と。

 

劉邦は逆らう諸侯をつぎつぎと粛清し、強大な漢帝国の礎を築くわけですが、ひょっとしたら天武天皇は「朱鳥」改元により、そのことを群臣たちに暗示しようと試みたのでは?というわけです。

使われていなかった「天皇を中心とする中央集権国家の象徴」たる元号を掘り起こし、自分の死後も国家体制が覆らないよう元号を用いた、そんな推測です。(一種の呪術的効用を考えたのかもしれませんね。)

 

さて、劉邦と天武天皇ですが、ちょっと面白い符合がありますね。

お二人の奥様です。そう劉邦の妻である呂太后と、天武天皇の妻である持統天皇。

呂太后は劉邦の死後に絶大な権力を持ち、持統天皇も天武天皇と並び、史上最高の権力を有する天皇として君臨しました。

ともに「最強夫婦」、そんな感じです。

(そうすると天武天皇の「策」は成功した、のでしょうか?)

 

さてさて、「朱鳥」の後も、「瑞兆」による改元が続いていきます。

「瑞兆」による改元は、中国の「徳治主義」からきているようです。

「徳治主義」とは、君主に徳が無いと天が災いをもってそのことを示す、よって、天下の治乱は君主の責任であり、天下泰平ならば天は祥瑞をあらわす、そんな考え方です。

つまり、「瑞兆」があることは天が天皇の治世を認めた証拠である、よって、そのことを広く知らしめるために改元を行う、ということだったのでしょう。

「瑞兆」による改元は、群臣や民衆を納得させるためのプロパガンダ的機能を有していた、とみることができそうです。

 

「災異」による改元

平安時代になってくると、「瑞祥」はだんだんと上奏されなくなっていき、代わって「災異」が上奏されることが増えていきます。

清和天皇(850年~881年)の時代になると、瑞祥は殆ど姿を消し、災異が圧倒する時代になります。

鷺が神泉苑に集まる、狐が紫宸殿に現れて鳴く、旋風が起こって無数の虫が飛散する、夜な夜な数万の鼠の足跡が京中で見つかる、などなど。

更には妖(あやかし)、怪異の報告も相次ぎます。

やがて、昌泰4年(901年)7月15日に「災異」を理由に延喜元年と改めらえると、これが「災異改元」の先例となるのです。

これは「御霊信仰」や「言霊信仰」の影響によるものなのでしょうかね?

延喜以降、地震や火災、干ばつや疫病などの災異を原因とする改元が、増大していくことになるのです。

 

改元への幕府の介入

室町時代になると、幕府の改元への介入が始まります。

初代将軍足利尊氏が「延文」3年、二代目将軍足利義詮が「貞治」5年に亡くなったため、これらの年号の文字は使用しないようにと朝廷に申し入れたり、三代将軍足利義満は、明の太祖洪武帝を崇拝していたため、「洪」の字を用いるようにねじ込んでみたり(これは実現しませんでした)、いろいろと朝廷に対し注文を付けるようになったのです。

 

江戸時代には、改元に幕府が直接干渉するようになります。

後光明天皇の即位に「正保」(1645年)と改める際には、将軍徳川家光の前で裁断が行われています。

その後も、朝廷で出された案が幕府に廻され、それを老中たちが評議し、将軍が裁定を下す、という形になっていき、改元の実権を幕府が握るようになります。

 

一世一元制

中国では、明の洪武帝が明朝を樹立した際に「洪武元年」と定め、その際に一世一元制を採用しました。

一世一元制とは、元号を君主の在位中は変えない、という制度です。

日本においては、明治維新の際、「慶応」から「明治」に改元されたときに、一世一元制が採用されることになりました。

なお、昭和54年(1979年)6月6日に「元号法」が成立し、そこで「元号は皇位継承があった場合に限り改める」と定められ、一世一元制が法律により規定されることになったわけです。

「改元による社会情勢の一新化」という機能が名実ともに失われた、ともいえるかもしれません。

 

西暦と元号

さてさて、現在の日本においては、「西暦」と「元号(和暦)」とが併用されている、というのが実際のところだと思います。

契約書や会社の議事録などでも、以前より「西暦」が用いられることが増えているような気がしますね。

そして「もう和暦なんていらないんじゃない?」という意見も散見されます。

私の司法書士業務でも、法務局の書類は和暦表示、クライアントの会社さんの議事録等は西暦表示が多い、ということで、西暦から和暦への変換、和暦から西暦への変換など、いちいち面倒なことが多いのです。(改元されると、役員の任期管理が面倒になるんですよ・・)

 

でもですね、そんなことを言いつつ、実は私は、元号(和暦)がけっこう好きでして。

上記みてきたように、元号はその時代の思想などを含んでいて、なかなか面白いものなですよね。

西暦は単なる記号ですが、元号は良くも悪くも思想的なものが含まれていたりするんです。

後から歴史として省みてみると、元号がその時代の思想や情勢を示すヒントになったりすることがあるんですね。

なかなか面白いんです、元号。

 

ところで、元号には、どのような字が使われるのでしょうか。

過去には「永」「元」「天」の三文字が飛びぬけて多用されているそうで、これらは中国の元号を模倣した結果のようです。

次いで「正」「長」「和」「治」「文」「応」が多く、「和」以外の文字は中国での用例が少なく、日本固有のつけ方といえるのだそうです。

(これだけを拾い上げても、付けられた字でその時代の潮流がみえそうですよね。)

 

そして新たな元号を考える際には、中国の古典「論語」「孝経」「礼記」「毛詩」「左伝」「史記」「漢書」「晋書」などの四書五経・歴史書などを典拠とし、過去に用いられた字と重複しない字を探し出すのだそうですよ。

もちろん縁起の良い字であることが条件になるのですが、この「縁起のよい」とは「陰陽道」的発想が重視されているのだとか。「周易」「易緯」などの書物が参考になるそうです。

そういった意味では「祥瑞」思想が未だに残っている、そんなふうにみることも出来そうですよね。

 

さてさて、果たして今回は、どんな元号が採用されるのでしょうかね?

もちろん、もうすでに決まっているのでしょうが、もう厳重注意で秘匿されているんでしょうね。

 

関係者が飲み屋なんかで、

「いやあ、ぼくさあ、知ってるんだよねえ~ え?ほらさあ、新元号。・・ うん、そうそう、新しい元号だよう。えー?興味ないの?ホントにぃ?そんなこと言わないでよう。ね、ねっ、こっそり教えてあげるからさあ」

なんてことを話していたら、大変なことになるんでしょうか?

「もうあと二、三日だから」と緊張が解けてついつい「ぽろり」、なんてことになったら、不謹慎ながら面白そうですよ。

「新元号!漏洩!」なんてね。(すみません、ダメですね。)

 

というわけで、以上「元号」の超かんたんな解説!でした!

お付き合いを頂きまして、ありがとうございました!